4.十条研究室の極秘プラン

 晴海はロッキーの言葉を聞いた直後、自分が現実から乖離しているのではないか、という錯覚を覚えた。それはあまりにも唐突すぎて、喜んで良いのかどうかの判断が鈍くなってしまっている。
「凄い、凄いわ板橋さん!!」
 一方でキャサリンは感激のあまり大声で叫びながら、彩葉の両手をぐっと掴んで何度も上下に振っていた。同様に、ロッキーが彩葉の両肩を掴んで激しく揺さぶっている。
「え、どういう、こと……?あたしが晴海君達の捜してた人、なわけ?」
「その通りだ」
 いつの間に入って来ていたのか、十条博士が彩葉の横に立っていた。
「博士!」
「次の全宇宙学会でこの事実を発表する。明日から論文の作成だ――が、しかし」
 そこで博士は彩葉の方をじろり、と睨んだ(と、彼女の目には映った)。
「板橋君、君の超能力はどの程度のものなのかね?」
「えっと、あんまり重くない物を五分ぐらい動かす程度、です」
 彩葉が答えたが、十条博士の顔色は少しも変わらない。
「いかんな、私の銀河遺伝子論を証明する人物の力がその程度では。我が研究室の沽券に関わる」
 思わず「なっ!!」と立ち上がりかけた彼女を、ロッキーがとっさに押さえる。
「そこでだ。君には学会までの三ヶ月間、能力向上のための特訓をして貰う。その実行や記録は全て伊集院君に任せる。君一人で出来る範疇を越える訓練はヨーク君らに助力を頼め。ただし、くれぐれも外部に漏洩しないよう厳重な注意を払うのだ。いいな?」
 有無を言わさぬ博士の口調に、晴海も彩葉も思わず無言で首を縦に振った。
「それと伊集院君」
「はい、何でしょう?」
「今日の昼食の件だが、埋め合わせとして明日は松風庵の栗羊羹も買ってくること」

夜道の二人

 既に表は暗くなっていたので、晴海は彩葉を送っていくことになった。一日で、二度も彼女のアパートを訪れる、ということになる(一回目は、上がり込みはしなかったが)。
「でも、凄いことだよね」
 目的の駅で地下鉄を降りた時、彩葉は晴海に言った。
「だって、このあたしが『銀河を動かせる』だなんて、今までこれっぽっちも考えたこと、無かったよ。まだ全然、信じられないけど」
「それは、そうだろうなぁ」
 晴海にとっても、今日まで今の彩葉程度の超能力ですら、高山にかかる雲のようなものだったのだ。彩葉だっていきなり銀河などという巨大な存在を手にしているのだ、という推論(そう、まだ推論でしかないのだ)を突きつけられても、実感など出来ないだろう。
「けど嬉しいよ?晴海君の役には立てたからね」
「ああ、恩返しを大きく飛び越えて、こっちがまた恩返ししなきゃならないかもしれない」
「ほんと?わーい、嬉しいなっ!」
 彩葉は晴海の隣でぴょんぴょんと跳ねたが、すぐに立ち止まって、空を見上げた。紫がかった紺色の夜空に、星がぽつぽつと輝き始めている。
 晴海は彼女が再び歩き出すまで、声をかけなかった。彩葉が何を感じているのか、彼には決して量れないと思ったから。

「――と、言うことで、以上の訓練は、夕刻以降に行うことにしました。被験者・彩葉=ツァネル=板橋は就職していますし。彼女の日常生活になるべく支障を出さないために、その方が適切だと判断したからです」
「うむ」
 十条博士は例の弁当を食べながら、晴海の訓練プランの報告に適当な相づちを打った。まるで心ここにあらず、と言う態だが、多分ちゃんと聞いている――のであれば良いが。
「ところで博士、いくら何でもここの関係者でない彼女を毎日研究所に呼んでいては、絶対に怪しまれますよ。その辺りは一体どうするんですか」
 それは、秘密特訓プランの一番の問題点であり、晴海一人では決められない唯一の事柄でもあった。
「だったら、そうしてしまえば良いではないか」
「は?」
 こともなげに言ってのける博士の前で、晴海は思わず口をぽかんと開ける。
「板橋君をアルバイトとして雇うのだ」
「ですが、うちの研究室でバイトを雇ったらそれこそ不審がられませんか?」
「誰がうちの研究室と言った。研究所購買センターのバイトだ。最近、夜に働いているのが一人やめたらしくてな」
 地球一の研究所であるESTLは、当然規模に於いても地球一である。この施設それ自体が、一個の都市を形成していると言っても過言では無い。研究者のための寮まであって、晴海はそこで生活している。ESTLで研究に携わっている人々のために食料品や日用品を売るセンターも、かなりの規模がある。
「実はもう、センターの方に話は通してある。被験者も承諾済みだ」
(へ、変なところで手回しの良い人だ……)
「それで、研究所の助手と、バイトが恋仲になったとして、誰も不思議がりはしないだろう」
「はっ、博士!?」
「スタンレイ君も、どうやら購買センターに気になる女性が居るらしくてな、暇があればセンターに行っている。良くない傾向だな」
 けしからん、と言いながら、博士はキャサリンが気を利かせて切っておいた栗羊羹を口に運んだ。晴海は彼のとんでもない発言にかなりどぎまぎさせられたが、いつまでも動揺していても仕方ないので、報告を続けることにした。
「ええと、本題に戻りますが、博士の説によれば彩葉=ツァネル=板橋は超能力全般を駆使できるはずですが、三ヶ月という短期間でその全てを引き出すのはまず不可能です。ですから、彼女が現在使用できる念力PKと、訓練方法の単純な透視に絞って行います。発表の際に、すぐに結果を提示することが出来ますから」
「それでも、トリックでは無いかと色々取り沙汰されるだろう。だが、最終的に認められるのは我々の側だ」
 その時、外出していたロッキーが研究室に帰ってきた。鼻歌を歌っている彼が、購買センターの紙袋を抱えているのを見た晴海は、思わず苦笑してしまった。

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