3.「銀河遺伝子論」
「――それで、二時間も遅れたうえに、私が何よりも楽しみにしている昼食を台無しにしてくれたことについて、何か弁明することは無いかね?伊集院君」
十条博士はそう言うと、中身の料理がものの見事にひっくり返り、煎りどりが「胡麻和えどり」になっていたり、梅干しが御飯ではなく高野豆腐の煮物の上に乗っていたり――まぁ、とにかくものの見事に滅茶苦茶になった弁当を前に、ただでさえ頑固そうだと不評の顔を更にしかめた。
「いえ、実は弁当に関してはやむを得ない事情がありまして」
彩葉を連れて不良達から逃げるとき、どうしたって弁当に構っている余裕など無かったのだ。捕まれば弁当だって更に悲惨な状態になっていたかもしれないので、その辺は勘弁して貰いたいところだ。だが事情を詳しく話したところで、「そんな面倒なことには最初から関わるな」と言われるに決まっているので、やめておく。
その代わり、もっと有効な餌を、まいてみることにした。
「それと、二時間の遅れは、博士の研究に是非とも協力したいという人物を無事にここまで案内するためにかかった時間です」
「何、それは本当か!?」
途端に、博士の顔色が変わった。晴海が予想した以上に、良い食い付きだ。
「それなら仕方がないだろう。伊集院君、すぐにその人物とやらをこちらに連れて来たまえ。ヨーク君、スタンレイ君は検査の用意を」
十条博士は、まず何よりも自分の研究を愛する、生粋の学者だった。晴海はもくろみが見事成功したことに、ほっと胸をなで下ろした。
晴海が研究室を出てみると、廊下では暇を持て余していたらしい彩葉が、リノリウムの床を幾度も蹴り上げていた。
「あ、晴海君。やっと話終わったんだ?」
「ああ。いよいよ君の出番だよ」
彩葉が部屋に入ってくると、博士は「ああ、その子か」とつまらなそうに言っただけで、彼女とろくに目を合わせもせず、すぐに血液サンプルの採取を指示した。
「げっ!注射!?」
「血を少し採るだけだ。すぐに終わるよ――あ、でも、その後で幾つか質問させてもらうかもしれない。データの詳細な記録を付けたいから」
「晴海君が?」
晴海が頷くと、彩葉はそれで大人しく背もたれのない回転椅子に座った。その向かいの椅子に、医師免許を持っている助手のキャサリン=ディア=ヨークが、見た目通りのスマートな手際で彩葉から血液を採取した。その血は、すぐに博士ともう一人の助手・ロッキー=ファーベル=スタンレイが分析機器のある部屋まで持っていってしまった。
「じゃあ伊集院君、早速彼女自身のデータをとりましょうか」
「はい、先輩」
キャサリンが出してきたデータシートを受け取ると、晴海はまだ痛そうに顔をしかめている彩葉に、現住所や年齢、家族構成(孤児である彼女に、この項目は意味を成さなかったが)についてなどの質問をした。彼にとっては、こんなことでもよほどまともな仕事の類に入る。
「じゃあ、次は身長体重なんかを――」
「ちょっとっ!」
彩葉が突然待ったをかけたので、何事かと思って晴海が彼女を見ると、彩葉は顔を真っ赤にして、思い切り嫌そうな表情をしていた。
「馬鹿ねぇ、伊集院君」
キャサリンは、まるで解らないと言いたげな晴海を見、苦笑した。
「相手は女の子よ、男に知られたくないことなんて山ほどあるんだから」
その言葉でようやく、晴海も彩葉が何を嫌がったのか理解した。結局、身体測定の方は、全てキャサリンに任せることにした。
個人データ調査が終了しても、まだ分析の方は時間がかかるようだったので、晴海達はしばらくお茶でも、と言うことになった。
「あの、ところで、この研究室って何をしてるんですか?」
渋めの緑茶をすすりながら、彩葉がそう訊いてきた。十条博士の趣味で、この部屋にはコーヒーや紅茶などは一切無い。ちなみに三人分のお茶を淹れたのは晴海だ。殆ど客分である彩葉や、何年も先輩であるキャサリンにそういった雑用をさせるわけにはいかなかったからである。
「あら、教えてなかったの!?」
驚いたキャサリンは、駄目じゃない、と晴海を睨んだ。
「言って良いものかどうか、判りませんでしたから」
「何言ってるの。きちんとした説明も無しにサンプル提供をさせる方がまずいわよ……仕方がないわね。板橋さん、私達がやっているのはね、『銀河遺伝子』の研究なのよ」
――銀河遺伝子論。
奇才・賢治=ルース=十条博士が今から二十年ほど前に提唱した、全宇宙の生命体を対象とした、DNA配列に関する理論である。
彼は、太陽系以外の星系にも、地球と類似した生態系が多く発生していることに着目し、以前から存在していた「DNAは宇宙から隕石によって運ばれてきた」とする遺伝子飛来説と関連づけることにより、「全ての生命体はただ一つのDNAをもとにして発生した」という説を生み出した。そのうえで、宇宙を例えばアリの巣のようなコロニーであると仮定し、オリジナルの「銀河遺伝子」を持ち、「銀河の意志決定」を行えるほどの超常的能力を持つ生命体が何処かに存在するはずだ、と発表したのである。
無論、十条博士のこの説は全宇宙学会において大きな反響を引き起こした。その殆どが懐疑的なものであり、彼を狂人扱いする学者も少なくなかった。しかしその後、博士の研究によって、異なる星どうしの全ての生命体のDNA配列に共通する箇所が発見されたため、銀河遺伝子の存在そのものは、頭ごなしに否定されなくなってきている。
「理想的な銀河遺伝子の配列は、博士によって既に予言されているわ」
理論は完成している。ただ、足りないのは唯一絶対の証拠――完全な銀河遺伝子配列を持つ生命体だ。
「じゃあ、晴海君やヨークさん達は、あの愛想無しの博士と一緒にそれを捜してるってこと?それとあたしのチカラって、どう関係があるの?」
彩葉の「愛想無し」という言葉に、晴海とキャサリンは思わず顔を見合わせ、吹き出した。全くもってその通りだ。
「普通の生命体の銀河遺伝子と理論上の遺伝子との配列の合致率はだいたい七割。これは、どの星の生き物に関しても同じよ。でも、これが人型タイプ――それも、一般的に『超能力者』と言われている人となると、合致率が八割から九割まで跳ね上がるの。それが、博士が超能力者にこだわる理由なのよ」
「だが、超能力者の絶対数は少ないし、君が僕に言ったとおり、だいたい能力があることを隠してる。だから、僕が研究室に入ってから今まで、新しいデータを取る機会が全然なかった――その結果、毎日博士の弁当を買いに行かされる羽目になっているんだが」
「私が新人だった頃だって、そうだったわよ。あれは博士流の根性試しだから。話を元に戻すけれど、他の星の人の遺伝子も調査したいけれど、宇宙国際条約の関係で、勝手に異星人の細胞やDNAを採取してはいけない決まりになってるの。博士は前から許可を申請してるんだけど、これが全然下りなくて。誰かが妨害しているって噂があるぐらいにね」
「へー……」
その時、廊下の方で激しい靴音がし、乱暴にドアが開けられた。
「ちょっと、他の研究室に迷惑よ、スタンレイ君」
「そ、そんな場合じゃないんだ、大変なんだ!」
肩で大きく息をしながら、ロッキーは周囲を見渡し、彩葉が目に留まると彼女を指さした。
「この子――彩葉=ツァネル=板橋のDNA分析の結果、理想銀河遺伝子配列との合致率100パーセント!遂に見つかったんだよ、博士の捜してた、『銀河を動かせる者』が!!」
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