8.宮中落雷

『昨今の怪事が儂の仕業ではないかと考える者が増えたため、儂に全ての罪を着せたうえで邪魔な者達を殺害しようとしているに違いない。そして、「菅原道真の祟り」であることを印象づけるためには、帝の御身に危害を加えねば画竜点睛を欠きましょう』
「解りました……辛いことも含め、様々なことをお教えくださり真に有り難うございます、道真公。公の御霊は、これから私どもの術で太宰府の方にお送りいたしますゆえ、何とぞご安心召されるよう」
『儂の方こそ、ここから救い出してくだすった事に心から感謝しております』
「おい、ちょっと待て」
 忠行が道真の魂を送還する儀式を始めようとした時、疾風が呼び止めた。
「その、さっきは悪ぃな、怒鳴ったりして」
「うわっ、疾風様が謝った!」
「そんなに驚くことかよ、馬鹿」
「あうー、ぶたないでよー」
 道真は疾風と童子丸の様子に微笑み、瞼を閉じた。
 そして、忠行が儀式を行う。しばし経つと、先程と同じように寄依の身体が大きくかしぎ――彼は再び、威都樹に戻った。
「あ、あ……」
「威都樹様、大丈夫ですか?お顔の色が良くないようですが」
「いえ、多少疲れただけのようです。それより、道真公からお話を伺えたのですか?」
「宮様、実はその事なのですが――」
 忠行は、先程道真から聞いた話を全て威都樹に話した。威都樹の顔色は、良くなるどころか更に青ざめる。
「で、では次は兄上が雷に打たれるやもしれないのですか!?」
「もはや、真の首謀者を発見することは危急の事態。すぐにでも陰陽寮の総力を挙げて宮中と帝をお守り申し上げねば。童子丸、私は寮に行く。お前は威都樹様と疾風様と共に、屋敷に帰るんだ」
「えー!?」
「では、頼んだぞ」
 忠行は三人を残し、車に素早く乗り込んだ。黒い毛並みもつややかな牛も彼の式神なのであろう、車の速度は威都樹の目から見て信じられぬほど速かった。
 しかし、もっと不可思議な事がある。
「疾風さん、意外ですね。忠行殿の屋敷でお待ちになるのですか?」
 威都樹は、疾風のことだからてっきり宮中に連れて行けと喚くと思っていたのだ。
「あぁ?何寝ぼけたこと言ってやがる。俺たちも宮中とやらに行くぞ、すぐにだ」
「えぇっ!?」
「やっぱりー?」
「決まってんじゃねぇか!御雷をさらった奴が来るかもしれねぇんだぜ?予定通り酷ぇ目見せてやらねーと俺の気がすまねぇ」
 本当に、つくづく物騒なことを考える神である。
「けど、忠行についてっちまえば、他の連中に邪魔される回数増えるだろ。だから俺たちで先に犯人見つけてやるんだ」
「無理ですよ!また先程のように忠行殿に察知されるのが関の山です」
「そこを何とかすんじゃねーか、童子丸が」
「えっ、僕!?」
「お前天才児だろ、だったらとっとと自分の師匠ぐらい追い抜きやがれ」
「また疾風さん、無茶苦茶なことを……」
 だが童子丸は、瞳を子供らしく輝かせた。
「お師匠様にさっきの仕返しするんだねっ!」
「仕返し、はちょっと違う気がしますが」
「とにかく、行くぜ!!」

 泣き疲れて声も涸れ、御雷は考えることを半ば放棄している。
 外が何やら騒がしい。彼女を閉じこめた者達に、何か異変が起こったらしい。
「み、道真公が奪われただと!?まさかこちらの正体が露見したのではあるまいな?」
「それは判りませぬ」
「判らないで済まされるか!今までの件にわしが関わっていることが知れたら破滅なのだ。お前も只では済まぬのだぞ」
「拙僧は元々貴公のように都での栄達を求めているわけではありませぬ、何かあったら東国にでも落ち延びればそれで済むこと」
「と、とにかく!!失敗は許されぬのだ!何とかしろ、良いな」
「では、予定より少々早いですが、事の仕上げと参りますかな」
 突然、御雷を苦痛が襲う。また彼らは、御雷に落雷を起こさせようとしているのだ。
 だが、何やらいつもと様子が違う。
「雷公よ、我らと共に来ていただきましょう、宮中に」

 威都樹達は、いったん賀茂邸に戻った後、童子丸の召喚した朱雀で空から宮中を目指していた。今度は疾風も朱雀に乗っている。童子丸が、気配断ちの呪法を朱雀の周囲にかけているからだ。屋敷には三人の身代わりとなる人形ひとがたを配してある。恐らくは、先程よりもかなり時間稼ぎが出来るはずだ。
「しかし、どのようにして宮中に入り込めばよろしいのでしょうか」
 威都樹は先帝の皇子とは言え、存在を公には認められていない。兄である今上帝はともかく、公卿達や検非違使らには不審がられるだけだろう。殿上を許されていない童子丸、については何をかいわんや、だ。
「まっ、入っちまえば何とかなるんじゃねーか?」
「疾風さん、楽観的ですね……」
「大丈夫だよ、姿を隠す術をかければいいんだ」
 それはそうなんでしょうけれど、と威都樹は言い淀んだ。童子丸の術の範囲を考えれば、ずっと三人で行動しなければならないだろう。自分はともかく、疾風に我慢が出来るかどうか怪しかった。
「――気配がする!」
 突然、疾風が朱雀から身体を起こした。
「どうなさったんですか?」
「御雷の『力の気配』だ、間違いねぇ、俺たちが向かう方向に向いてやがる!」
「!?」
 空がうなり声をあげたのに気付いて威都樹達が顔を上げると、黒い雲が次々と一箇所に集まってきてる。これは間違いなく雷雲だ、子供にだって判る。
「やっべぇ……!」
「朱雀、急いで!」
 童子丸が朱雀の首筋を叩くと、美しい紅色の翼を持った式神は玉飾りが鳴り響くような咆吼を放ちながら加速した。
 しかし、雲海の裡に限界まで溜め込まれたいかづちはその中に留まりきることが出来ず――遂に、落ちた。

 その瞬間、宮中の清涼殿は炸裂した光に包まれた。相次ぐ洪水や長雨に関する議を行っていた時であった。
 柱の一つに突如、落雷があったのだ。その後には、殿上人達が何人か地に倒れ伏していた。服が裂け胸を焼き焦がし絶命した者、顔や髪が焼けた者が残された――幸運にも無傷だった者達も落雷した柱から火が出たのを傍観しながら右往左往するばかりである。
「ちっ、遅かったか!」
 周囲はさながら地獄絵図の様相を呈し、貴族達が我を喪って泣き叫ぶ声が四方八方から聞こえてくる。威都樹の顔は、青を通り越して白くなっていた。
「兄上、兄上!」
 こうなってはもはや気配断ちや姿くらましの術どころではない。一番冷静になれなかったのは威都樹自身だった。
 幸い、清涼殿の一番奥にいた帝に怪我などは無かったようだ。恐怖におののきながらも、年少の弟の声を聞き付け、返事をした。
「その声は威都樹か?」
「そうです……よかった、兄上は御無事だったのですね」
「にわかに黒雲が立ち込めたかと思うと、突然雷が落ちたのだ」
「はい、存じております。私達はそれを阻むために父上や兄上の禁を破って参内したのですが、今一歩及びませんでした――」
「天変地異を阻むとは、これは何者かの仕業なのか?」
 帝の問いに、威都樹は悲しげに頷く。その時、表の方から誰からともなく声が挙がる。
「祟りだ……!道真公の怨霊が恐れ多くも宮中を狙ったのだ!」
 貴族達で「道真公の祟り」を知らぬ者はいない。たちまち恐慌状態が更に悪化する。
「何と……!」
 帝の身体が小刻みに震える。帝にも、亡き道真に対し後ろめたき事があったのだ。先帝の片腕とも言える彼を、時平と手を組み政治の中枢から追い落とした。抗議する上皇を、門番に命じて内裏に入れるのを拒みすらした。恨まれて当然かもしれぬと今上帝が思うのも無理はなかった。
「違います、道真公は復讐など望んでおられなかったのです、ましてや兄上の御身に危害を加えようとは露ほども思わなかった」
「しかし――」
「安心しな」
 不意に帝の肩を軽く叩く者があった。普通なら厳罰に処されてしかる所行である。だが威都樹は彼を咎めなかった。彼となら、宮中を騒がす者達を止められると信じていたから。
「これ以上お前らに被害は出させねーよ。っつーか、その前に御雷を取り返す!」
「疾風さん!」
「お、お主は何者なのだ?」
 疾風は帝を見て不敵に笑った。御山を下る際、威都樹に語った時と同じように。
「俺は秋津島の、お前らの風神さ。待ってな、すぐにカタ付けてやっからよ!!」

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