6.北野の騒乱
「ところで、確か道真公は墓所にて天満大自在天神として祀られているはず……それが、なにゆえ縁のない北野なのでしょうか?」
そろそろ北野に着くという頃、威都樹は童子丸の式神に必死でしがみつきながら、隣で涼しい顔をしている彼に問うた。まだほんの子供なのに、上空にいて慌てることがない。
(この歳で、恐らく相当な行を積んでいらっしゃるに違いない)
「お師匠様の占術で、道真公が北野の雷公の社にいる、って出たんだ。どうしてかは判らないけど」
「雷公、と言いますと――」
「御雷の社だ!」
「ですよね、疾風さん」
「あいつは、雨乞いに呼ばれたまま帰ってこなくなったんだ。きっと北野で奴に捕まったに違いねぇ」
疾風は、宙をくるくると舞いながら拳を自らの掌に打ち付けた。
「そうと判りゃあ、一刻も早く道真をぶちのめして、御雷を助けねぇと」
「待って!前から何か来たよ!?」
童子丸が指し示した方角より、何やら黒い一丸が疾風達めがけて飛んでくる。
「鴉!?」
グァァ、グァァと耳に不快に残る鳴き声。恐らく数十羽はいるであろう鴉の群は、一向に進路を変える気配もなく、三人に突っ込んでくる形となった。
「あぁっ、い、痛っ!」
「威都樹!たかが鴉にぶつかったぐらいで慌てるんじゃねぇ」
「ど、どこの世に目が紅く光る鴉がいるんですか!」
「これは式神だよ!誰かが僕達の邪魔してるんだ」
「なぁにぃ!?そう言うのは早く言え!」
「すぐに気付かない疾風さんがおかしいんです!」
ともあれ、遂に疾風達を取り囲んだ鴉を追い払わないことには先に進めない。疾風は右腕の周囲に風の渦をまとわせた。
「どっかへ――行きやがれ!!」
竜巻の拳を群れに叩きつけるようにすると、十数羽もの鴉が風に巻き込まれ、羽を散らして遠くに弾かれる。
「威都樹様、僕の身体ささえて!」
威都樹は、片方の腕で落下しないよう朱雀の首を抱き込み、反対の腕で立ち上がろうとする童子丸の足を抱えた。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・裂・在・前!」
小さな手で童子丸が九字を切ると、目の前まで迫っていた鴉が破裂し、裂けた呪符らしき紙片が散った。
「すごいですね」
そう言っている間にも、鴉は朱雀や疾風の妨害をしてくる。童子丸は次から次へと九字を切った。疾風も吹き飛ばす手を休めない。戦う術を持たない威都樹は、黒い影の間から必死で地上を見ていた。
「疾風さん!見えました、社です!」
「よっしゃ、行くぞ!」
「朱雀、降りるよっ」
しつこく追いすがってくる鴉の群を振り切るため、疾風と、童子丸と威都樹を乗せた朱雀は社の前めがけて急降下した。
「ここが北野の雷公社か――御雷、御雷!」
地面に足が着くや否や、疾風は大声で恋人を呼んだ。しかし、まだ建てられてからさほど時の経過していない小さな社からは、誰かが応じた気配は無かった。
「御雷、俺だ、疾風だ!」
軽く舌打ちして社の戸を開けようとした疾風の袴を、童子丸が軽く引っ張った。
「ん、何だぁ?」
「ねぇ、僕また、何か嫌な予感がするんだ」
「童子丸……それはもしや、これのことではありませんか?」
童子丸が振り向くと、威都樹が舎人の衣を着た男に、後ろから羽交い締めにされていた。
「わーっ、大変だよ疾風様!!」
「こ、これ、も、し、式神というものなんでしょう、ね?」
「そんな状態で冷静に状況判断するな!」
疾風が威都樹に怒鳴り込んでいると、社の影から更に数人の式神が現れた。
「また戦いかよ。ったく、いらいらするぜ」
現に、疾風のこめかみには血管が浮き出、これでもかと言うほどひくついている。
「知ってっかぁ?他人の恋路を邪魔する奴ぁ、馬に蹴殺されよーが油かけられて焼き殺されよーが文句の一つも言えねーんだよ!!」
大声でわめくと、疾風腕を一閃。軌跡が風の矢となって、背後から襲いかかってきた式神達をなぎ倒した。その間に童子丸も九字を切り威都樹を救い出す。
「有り難うございます、助かりました」
「威都樹様、ぜんぜん戦えないんだから、朱雀に乗って邪魔にならないところにいてよ」
童子丸に棘のある口調で言われ、威都樹はすごすごと朱雀の背に乗った。朱雀はそのまま飛び立ち、社の上を旋回する。
一方、地上の式神の数はまだ増えていた。
「おい童子丸、式神って奴は勝手に増えたりすんのか?」
「ううん、誰かが符なんかに術をかけてあげないと出来ないよ。こんなにたくさんの式神を動かせるだなんて、お師匠様と同じぐらい強い陰陽師がやってるのかも。僕はまだ一度に一つしか使えないのに」
「まだガキだからだろ。とにかく、こいつら全部潰すぞ」
死人のように精気のない表情をした式神達は、怯むことなく再び二人に襲いかかってきた。まだ童ゆえ挟み撃ちにすれば倒せるとばかり、童子丸に前後から飛びかかる。急いで応戦する童子丸だが、やはり背後まで手が回らない。
「せいっ!」
間一髪、疾風が素早い回し蹴りで敵を倒した。そのまま回転しながら腰を低くし、顔面をめがけた拳を避ける。そして更に足払い。危機を脱した童子丸も、式神の攻撃をかいくぐるように駆け回り、次々と九字を切る。
「はっ、疾風さーん!」
上空から威都樹の悲鳴がした。あの鴉の群が再び朱雀の周りを取り囲んでいるのだ。
「くそっ、世話かけやがって」
今の童子丸には更に式神を出すことは出来ない。疾風は再び空に戻った。
「そいつに、しっかりしがみついてろ威都樹!」
疾風は両腕を威都樹のいる方角に向けて突き出した。二本の激しい空気の渦が鴉の群を襲う。反動で彼の身体も勢い良く後退した。
鴉は全て散り散りになったが、朱雀も風に煽られ、木から落ちる紅葉のように揺れた。威都樹は振り落とされないよう目をつぶり必死で手に力を込める。
「早く!早く戻ってきて!」
だが、やはり一人だけでは手に余ってしまったのか、今度は童子丸が衣の襟を背後から掴まれ、捕らえられてしまった。
また急いで疾風が反転しようとしたところ、突然地上の式神が数体、胴の真ん中から二つに切れた。
「心配して追ってみれば、やはり危ないことになっていたな」
「お師匠様っ!」
そこには、自らの式神を引き連れた忠行の姿があった。助かった童子丸は忠行に飛びつこうとしたが、師が持っていた扇で頭をはたかれてしまう。
「痛い〜」
「お前は!人より才があるからと言ってもまだ未熟な童なのだぞ!!もしものことがあったらどうする?」
「俺は絶対にあの程度の連中にやられたりなんかしねーぜ?」
鴉を全て撃破した疾風と、威都樹を乗せた朱雀が地上に戻ってきた。威都樹を降ろすと、朱雀の姿がかき消える。
「ええと……私は恐らく駄目かと思います」
「そうだな、威都樹は完全に足手まとい状態だったからなー」
「普通の人間なら当たり前ですよ!!」
「お前、あの御山って腹立つ場所で修行してるんだろ?童子丸以下でどーすんだよ」
「あの子は特別なんです!忠行殿も仰っていたでしょう。それに私は修行をしていたわけではないんですよ。勉学は好きですが」
まるで子犬どうしの喧嘩のような疾風と威都樹のやりとりをよそに、忠行は社の周囲に満ちている異常な気配に思いを巡らせた。
(社に強力な結界が張ってある――まるで中にいる者を完全に閉じこめようとしているようだ)
無論、これは明らかに人為的なものだ。そして、道真公がこの中にいるという占の結果。何らかの異変を感じずにはいられなかった。
「っと、そうだ。邪魔者が消えたんだから、とっとと道真を引きずり出さねぇとな」
「それは私が致しましょう」
「忠行殿!?」
「お師匠様、何で?」
「少し、いやかなり気になることがございましてな。是非道真公にお話を伺うべきだ、と判断したのです」
「ふーん。俺は自分でこの扉ぶち破った方が良いと思うんだが」
「恐らく無理でありましょう。社には、人間はおろか霊的な存在の接触すらを拒む術がかけられております」
「ならば、どのようにして?」
「威都樹様の疑問もごもっとも。私がこの術を破る事は可能ですが、複雑な手順とかなりの時間がかかります。ですが、もっと簡単に済む方法がたった一つございますぞ」
それは、と、忠行は威都樹の双眸を覗き込んだ。
「貴方様のお身体を、道真公の寄依として使うことです」
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