5.賀茂邸への来客

 夜は雷鳴の後豪雨があったが、明けてみると一転、空は露草の花色に晴れ上がっていた。
「おはようございます、疾風さん」
「お前、一体何眺めてるんだ?」
「この庭ですが、植木の配置と言い遣水やりみずの通し方と言い、とても風流に造られていると思いません?」
「俺は別にそうは思わないけどな。むしろ、お前が籠もってた山の辺りの景色の方が、俺にとっちゃ随分良く見える」
 威都樹は変だとでも言いたげな目をしたが、何も口に出そうとはしなかった。
「疾風様、威都樹様」
「お、童子丸じゃねーか」
「私達を気遣って、朝のご挨拶に来てくださったんですか?」
「こんな狭いお屋敷でだから、お二人が良く眠れたかどうか心配だったんだ」
 年齢不相応のませた言葉からかえって利発そうな印象を受け、威都樹は童子丸の頭を撫でた。
「そんなことはありませんよ」
「ああ。あのぼろ小屋よりはずっとマシだからな」
「また、昨夜と同じことを仰って!!」
「もう少しでお師匠様の式神がお二人に朝餉を運んでくるよ。食べ終わったらお話しして欲しいなぁ」
「忠行殿は?」
「朝早くから、お忍びでいらっしゃってる方がいるんだ。今はその方と会ってるんだよ」
「恐らく、何者かが呪詛をしたから打ち返してくれ、など、そのようなお話をなさってるんでしょうね」
 表向き華やかに見える宮中は、その裏に貴族達の黒い思惑と争いを孕んでいる。政敵を陥れるために巷間の術者を使って呪をかけるなどと言うことは、ごく普通に行われていた。
「道真公のようなめに遭われる方が、どんどん増えていくのでしょうね、これからも――」
「おい、お前何道真に同情的な口調してんだよ。あいつは俺の御雷を誘拐したうえに、無理矢理雷を落とさせてんだぜ!」
「じゃあ、お二人が都に来たのは、都を襲ってる道真公の怨霊が関係してるの?」
「どうやらそのようなのです」
「それ、御雷って方を助けるためなんですね。その方は疾風様の妻なの?それともあいじん?」
「てめ、ガキのくせに変なこと言うんじゃねぇ!」
 疾風が童子丸の頭を小突く。
「あの、考えたのですが、もし忠行殿と客人のお話が、怨霊と関係していたら――?」
 三人は、思わず顔を見合わせた。

「――それで、今日はどのような用件で参られましたかな?」
「忠行殿のことだ、とっくにお見通しなのだろう?最近都で頻繁に起こる落雷事故のことだ。兄や皇太子となった皇子様方の相次ぐ死、疫病の流行などの災厄が道真公の怨霊の仕業だと言われてもう何年も経つ。兄達に失脚させられた無念ゆえかと思い、墓所に建てられた祠を立派な社に建て換えて祀ったものの、未だ怨念は晴れないものなのか」
  そう言って扇で掌を叩いたのは、藤原忠平ただひら。今は亡き、あの時平の弟である。
「確かに、最近雷の被害にあっておられるのは、時平公に縁の深かった方々ばかりのようですな」
「わしにもいつ何時被害が来るかわからん。それゆえ、何か災厄避けの方法でも無いかと思い、こうして忠行殿に内々に相談に参ったのだ」
「北野の社で魂鎮たましずめの祈祷などをなさって、道真公をお慰め申し上げなすってはいかがでしょうか」
「無論、そうしておる。だが、二十年以上も祟り続けている怨霊でもあるのだ、とてもそれだけで災いが避けられるとは思えん」
「なるほど、そうでしたら、何か策を講じておきましょう」
(権力の中枢に座している貴族達は、自らが犯した罪の報いを怖れて、良心の呵責に呵まれ続けるというわけか)
 考えてみれば哀れな話だ、と忠行が思ったのは、何も今が初めてではなかった。
(しかし、だからこそ我々のような陰陽師が彼らに必要とされる。皮肉なものだ……)
 忠行がそのようなことを考えている、その真下では――。
『ははぁ、道真の奴、北野に祀られてやがるのか』
「どうしてこのようなところを這い回らなければならないんでしょう?衣が汚れてしまいますよ」
「仕方ないよ、床下じゃないとお師匠様達に見つかっちゃうし」
『おい、あまり声出すなよ。忠行に気付かれるだろ』
(そう仰る疾風さんは人の身体に乗り移って楽をなさっているから、いいですよね)
『何を……!』
 しばし、沈黙。
「威都樹様、疾風様は何て言ってるの?」
「すぐにでも北野に行きたいそうです……(涙)」
 どうやら威都樹は自分の身体の中で、またも疾風に言い負かされてしまったらしい。

「ところで、北野へは徒歩かちで行かねばならないでしょうね」
 三人は、忠行に気付かれぬうちに元の場所に戻ってきている。疾風は既に威都樹の身体から出ていた。
「うん、お師匠様に気付かれたら、絶対に止められると思うから」
「んな、犯人はもう決まってんだから、様子見なんてまどろっこしいこと出来るかよ。さっさと行って奴をぶちのめせば良いんだ」
「疾風さん……そのような血の気の多いことを……」
「ねぇ、僕も行って良いでしょう?」
「北野まで牛車で向かうのでしたらともかく、徒歩で赴くのです。流石に童子丸には無理でしょう。残った方が良いのでは?」
「平気だよ、式神に連れてってもらうから」
「式神!?あなたはもうそこまでの術が使えるのですか?」
 確かに昨夜、忠行は童子丸の陰陽師としての素質を褒め称えていたが、よもや五歳かそこらの童にそこまでの術が使えるとは、誰も考えすらしないであろう。
 驚いている威都樹と、道真を締め上げることしか眼中にない疾風を後目に、童子丸は表に近いところに出て、何やら手招いているような、そんな仕草をしている。
 すると、天高くから真っ赤な小鳥が一羽、舞い降りてきた――かと思うと、瞬時に人が一人や二人は軽く乗せられるほどの大きさに変化した。
「見て見て。僕の朱雀すざくだよ。他の式神もいっぱいいるけど」
「俺は自力で飛べるから、そいつにしがみつく必要はねぇよ。威都樹、お前だけ乗せてもらえ」
「やっぱり疾風様は神様だから、すごいんだね」
「お前もなかなかのもんだがな、まぁ、俺にはまだまだ敵わねーだろ」
「……どうしてこう、素直に誉めると言うことをご存じないんでしょうか」
「何か言ったか、おい」
「疾風さんの空耳ですよ、恐らく」
 そうしらばっくれた威都樹に、疾風は思わず舌打ちした。威都樹も、疾風と行動するうち、徐々に図太さが出始めてきたのかも知れない。

「童子丸め、式神を呼んで表に出たか」
 忠平が供を連れて帰ってしまうと、忠行は深く溜息を吐いた。実は、床下で会話を聞かれていたことなど、とうに忠行にはお見通しだったのだ。
(姿を隠しただけでは気配は消せぬ。私だったら自らは動かず、隠密行為は式神に任せるぞ)
 才能はこぼれるほどにあるとは言えども、童子丸はまだほんの幼子だ。思考が至らぬところは、まだ時間はたっぷりある、おいおい教えていけばいいだろう。
「――が、今はそれどころでは無いな」
 間違いなく、童子丸が向かったのは北野だろう。そして、あのめっぽう威勢の良い風神と、皇子も同行していると断定できる。
 あの面々では都をうろつく物騒な連中に対しては何の心配も要らないが、問題は、疾風がしようとしていることである。北野の社に無体を働いてでも道真公を引きずり出しかねない。そうなったら流石に大問題だ。そして、それによって威都樹――ありうべからざる、特別な意味を持って生まれてしまった皇子――に何かがあったら、ただでさえ最近の不幸続きでふさいでおられる帝を、更に苦しませたまうことになってしまう。
 忠行は傍らに控えている式神に、
「早急に北野に向かうゆえ、供をせよ」
 と言うと、すぐに車を用意させた。

「ひっ…えぐっ……」
 外からの光を一切通さないよう、厳重に戸締まりのされているらしい場所に、彼女はもうずっと監禁されていた。
 ここに召喚された時、すぐに逃げようと思ったのだ。しかし、あの法師は彼女の力を封じ、思うままに強制的に使役するすべを心得ていた。
 以来、無理矢理落雷を落とさせられるとき以外はここに封じられ、逆らうことも出来ず、元来乱暴なことが嫌いで、できない彼女はただ泣き伏すのみの日々が続いている。
 今頃、雨乞いの儀式(実際は、そうと見せかけた罠であったが)で呼ばれて帰ってこない自分を、恋人が心配しているに違いない。彼は御雷が地上に降りる時はいつも駄々をこねるようなひとであるゆえ、恋人を想い彼女の心は更に涙でしとどに濡れるのであった。
「疾風さん、疾風さん……」

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