4.童子丸どうじまる

――一条戻橋。あの世とこの世の境目とされる場所。
 陽が今にも西に沈んでいかんとする時間で、そろそろ恋人のもとを訪れようと男達がそわそわし出す頃合いだが、この橋の周囲にはそのような艶めいた雰囲気など微塵も感じられない。
「何だか、寒気すら感じますね、ここは……」
「そりゃ、黄泉への入り口だからな。ただの人間だって感覚的に嫌な感じがするだろ」
 確かに疾風の言うとおりで、だから人通りが少ないのかも知れない。穢れや祟りを何よりも怖れる都人達が、敢えて危険を冒すことは無いと言って良いだろう。
「――それで、疾風さん。私達はここで何をするんですか?」
「何言ってんだよ。こっから黄泉に乗り込んで、道真を引きずり出すに決まってんじゃねーか」
 さも当然だとばかりに、言い放つ疾風。加えて、威都樹をあきれ果てた目で見ている。
「そ、そのようなことが出来るわけは無いではありませんか!!生者が彼岸まで行くなど、聞いたこともありませんよ!」
「お前は無理でも、俺は入るだけなら出来ないことは無いぞ」
「……」
 威都樹は既に語る言葉も無くなってしまっている。つくづくこの風神は、とんでもないことばかり考えてくれるものだ。ついていくのは困難を極める――最初から思っていたことだが。
「では、私はここに残っていればいいんですね?」
「馬鹿か。もちろん連れてくぞ」
「ですが、貴方は先程、私には無理だと――」
「そりゃあお前が自力で行くのは、って意味だ。俺がいればなんとかなるって」
「なりませんよっ!!」
 そのように、二人が言い争いをしていると、背後から幼い声で
「もしもし……」
 と、声をかけられた。
「ひぁあっ!!」
「うわっ!?」
 突然のことで、威都樹のみならず疾風までが飛び上がる。
「なな、何だ、驚かせるな!」
 異様に顔を赤くした疾風が、怒声を上げて声の主の方へ向きなおる。だが、相手がまだ五つになるかならぬかという可愛らしいこどもなのを見て、振り上げた手は勢いを喪った。
「お前、まだガキじゃないか。こんな時間に出歩いたら、夜盗なんかに襲われるぞ」
「そうですよ。見たところ、あなたは貴族の子息でしょう。一刻も早くお帰りになられた方がよろしいですよ」
「あなた方こそ、このままここにいたら百鬼夜行に出くわすよ」
 子供の、歳にそぐわぬ落ち着き払った態度に、思わず二人はぎょっとする。まるで臈長ろうたけた大人を目の前にしているかのような気さえする。
 二人のそんな動揺を知ってか知らずか、子供は疾風達の顔をまじまじと覗き込んだ。
「それに、髪の短い方は人じゃないでしょう?こんなところにいるなんて、何か事情があるの?」
「なっ……あでででっ!!」
 素性が知れぬよう、頭から笠を深く被っていた疾風は、思わずその場を飛び退き、背中を欄干にしたたかにぶつけた。
「疾風さん、大丈夫ですか?」
「これ、童子丸。不躾に他人の顔を見るではない」
「お師匠様!」
 その時、近くに停められていた牛車から、一人の男が身を乗り出して、子供に声をかけた。直衣のうし姿が品の良い、壮年の貴族男性だ。
「お師匠さまぁ?ったく、そこのあんた!このガキの保護者なら、もうちょっと管理をしっかりしてくれよ!!」
 腰をさすりながら、疾風が怒鳴る。
「疾風さん、そのような物言いをされては、相手の方に失礼ですよ!」
 威都樹の懸念とは裏腹に、貴族男性の方は全く動じた様子が無い。あまつさえ供の者に命じて車から牛を外させ、降りて彼らの所までやって来た。
「お二方とも、身分の低い者の出で立ちをなさっておられるが、大変高貴な方々であらせられるとお見受けいたします。弟子が大変失礼を致しましたな」
「いえ、お気になさらないでください」
「俺は気にするぞ」
「疾風さん、お願いですから自らもめ事を引き起こすようなことを仰らないでくださいよ!」
 二人のやりとりに、男はさも愉快そうに笑った。そして、疾風の方を向く。
「とにかく、私の屋敷にいらっしゃると良い。人ならざる御身に、我が邸がお気に召すかどうかは判りませんが」
「あんたまで、一目で俺が人間じゃないと判るのか!?」
「疾風さん、市女笠が取れてます……」
「あ゛」
 月明かりの下、疾風の緑青の髪が揺れ、瞳が獣のように光った。

 結局威都樹達は貴族の申し出を受けることにして、牛車に一行は乗り込んだ。上座を奨められて、疾風は機嫌を直したようだ。
「私は賀茂忠行かものただゆき、そしてこの子は弟子として預かっている安倍あべ家の童子丸です」
「なるほど、陰陽寮に使えていらっしゃる、高名な陰陽師の方とそのお弟子なのですか。私は威都樹、こちらは疾風さんと申します」
「お前が未来の陰陽師、ねぇ……」
「幼いと言って侮りになられるが、この子はただならぬ才を秘めておりますぞ」
 確かに、童子丸の先程の立ち居振る舞いは、彼が並の子供では無いと感じさせるに充分だった。
「生まれながらにしてあやかしを見、以前は私を救ったこともあるのです」
 話題の渦中にある子は、忠行に頭を預けて、夢の世界を彷徨っていた。
「眠っている姿はただの童と何ら変わりませぬが。私にも跡継ぎとなる息子がおりますが、童子丸の力はそれ以上。あまり遠くない将来、この忠行を超える希代の陰陽師になるでしょう」
「忠行殿がそこまで仰られるとは――そんな希有な方を、今目の前にしているんですね、私達は」
「希有と仰るならば、それはむしろお二方の方でしょう。並々ならぬ神気を持つ神と、『本来皇子みこにお生まれになるはずではなかった』帝の御弟君なのですからな」
「こちらからはまだ素性を申し上げていなかったのに……!」
「何、お前陽女ひのめのクソババァのすえだったのか!?」
「疾風様からだけでなく、威都樹様からも強く、特別な『気』を感じまする。それに、私はあなた様がご誕生された折りのことを色々と知っておりましてな。お名前を伺って、はぁ、なるほど、と合点がいったのです。名というものは『モノ』の本質を象徴しますからな」
 そう言うと忠行は意味ありげに笑った。
「ところでさぁ、あんた陰陽師なんだろ。黄泉への道を拓く呪法、知らねーか?」
「黄泉とはまた、天つ神のお一人が物騒なことをおっしゃる」
「ちょっと、ツラ貸して欲しい奴が、あっちにいるからな。俺なら無理すりゃ入れるだろーけど、こいつを道連れにするのは厳しそうだからさ」
「だからどうして私が道連れにされなければならないのですか!」
「残念ながら、泰山府君たいざんふくんの御心を動かすというのは、容易に出来ることではありませぬ。黄泉に下るには、陰陽のことわりを知る才とは全く別の才を必要といたしまする。言うなれば、体質のようなものですな」
 疾風はちっ、と舌を鳴らした。
(最初から疾風さんお一人で黄泉に参られれば良いのに……)
 などと、威都樹は思っていたのだが。
「事情はお伺いしておりませんが、別のかたちで疾風様のお望みを叶えて差し上げることはできるかもしれませぬ。屋敷に着きましたようですし、今宵はごゆるりとお休みください」

 疾風と威都樹が通された部屋は、流石に宮仕えの長い貴族の屋敷らしく、隅々まで品良く整えられていた。
「あの寺の小屋とは大違いだな、全く」
「仕方ありませんよ、疾風さんをかくまっていたことを明かすわけにはいかなかったんですから」
「ところでさぁ。俺たちを部屋に案内した召使い、人間じゃ無かったぜ。あの忠行って奴、口だけじゃ無さそうだな。こうなりゃ御雷捜しに付き合って貰うか」
「どうせ疾風さんのことですから、最初に声をかけられた時からそうなさるつもりだったんでしょう?」
「あら、ばれてた?」
「疾風さんのそう言う考え方は嫌と言うほど実感していますから」
 その時、表から遠雷の音が届いた。反射的に疾風の顔が音の方を向く。
「御雷……絶対に俺が助けてやるからな」

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