3.東市ひがしのいち

 疾風と威都樹は、それから何とか無事に(御山の麓でのような、ならず者とのいざこざも無いでは無かったが)旅を続け、漸く都にたどり着くことが出来た。緑の髪が目立つという理由で、疾風は威都樹が用意した女物の衣と市女傘で取り敢えず扮装している。大変、準備の良いことである。なお、威都樹の方は寺を出たときから、稚児姿をやめ小舎人のいでたちをしているのだが、これなら都を歩き回っても怪しまれることはない。
「ふーん、これが噂に聞く京の都かー」
 疾風は物珍しそうに辺りを見渡していたが、数年前までここに暮らしていた威都樹にとっても、朱雀大路の光景は懐かしいものがあった。最も、当時はこのように自分の足で地を踏みしめて歩く、という事は全く無かったのだが。
「疾風さんは京は初めてなのですか?」
「ああ、風神おれはあまり人間に呼びつけられるなんて事ないしな。ましてや、実体化した状態で昼日中歩き回るなんて、ここ数百年に何度あった事か――」
「す、数百年、ですか」
 流石相手は神様である。時間の単位が人間の威都樹とは根本的に違う。
「あいつは逆に、毎年のように秋津島のどっかから呼び出し喰らってるけどさ」
「『あいつ』?それは、もしかして疾風さんが捜している方ですか?」
 そう言えば、威都樹は疾風が捜している相手について、何も聞かされてはいなかった。
「ああ。御雷みかづちって言って、名前の通りの雷神さ。雨もあいつの管轄下にあるから、雨乞いの為に呼び出されるって訳だ」
「なるほど――……」
 雨を呼ぶ雷神が消えたままでは、各地の民が随分と困る事だろう。威都樹は神妙な顔になった。確かにこれは、重大な事件だ。
「でな、でなっ」
 ところが。そこで急に疾風の顔が、にやぁっ、と崩れた。
「?」
「御雷はな、こう、色が白くって、ちっちゃくって可愛かーいくって……でなでな、髪の色はこう、豊作の年の稲田みたいな黄金色で――」
 疾風の語り口調が、明らかに変わっている。威都樹を脅すときとは正に天と地の差だ。
「眼もくりっとしてて子供っぽい感じなんだけどな、そこがまたいいんだよ!で、何が一番ぐっと来るかって言うと、仕草のいちいちが悩殺的に可愛いんだ。自分の起こした雷に『きゃっ』って驚いて、耳を塞いじゃったりしてよ……」
「疾風さん、もしや、貴方はその方に好意を持っていらっしゃいますね?」
「〜〜、そんな、持って回った言い方するなよなぁ。そうだよ、俺は御雷に惚れてるよ!あいつは俺の大事な恋人だからな」
「つまり。疾風さんは言い交わした相手が居なくなってしまったのを心配しているわけですね?」
――人間達の未来を心配した訳ではなく。やはり疾風は自分本位ということか。
「はぁ……」
 思わず溜息を吐く、威都樹。
「それで、疾風さん、これからどうするおつもりなんですか?」
「へ?どうする、って?」
「何を仰ってるんですか!御雷さんを都で捜す、と言ったのはあなたですよ!」
「そうだった。悪ぃ悪ぃ」
「それで、何か手がかりはあるんですか?御雷さんが呼び出された先とか……」
「それが、これっぽっちも無いんだな、これが」
「何ですって!?それでは手の着けようが無いではないですか!」
「だってよ、御雷が地上に呼び出されるなんていつもの事だし、誰もんなこと気にしなくってさぁ」
「そんな!だから今回のようなことが起こるんですよっ」
「だからさぁ、俺だってそれはちゃんと反省して、都に着いたら何をするかちゃぁんと考えてあるんだぜ」
「ほう、じゃあ、それをお聞かせ願えませんか?」
 よほど鈍い人間でなければ、威都樹の言葉に含まれた棘を痛く感じるだろう。いつの間にか、彼の方が事態の深刻さに腹を立てている。だが、疾風は、いつもの通り少しも動じてはいなかった。
「仮にもここは都って言うぐらいだから往来の人間の数は多いだろ?だから、辻占つじうらをするぜ」
 辻占とは簡単に言えば、その字が示すとおり、人通りの多い辻に身を置いて、人々の噂話から問題の打開策を得るものである。
 確率は低いかも知れないが、最近何処かで雨乞いをした、とか、金髪の物の怪がいた、とかいう噂が流れているかも知れない。
「なるほど、確かに、現状ではそれぐらいしか打つ手はありませんね」
「威都樹、都でなるべく人がたくさん集まるところと言えば?」
「やはり、市、でしょうね……」
「よし、威都樹、俺を市まで連れて行け」
「そんな簡単に言われても、私も都の地理に明るいわけではないんですよ」
「俺はお前より更にわからないんだ、だから案内しろ」
「そんな無茶苦茶な――」
 だが、他にどうしようもない。威都樹は、仕方なく道端の人を捕まえて、道を訊く羽目になった。

 疾風達は運が良かったらしい。丁度、この日は東市が開かれていた。
 威都樹が見たこともない程の庶民達が、そこここで活気に満ちあふれた掛け合いを演じていた。ある者は取引をし、またある者は品の値段が高いと値切りに精を出している。中には往来で喧嘩している者達までいた。実ににぎやかである。
「おい威都樹、あれ美味そうだぞ。喰ってみないか?」
「疾風さん、貴方、御雷さんが大切な割にはよく本来の目的を忘れますね」
「それはそれ、これはこれ。腹が減っては戦は出来ぬ、って言うだろ?それとも何、お前、何も食べずに生きていける身体なのか?ん?」
 それは疾風自身の方だろう。しかし、ここで言い争っても威都樹に特になるような要素は何も無かった。寧ろ、長引けば長引くほど自分の不利になる。それが、ここ数日で身にしみて解ってきた威都樹である。
 仕方がないので疾風の要求を呑み、食べ物を買ってそれを食べながら市を歩き回った。女に扮している疾風がそうするのは極めて違和感があるのだが、本人は例によって全く気にしていない。一方、威都樹はその間も一生懸命耳を澄ませ、道行く人の会話を何とか聞き取ろうとしていた。
「……この辻が、この付近でで一番人が通るところだな」
「疾風さん、人が多いですから、流されないように気を付けてくださいよ?」
「お前じゃないんだから、そんな心配は無いさ」
「――。――」
 最早言葉を返す気力もない。威都樹は、自分が今出来ることを最優先にすることにした。
 しかし、市で人々が交わす噂話は、殆どつまらないと言っていいものばかり。
『……のお屋敷で……ああ、……らしいぞ――』
『――条で……の牛車が横転して――』
『――邸に使えている――に誘いをかけているんだが……』
 ずっとこんな調子なので、威都樹は次第に気力が萎えてきた。そうなると、途端に足の裏が痛みを感じ、腰が重くなってくる。それでも威都樹はしばらくの間我慢していたが、とうとうこらえられなくなった。
「疾風さ――」
 しかし丁度その時、天はようやく威都樹達に味方をしたようだ。向こうから歩いてきたのは、何処かの舎人らしい二人組の男。
『おい、聞いたか。昨日の雷、やっぱり何処かの家に落ちたらしいぞ』
『知っている。また、先の左大臣の縁者らしいぞ。最近とみに多いなぁ』
 疾風と威都樹の側を通り過ぎていった男達は、もう人混みに紛れていなくなってしまった。
「今の聞きましたか!?疾風さん!」
「ああ。確かにあいつら、落雷事故が多いって言ってたな」
「しかも、どうやら特定の条件を満たした所に落ちているようですね」
 その事に、何か作為的な匂いがする。
「とにかく、落雷があった場所を見てみませんか」
「だな」
 明確な目的が出来たため、疾風達は片っ端から通行人を捕まえて、最近落雷事故のあった家屋敷の場所を訊き出した。

 最初に二人が訪れたのは、先程の舎人達が話していた屋敷だ。雷はどうやら屋敷の中心を貫いたらしく、大工らが出入りして修理にあたっている。
「当たりだ、この周りに御雷の気配が強く残ってるぜ」
「?それは、一体どう言うことなのですか?雷が落ちたのだから、当然でしょう?」
「確かに、神々おれたちがいなければ風も雷も、この秋津島の森羅万象は存在しないが、別に全てを自分の意志で引き起こしている訳じゃない。解るか?」
「ええっと――胡乱うろんには……
「俺達は、人間に呼び出されたり、注連縄とかなんとかで身動きを封じられてさえいなければ、居るだけで勝手に自然の方が動くんだよ」
「はぁ……」
「御雷は雷神って役柄に似合わず優しいからな、自分から人間の屋敷に雷を落とすなんて事、天地がひっくり返っても考えられねぇ」
「やはり、疾風さんは御雷さんが何者かに呼び出され、何らかの目的のために利用されているとお考えなのですね?」
「本当にそうかどうか確かめるために、威都樹、これから聞き込みだぞ。ここが終わったら、別の場所に移動だ」
「はい!――あの、疾風さん、どうして動かれないんですか?」
「何言ってるんだよ、そう言う下っ端仕事は手下の役目だろ?ほれ、行った行った」
「そんな!それは無いでしょう?」
「ばーか、俺が行って、万が一正体ばれたらどうすんだ?お前も道連れで怪しまれるだろーなぁ♪それで、俺は逃げおおせて、お前だけ検非違使に捕まって――」
「ううう……解りました……」
 それから、疾風達は日が暮れるまでに落雷現場を回れるだけ回り、その周辺でも可能な限りの聞き込みをした。
 その結果解ったのは、落雷事故に遭っているのは、やはりあの舎人達が言うとおり、二十年前に死んだ左大臣と少なからず縁があった貴族達であり、時には更にその使用人にまで被害は及んでいたという事だった。そして、それらの場所全てで、疾風は御雷の気配を感じ取ったのである。
「これは、決まり、ですね」
「ああ。どーやら、御雷を呼んだ奴は例の左大臣に恨みがあるようだな。今度はそれを調べねーと――って、どうした、威都樹、何考え込んでいるんだ?」
「確か、当時の左大臣は藤原時平ふじわらのときひら公……そう言えば、聞いたことがあるような気がするんですが――」
「何っ!?威都樹、何でそれを早く言わねーんだよぉっ!!」
「うぐぐぐぐ、く、苦し――疾風さん、離してくださいっ、私だって、つい先程思い出したばかりなのですよ」
 疾風が威都樹の襟首を解放すると、威都樹は激しくむせこんだ。それが収まるのを待ってから、威都樹はずっと昔に聞いたことを語りだした。
「確か、時平公は当時右大臣だった菅原道真すがわらのみちざね公を陥れて、道真公は太宰府に左遷され、その地で無くなられたそうです。それから間もなく時平公や陰謀に関わった方とその縁者に次々と不幸が起こり、その中には私の身内も含まれていたのですが、それが道真公の祟りだとか――」
「それだ!!」
 疾風は勢い良く威都樹を指し、それが余って眉間を突かれた威都樹はよろめいてしまった。

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