10.嵐のあと、そして――

「御雷、大丈夫か!?」
「は、はやてさ……うあぁぁぁぁぁぁん……っ!」
 意識を失った法師からの呪縛を逃れ、その身体から脱出することが出来た御雷は、疾風を見るなり彼に取りすがって泣いた。疾風は恋人の黄金の髪を黙ってなで続けた。

「童子丸!!」
「お師匠様っ!」
 血相を変えてやってきた忠行は、弟子の顔を見るなり頭を思いきり殴りつけた。
「い、痛いよう〜〜〜」
「馬鹿者!屋敷に戻っていろとあれほど言っただろうが!」
「忠行殿、こうして事は無事に片づいたのですし、童子丸を許してあげては……」
「いいえ宮様。こう言ったことにはけじめが必要なのです」
 憤然と言い放った忠行だが、声色の端々に愛弟子を心配する想いが滲み出ていた。
「あ゛ーっ!」
 こぶの出来た頭をさすりながら、童子丸が柱の方を指して騒いでいる。
「あの人、逃げちゃったよ」
「嘘だろぉ!?完膚無きまでに叩きのめしてやったのに。くそっ、いっそぶっ殺しときゃ良かったぜ」
「疾風さん」
 御雷が、両の掌で疾風の頬を挟んだ。そして小首を傾げる。
「そんなことをしたら……めっ、ですよ?」
 途端に疾風の頬がゆるゆると崩れた。頬が紅く染まっている。
「御雷様、酷い目に遭わされたのによくそんなこと言えるねぇ?」
「だって、疾風さんが助けに来てくれたから、もう良いの」
 そう言って御雷は口元の前で小さい蓮花のような手を合わせ、無邪気な笑顔を見せる。世に伝えられている雷公の姿とは確かにほど遠かった。
 威都樹は、忠行にこれまでの事件の黒幕は忠平であった事を含め、彼らが知ったことを全て話した。
「なるほど――しかし、忠平殿のことだ、恐らく証拠は残しておるまい。しかし、その逃げた法師とやらは相当な使い手だったようだな」
 巷にも凄い陰陽師が隠れているものだ、と忠行はひとりごちた。

 疾風達は騒ぎを他人に嗅ぎ付けられぬうちに、忠行と共に賀茂邸へと戻っていた。威都樹は兄帝の事が気がかりだったが、自分の存在を公に出来ないため、我慢するしか無かった。
 威都樹は、座り込んで庭を向いている疾風を見かけ、そっと彼の肩に触れた。
「どうした、威都樹?」
「お訊きしたいことがあって……あの、疾風さん達はこれからどうなさるんですか?」
「無事に御雷を助けたことだし、もと居たとこにでも戻らにゃあな。威都樹、そう言うお前は?」
「私も、父上と兄上に居るよう言いつけられた所に戻りますよ――あっ!?」
 威都樹の顔から見る見る血の気が引いていく。
「ど、どうしましょう、黙って御山を降りた事、叱責されるに決まってます!!」
「あーあ、知らねぇーっと」
「そんな!そもそも疾風さんが私を脅して連れだしたんでしょう!?」
「良いじゃねぇか、お陰でお前の兄貴があの連中に殺されなくて済んだんだからよ」
「ですが――」
「俺、お前に感謝してるんだぜ?」
 突然の、思っても見なかった疾風の台詞に、威都樹は一瞬言葉に詰まった。
「お前が身体を貸してくれなかったら御雷は助けられなかった。ありがとよ」
「いえ、そんな……」
 そこに、ぱたぱたと何者かが歩く音がし、疾風の顔色がぱっと輝く。
「みかづち〜♪」
 照れた威都樹に全く構うことなく、疾風は恋人に飛びついた。
「きゃっ」
「……」
「よーし、さっさと帰るぜ。お前もずっと帰れなくて故郷が恋しいだろ?」
「うん、きっとみんな心配してましたよねぇ」
 疾風は御雷をそのまま抱き上げると、表に出た。両脚は地に着いてはいない。
「疾風さん、今帰られるのですか!?」
「ああ、今まで世話になったな、って、童子丸や忠行の奴に言っといてくれよな」
「あ、わたしからもお礼言っておいてくださいねぇ」
 二人はみるみるうちに天に向かって上昇していく。威都樹も慌てて裸足のままで飛び出した。
「疾風さん、御雷さん、お二人ともお元気で!!」
「おぅ!また御山に遊びに行ってやるから、覚悟しとけよっ!」
「……え?か、覚悟!?」

 帝は何人もの殿上人や女官に被害が出た落雷事故の直後、心労が原因で病に倒れ、暫く後に崩御された。
 そして数十年後、時の帝の命により北野にて道真を祀る祭が行われ、天満宮の社殿が建った。それから長い時を経て、道真は祟り神と言うよりむしろ学問の神として広く信仰されるようになる。
 忠平の命で暗躍していた法師のその後は知れないが、希代の陰陽師として成長した童子丸――安倍晴明あべのせいめいと再び相見えることもあったかも知れない。
 そして。
 決してその存在を表沙汰に出来なかった威都樹も、御山に戻ってからどのような日々を過ごしたのか、後の世には伝わっていない。
 だが、恐らく彼のことを気に入った風神や雷神に振り回されて、平穏と言えない人生を送ったことだろう。いや、ひょっとすると……。

 年の暮れも近づいた頃。休日の北野天満宮の参道は、屋台と参拝客でごった返し、なかなか前進出来そうにない。
「ま、待って下さいよ、お二人とも」
「おい、威都樹!もたもたすんじゃねーぞ」
(ここも、あの時とは随分様子が変わってしまいましたね)
 結局、疾風らとは想像以上に長い付き合いになってしまっている。先程会ってきた道真や、これから会いに行く予定の童子丸もきっと威都樹と同じ気持ちだろう。
「ほらほら、飴細工。あのウサギさん買って良い?」
「んー、仕方ねぇなあ。御雷は相変わらずこういうのに弱いんだからよ」
 そう言う疾風も、御雷に甘いのは相変わらずである。二人の様子に苦笑しながら、威都樹はもう一度背後を――そして、千年以上昔の懐かしい時を振り返った。

〜了〜

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