「なっ――こ、これは一体!?」
アイスヴァインは、瞠目した。
風が去った後に、カッツェの姿は影も形も無い。
アイスヴァインとの争いで薄れていた、菜那緒の「認識」が徐々に戻ってゆくにつれ、輝きの流れが周囲に広がるように「見え」た。
その正体が、豪奢な金髪であるのに気付いた時、かの髪の持ち主が菜那緒に声をかけた。
「危ないところでしたわね、カッツェ様」
「キャンティ……?」
波打つ黄金の髪と海の瞳は、古来から男達の心を掻き乱す要因。
加えて、ミルク色の肌と豊満な曲線の誘惑。キャンティはそのような女夢魔だった。
「どういう、ことなの?」
「あなた様が今一歩でアイスヴァイン様に倒されるところでしたので、わたくしがお助け申し上げたのですわ」
「そうじゃなくて、『何故』助けたのか、と言うことだわ。私は転生を選んだ時点で既に、あなた達を裏切っているよ。それだけじゃない、もう、何人もの夢魔を夢界から消している」
アイスヴァインの思惑は、人間としての『菜那緒』を消し、再び夢魔の女王『シュバルツカッツェ』に還すこと。そしてそれは、先程まさに達成されようとしていたのだ。もし彼女が介入した事が発覚すれば、キャンティはただですまされる筈が無かった。
だが、当の本人の表情には、困惑も後悔も、無い。
「勿論、伊達や酔狂でこのようなことをしたわけではございませんわよ。きちんと目的があっての事ですわ」
キャンティは、いったん言葉を切り、微笑んだ。
それがあまりにも華やかだったため、菜那緒はキャンティの言葉の続きをにわかに信じることが出来なかった。
「カッツェ様には、アイスヴァイン様を消して頂かないと困りますもの」
「えっ――!?」
美と力の差こそは、夢魔の上下関係に於ける絶対の不文律。
誰よりも美しく残酷で、強いからこそ頂点に立っているアイスヴァインに、夢魔の身でこのように能動的な反抗を試みた者は、キャンティが初めてと言っても良かった。
「カッツェ様が夢界を去られた時から、ずっと考えておりましたの。あなた様はいずれ、アイスヴァイン様と対立なさる。わたくし自身は夢魔以外の存在になる事など夢にも思いませんけれど、一人の力ではアイスヴァイン様を打ち破る事など決してできませんわ。ならば、時が来たならばカッツェ様にお味方しよう、と」
そのためにキャンティは、力を振るう際に自らの存在を決して感じさせぬように研鑽を重ねてきたのだ、と語った。
「カッツェ様。わたくしと同盟をお組みくださらないかしら?」
(キャンティは上級夢魔でもかなり実力が高い――彼女が敵に回らない、という点だけでも、受ける価値はある)
「決める前に、訊きたいことがあるわ」
「何でしょう?」
「アイスヴァインを倒したい、その目的の内容を教えて」
「――アイスヴァイン様が居なくなれば、わたくしが愛するあの方は、心惑わせる事が無くなるでしょうから」
彼女もまた、ただ一つの想いの為に動いている。
菜那緒は、キャンティに右手を差し、誓いの握手を求めた。