「お前が人間に転生してから、逢うのは二度目か?カッツェ」
 冴えた銀色の髪、暗い蒼の双眸、絶望と魅了とが薄氷一枚で隔てられた冷たい美貌。
 全ての夢魔達の上に立つ王、アイスヴァインは、かつてシュバルツカッツェと呼ばれていた少女のおとがいを掴もうと手を伸ばした。
「嫌がらぬな」
「こちらは遭いたくないと思っていても、それは無理と理解しすぎているから」
 だが菜那緒は、アイスヴァインの鼻先に柄の長い天眼鏡の先端を素早く突きつける。
「ふ…ふふ……」
 満悦の表情で目を細める、アイスヴァイン。
 夢魔は美しければ美しいほど、強い力を持っている。彼に釣り合うほどの美貌を誇っていたのは、気まぐれな黒猫のように気高く誰にも媚びぬ夢魔だけだった――これまでは、そしてきっと、これから先もずっと。
「本当に変わっていない、その美しさも、誇り高さも――」
「そうかもしれない。けれど、私は昔とは違うのよ」
 両者の間を分かつ緊張。互いに、迂闊に動けない事を知っている。
「この夢、まさかあなたの仕業では無いでしょう?確かに彼女は汚れ無き処女おとめでしょうけど」
「我が好むのはただの処女では無い、抑圧され境界線上を彷徨う危うい精神を持つ者よ。知っておろうに」
「なら――あなたの目的は」
 さあな、とアイスヴァインは嗤った。
「気付いておらぬのか。この領域の娘、夢魔の力を持っている」
「何……ですって!?」
「あの巨大な海は娘自身が造り上げたものだ。其が我等と同質の力に因るものである以上、我がかの領域に干渉する事は出来ぬ」
 力関係とは別にもう一つある、それが夢魔の掟だった。互いの獲物は不可侵。たとえ一方が手を引いたとしても、二度と他者が喰い荒らす事は無い。
「だがお前はここに来る、桂陸朗の縁者の領域である限り」
 梢の間に張りめぐらされた蜘蛛の巣の、連想。
「あなた、偶然を利用したのね」
 菜那緒の顔が、不敵な微笑みを形作る。
「私をどうするつもりかしら?」
「今一度、転生して貰うより無かろう」
 刹那の閃光。飛び散る火花の幻影イメージ。離れる二つの意識からだ
 透き通った爪の、長く伸びたアイスヴァインの右手は人と変わらぬかたちをしていて、それがかえって人の目には不気味に映るだろう。
 菜那緒の振るった天眼鏡の柄を爪が受け止める、あしらう。返す腕の素早い動きが菜那緒の頬の辺りをかすめた。
(やはり、強い!)
 自分に相応しいのは彼しかいないのだと、一度は選んだ夢魔なのだ。
 アイスヴァインが胴に隙を見せた、と思った。柄の先端を突き込もうと動く、菜那緒。しかし一瞬早く相手の左手が彼女ののど頸を掴んだ。
「うっ…ぐっ……」
「終わりだな」
 なぶるかのように、アイスヴァインは視線を菜那緒に合わせる。
 次の瞬間。
 風か、矢か。瞬時に通り過ぎたものが二人の間を再び分かった。

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