(こいつ、俺と同じ名前なのか)
 たまには新聞のテレビ欄以外のところを読もう、と思ったら、偶然驚くべきものを発見してしまった。
『宝剣落葉氏(ほうけん・から=○○院議員)七月二日午後五時四十六分、急性心不全のため東京都○○区の病院で死去、55歳――』
 長岡落葉は、生まれたときから母親の顔しか知らない。母の京子が若いとき誰かの愛人になっていたということは、近所の主婦達や友達の親のうわさ話で知っていたが、生まれつき何処かさめたところのある落葉は京子に直接聞くことはしなかった。それが母を苦しめるのだと直感で知っていたからだが、子供らしくないその態度がかえって京子を哀しくさせたかも知れない。
 だが、今も独身を貫き通している彼女がたった一つだけ息子に語ったことがある。
『あなたの名前はね、あなたのお父さんと同じなのよ』
 オチバと書いてカラと読む、その名前は小学生の頃から同級生のからかいと好奇のまなざしを呼んできた。高校生になった今ではもう慣れたが、今朝の朝刊の死亡記事は久しぶりに落葉に自分の名前の奇異さを思い知らせた。
「落葉、朝刊もう良い?」
「ああ」
 落葉は京子に新聞を渡すと、無言で学校に行く支度をはじめた。
 いつも後ろから新聞を読む母の、すすり泣きが号泣に変わるのを、彼は玄関で聞いた。

 宝剣氏の葬儀が行われる日、制服姿の落葉は会場に訪れる喪服の人々の群を切れ長の瞳で見つめていた。
「代議士ともなると、葬式も大仰だな」
 あの朝の京子の様子で、突然自分の父親が誰なのかが判ってしまった。しかも、相手は既に世を去っている。落葉の心は自分ではどうにもならないぐらい複雑だった。
(こんなところに来て何になる?家族に俺は宝剣氏の隠し子なんです、とでも言うのか?)
 それはしめやかな儀式に混乱を引き起こすだけだ。今まで全てを自分一人で呑み込んできた京子もそれを望まないだろう。ならば、落葉自身は一体何を期待してここに来たのだろうか。
 やがて人々は会場へと吸い込まれ、取り残された落葉は自分の行動に迷った。
「葬式に来たんだから、焼香ぐらいするのが礼儀なんだろうけどな」
 中にはいるのはためらわれたが、それが自分の不可解な感情にけりを付けることになるのなら、と彼は意を決して会館の中に入った。
 そこは一面黒と白の波面のようで、冷たい静寂の中に流れるすすり泣きと僧侶の読経の声が落葉の脳を鈍く痺れさせた。
 視力には自信がある落葉は前方の遺族の席の辺りを見た。喪主を務めているのは見るからに京子よりも年上らしい上品な女性だ。また数人の男性に混じって落葉と同じ年頃であろう少女が二人、それぞれ真っ白なハンカチで目頭を押さえている。もしかして、彼女達は彼の姉妹なのだろうか。今更だが、宝剣氏には落葉や京子の知らない生活があるのだと思い知らされた。
 その時、落葉の腕を背の高い警備員が掴んだ。
「おい、君はここで何をしているんだ!」
「……」
突然の不意打ちだった。警備員の険しい表情に落葉は口をつぐむ。
(今、理由を言う必要はない。離してくれ)
 だが警備員は落葉の沈黙を別のものとして受け取ったらしく、乱暴に事情を問いただした。手首が痛んで堪らないので落葉は身体をよじる。それがよけいに悪かったらしく、やがて会場はざわめきだした。
「お前、何処の学校の生徒だ」
 もう一人の警備員が落葉に近づき、彼の制服の胸ポケットに入っていた生徒手帳を無理に取り出した。
「やめろ」
 落葉の言葉を無視し、警備員は手帳に挟まれた学生証を確認した。そして、信じられない、という表情になる。
「君、その、これは本名なのかね?」
 手首の痛みと手帳の強奪に急速に怒りを膨らませた落葉は、思わず激情に任せて叫んだ。
「ああ、そうだ。俺の名前は長岡落葉だ!」
 参列者のざわめきは、その一言で更に大きくなっていった。

 葬儀の後、落葉は会館の一室で、眼鏡をかけた若い男と差し向かいで座った。遺族の他の人間は、誰もいない。
(しまったな、カッとなって失敗してしまった)
 彼はただ名乗っただけなのだが、それは普通の名前ではない。代議士だった故宝剣氏(故人は名字もかわっていたが)と同じ、世にも珍しすぎる代物だ。そしてそれは京子の言葉に拠れば二人の血のつながりを意味している。宝剣氏の家族はそれを知っているのだろうか。いや、知らなくても落葉の名を聞けば何か思い当たるに違いない。
「――」
 落葉は黙っているしかできなかった。宝剣氏の社会的地位からして、落葉の登場で相続問題が起こるのはほぼ確実だ。京子に辛い思いはさせたくなかった。
「まさか、落葉殿に息子がいらっしゃるとは知らなかったな」
「え?」
 突然、男はにこにこした顔で口を開いた。それがあまりに以外で、落葉は警戒するような目つきで男を見た。
「これで、無事に跡継ぎ問題は解消された」
「俺が宝剣家の跡継ぎだって?」
 自分でも納得し切れていない自身の素性をあっさりと見破られた上、とんでもないことを言われた落葉の口調は自然と不機嫌なものになってしまった。
「あぁ、そうだった、まずは君と君の母親について訊かなければならなかったんだ」
 男は懐を探ると一枚の名刺を取り出した。そこには、「宝塔ホウトウ越智オチ」と書かれていた。

「では、君の母親は君の父親について殆ど何も教えてくれなかったというわけだね」
 越智は細い銀縁の眼鏡を一差し指で押し上げた。
「とにかく、急ぎDNA鑑定を行わなければ」
「別に俺はそんなつもりで来たんじゃない」
「いや、たとえ君はそうでも、こちらはそう言うわけにはいかないんだ。君が宝剣家の当主の名を受け継いでいる以上はね」
 当主という今では古くさい言葉が、落葉の心に奇妙に引っかかった。
「俺はただの私生児だ。認知とかそう言うのは別に要らない」
 落葉が言うと、越智は眼鏡を外しながら「珍しいタイプだね、君は」と言った。
「先の落葉殿と夫人の間には子供がなかった。落葉の名は、我々一族にとって特別なもので、代々宝剣家当主の初子にしか与えてはならないことになっている。落葉殿が君のお母さんにそれを許した以上、こちらとしては君を放っておくわけにはいかない」
 越智は眼鏡をかけ直し、落葉の瞳をのぞき込んだ。
「一族――?」
「それ以上の説明は、君が確かに故人の子供だと証明されてからだ。連絡先を教えてくれたら、もう帰って良いよ」
 落葉が越智に住所と電話番号を教えると、越智は部家から彼を出してくれた。
「越智、どうだったの?」
 廊下には、遺族席にいた制服姿の髪の長い少女と喪服を着た日本人形のような少女が待ちかまえていた。だが、落葉は二人には殆ど目もくれずにその場を立ち去った。自分と京子の立場を考えると、彼の今陥った状況は最悪であり、少女達の視線をまともに受けるのはためらわれたからだった。
(やっぱり、来ない方が正解だった)

 越智の運転するBMWは、そこに存ることがちぐはぐに思える山奥の道路を走っている。
「もうすぐ天衣テンネ邸に到着するよ、落葉」
「えらく街から離れたところにあるんだな」
「その方が都合が良いからね」
 DNA鑑定の結果、故宝剣氏の息子であることが証明された落葉は、宝剣家の籍に入り「宝剣落葉」となった。そして、生みの親である京子と離れ、とある山奥にある屋敷で暮らすことになったのである。最初、落葉は当然反発した。しかし、何か大きな権力が裏で働いているらしく、結局抗うことは出来なかった。
「高校の転校手続きは終わっている。九月から、麓の街の学校に行って貰うよ。もちろん、車の送迎はつくさ」
「――宝剣夫人は?」
「夫人は元々宝蓮ホウレンの分家筋の人だから、実家に戻られるそうだ」
(そりゃあ、愛人の子供と顔をつきあわせて暮らすだなんて、無理だろうな)
 越智の説明によると、宝剣家は平安以前から続いており、その始祖は天女とも言われる名家・天衣家の分家の中で最も格の高い「宝四家ほうしけ」の一つであるという。宝剣家と越智の生まれた宝塔家の他の二家は宝蓮家・宝弓ホウキュウ家というらしい。
「天衣一族は、何よりも血筋と名前を重んじるからね、本家や分家のそれぞれの当主は初代の名を引き継ぐことになっているんだよ。君や私のようにね」
 越智は少し前に、自分が宝塔家の現当主であることを落葉に語っていた。最近宝四家の当主が次々と逝去し、世代が若くなっているという。
「ああ、見えてきた。あれが天衣邸だ」

 天衣邸は広大な敷地を持つ純和風の邸宅で、木造のいかめしい門構えが落葉を出迎えた。
「ここが、今日から君の家だよ」
 落葉が声を失っていると、門が開き和服姿の老女が現れた。
「越智様、ご苦労様でございます。落葉様、ようおいでになられました」
「落葉、こちらは使用人の太布タフさんだ」
「世話になる。よろしく」
「まずはお使いになる部家の方にご案内いたしましょう」
 太布の後について二人は屋敷の敷地内に足を踏み入れた。手入れの行き届いた日本庭園の中を歩く。
「植木屋もこんな場所にある屋敷の庭の手入れに来るのは大変なんだろうな」
 落葉がそう感想を述べると、太布は口元を押さえて笑った。
「住み込みで働く庭師がおりますよ。落葉様、暴れて庭を荒らさぬようにお願いいたしますよ」
 屋敷にあがると、太布と同じ着物を着た何人もの女性の使用人が落葉を出迎えた。彼が案内されたのは、庭園を望める広い和室だった。
「先の落葉様が本家を訪れるときに使っておられたお部屋なのですよ」
「そうだ、太布さん、羅衣ライ紗綾サヤはどうしてます?」
「さぁ、恐らく羅衣様はお茶室にいらっしゃられると思うのですが」
「落葉、荷物を置いたら茶室に行こう。宝蓮と宝弓の当主を紹介するよ」

 越智に連れていかれた茶室は、落葉の想像とは反して独立した建物であった。そう言うものは歴史の資料集にしか残っていないと思っていたので、ひどく新鮮に映る。
「ちょうど良い、紗綾もいるみたいだ」
 越智は腰をかがめて茶室の戸を静かに開け、中に入った。
 中では二人の少女がささやかな茶会を開いていた。茶を点てている方の、和服姿のおかっぱ頭の少女が先に越智に気付いた。
「お役目、ご苦労様です」
「いや、車の運転ぐらい、皇王様を診るより簡単だよ。そうだ、顔合わせは早く終わらせないと……落葉、中に入って」
 越智に促されて落葉も中に入った。
(あれは、告別式会場にいた)
「ようこそ、この屋敷に。あたし、宝弓紗綾。一応、宝弓家の当主よ。よろしくね、落葉」
 洋服を着ておりやや茶色がかった長い髪の、茶室とはやや雰囲気の合わぬ少女が落葉と越智の方に向き直り、軽く頭を下げた。
「わたくしは宝蓮羅衣です」
 和服の少女も手を止め、畳に手をついて深々と頭を下げた。告別式場では判らなかったが、紗綾と羅衣とでは雰囲気が大きく異なる。
「宝剣落葉だ。世話になる」
 だが、落葉はそれだけ言うと羅衣達に軽く頭を下げ、さっさと茶室を出ていってしまった。 「これはまた、先代とは随分性格が違うわね」
 あっけなく落葉が出ていってしまった、茶室の出入り口の方を向いて紗綾は肩を竦めた。
皇王ミオウ様の御前に出たとき、失礼にならねば良いのですが」
 羅衣も美しい眉をわずかにひそめる。
「先の落葉さんのお葬式で見たとき、結構イケてるって思ったんだけどなぁ、想像以上に硬派みたい」
 紗綾の言いように越智は苦笑した。普段から彼女が地元の高校には格好良い男子生徒がいない、と愚痴っているのを、耳にたこができるほど聞かされているのだった。

――その夜。
 透白の満月が庭園を煌々と照らす。静寂に響く独特の「音」が山奥の邸宅に神秘的な雰囲気を添えていた。
 夜着姿の羅衣は、一人で離れの建物を訪れていた。
「皇王様、羅衣です」
 部家の障子を開ける前、彼女は姿勢を正してその場に正座し、両手を前についた。
 この中にいるのが、天衣一族の本家の当主、天人のすえと呼ばれる皇王。
「太布から聞いたよ、今日、新しい落葉が来たんだって?」
「ええ。先代とはあまり似ておりませんでしたが、まなざしが苛烈なところは同じでございました。むしろ、より険しい目つきだったかも知れませぬ」
「確か、君や紗綾と歳が同じだったんだっけ?紗綾は喜んでいただろう」
「そうですね。ですが、わたくしは逆に少し恐ろしい気がいたしました」
「恐ろしい?」
「上古より続いてきた天衣一族の歴史が揺るぐような心持ちがするのです」
 それは当代の落葉に一族以外の血が混じっているからなのだろう、と羅衣は思っている。末端の分家にはよくあるが、それは宝四家にはあるまじきことだったゆえ。天衣一族には、血統主義にならざるを得ない事情があった。現に、一族内では落葉を宝剣家の新当主にする事に対する懸念は今でも大きい。
 山で梟が鳴いた。羅衣の懸念を見透かした月が、その姿を庭園の池に映していた。

 慣れない布団と枕はかえって肩が凝ってしまう。朝早く目が覚めた落葉は、することもないので朝靄のかかる庭園に出てみた。
「天人の裔、か」
 彼には越智の話がいまいち納得できなかった。それは天衣家の始祖が天人だというお伽話が気に入らないせいもあった。自分がこんなところに来て何になる、という腹立たしさもまだ胸の奥でくすぶっている。
 落葉は池にかかる橋の上で、一匹が何十万円もするであろう錦鯉たちが華麗に泳ぐ様を眺めていた。
「おはよう、落葉。朝、早いんだね」
 その時、彼の横にすっと紗綾が現れた。やや波打つ長い髪にオーバーオールのスカートという格好は、やはりこの屋敷の純和風の雰囲気と一線を画している。越智や、そう思っている自分もそうなのだが、紗綾だけ特別に見えるのは昨日一緒にいた羅衣が生きた市松人形を思わせたからだろう。
「目が覚めただけだ――夏なのに寒いな」
「ほら、ここって山奥だから。冬なんてもっと大変よ」
 でも雪が降ると綺麗なのよ、と紗綾は笑った。
「今日は、いよいよ皇王様にお目通り願う日じゃない」
「ミオウって、確かこの家の主の名前だったな」
 天衣皇王、と落葉はその名を呟いた。格式という衣だけを纏った枯れ枝のような老人の姿が脳裏に浮かんだ。
「やっぱり、馬鹿馬鹿しい」

 陽が高くなると、新しい落葉が初めて天衣一族の「公式の」場所に出て来るというので、屋敷中が東奔西走の呈を奏していた。次々と門の前で停車する車から、偉そうな顔をした中年や壮年の男達が降りてくる。先の落葉夫人・有楽ウラも、もう一度だけ、この屋敷の敷居をまたぐだろう。
「まさか、変な着物か何かに着替えろとでも言うんじゃないだろうな?」
 雰囲気にうんざりした落葉は、朝食後も彼につきまとっている紗綾に尋ねた。
「大丈夫よ、確かに正装しなきゃならないけど、あたし達は学生だから制服でいいの」
「じゃあ、越智は着替えなきゃならないんだな。ご苦労だな」
「あら、羅衣もよ」
「あいつ、高校行ってないのか?」
「そうよ、当たり前じゃない」
 何が当たり前なんだ、と落葉は紗綾を問いつめようとしたが、ちょうどその時、この屋敷の若い使用人が紗綾を呼びに来た。
「紗綾様、早う『天女の間』にお越し下さいまし。落葉様は、私が再び参るまで、こちらでお待ちになっていて下さい」
「解ったわ。有り難う、市留イチルさん。じゃ、落葉、あたし先行くね」
「ああ」
 紗綾は市留について去っていった。正直、紗綾の無防備な積極性には早くも参っていたので、落葉はほっと息をついた。
(退屈な連中ばっかりだが、こういうところにあいつみたいなのがいてもな)
 落葉は昔からこの屋敷にいた自分を想像した。――が、それはあまり魅力的なイメージではなかった。
 一刻も早く学校が始まってくれれば気が晴れるかも知れない、と落葉が思っていると、太布が彼を迎えにやって来た。
「落葉様、用意が調いました。皇王様はじめ一族の主立った方々が『謁見の間』にてお待ちしております」

 広く、奥行きのある『天女の間』は、落葉に時代劇の謁見の間を思い起こさせた。居並ぶ天衣一族の者達は身じろぎもせず、和装の人間の群は華麗に彩られているはずの広間に濃厚な暗い影を落としている。
”あれが今度の『落葉』か……”
”今度もまだ二十に届かぬ若造だとは”
”それよりも、先の落葉殿が本家にも隠れてよその女に子を生ませていたことの方が問題だと思うが”
 彼らが落葉が来る前にひそひそと呟いていただろう言葉は、彼には容易に想像が付いた。
(俺には旧家の伝統とかそう言うのには興味がない。勝手に言っていればいい。そもそも好きでここに来た訳じゃ無いんだからな)
 広間の奥は一段高くなっていて、中央には誰かがちょこん、と言った感じで正座していた。隣に少し下がって座っている、豪奢な赤い振り袖姿の少女は羅衣だろう。
 落葉は事前に太布から何度も何度も念を押されていた通りに、人々の間を通り抜け前方に出た。
「君が新しい落葉だね」
 壇上の人物が、細い声で落葉に声を掛けた。
「あんたが、皇王――?」
 落葉は立ったままの姿勢で驚愕の表情を浮かべた。それを見とがめた羅衣が彼をきっと睨む。落葉は慌ててその場に座り込んだ。
「やっぱり、驚かせちゃったかなぁ」
 そう言って笑った皇王は、何と落葉よりも幾つも年下らしい、繊細な細工物のような顔立ちの少年だった。年の頃は十二、三歳ぐらいだろうか。病み上がりなのか、純白の寝間着の上に衣を羽織っており、背中には大きな瘤があるようだった。肌は着物の色を通り越して青白く見え、黒目がちの大きな瞳やさらさらとした細い髪は紗綾のそれより遥かに色素が薄かった。その痛々しい姿は、でっぷりと肥満した壮年の男か、もしくは枯れ木のような老人を想像していた落葉に少なからず衝撃を与えた。
 しかし落葉は、すぐに気を取り直すと教えられたとおりに名乗りを上げ、皇王に頭を下げた。皇王の方も正式の謁見の際の振る舞いをした。それで落葉の「襲名お披露目」は終わり、宵に宴会が開かれる事になった。

 宴席はそれ専用に造られた別の広間に設けられた。当然ながら純和風の宴会で、落葉には気詰まりなこと甚だしかった。何より嫌だったのは、賓客や一族の人間のことごとくと挨拶を交わさねばならなかったことで、白々しい作り笑いが彼をうんざりさせた。
 精神的に疲れた落葉がいったん退席すると、紗綾が後を追ってきた。
「大丈夫?落葉」
「大丈夫なわけあるか。早く解放して欲しい」
「あたしの時もそう思ったわよ、でも、宴会の方には政財界のお偉方もお客様として呼ばれてるんだから、逃げたりしたら駄目よ」
 そう言えばテレビで見たことある顔が何人かいた、父が有能な政治家だったからだろう、と落葉は考えた。
「そう言えば、皇王は宴会には出てないんだな」
 紗綾は、うわぁ呼び捨て!と目を見開いた。
「あたしや越智は気にしないけど、他の人に聞かれたら総スカン食うわよ――皇王様、病弱だからこういう騒々しい場所には滅多に出てこられないの。越智の時には出られてたかなぁ。羅衣の時なんか熱だして大騒ぎでね」
「病弱か……やっぱりな」
 青白い皇王の肌を思い出して、落葉は呟いた。
「ねぇ、そろそろ戻った方が良いんじゃない?」
「ああ、そうだな」
「それとね、分家の連中に何言われても気にしない方が良いわよ。あたし達、この一族では皇王様の次に偉いんだから、あの人達は落葉には絶対逆らえないんだから」

 お披露目のあった翌日、これから自分はどうするのか、と落葉は太布に聞いてみた。ちょうど夏休みの時期なので、学校に行くこともない。
「落葉様にはしばらく礼儀作法、つまり茶道や華道などを学んでいただきます」
 落葉は軽く肩を竦めた。そうしなければならないだろうことは、予想が付いていた。が、興味がないので面白くない。
「あとは武道、政治経済などでしょうか。あなた様にはいずれ、先の落葉様と同じく政治の世界に出ていただかなくては」
「政治?何で俺が」
 いきなり将来のことを(しかも勝手に)断定され、落葉は面食らった。しかし太布は「それはおいおいおわかりになるはず」とお茶を濁すに留まった。
「ところで、礼儀作法を学ぶと言っても、どうするんだ?誰かが教えてくれるのか」
「それはあたしの仕事よ」
 紗綾が突然後ろからばぁ、と現れて、代わりに太布が二人に頭を下げ、去っていった。
「お前が?」
 落葉が怪訝な顔をすると、紗綾は「なぁに、あたしだと嫌?」と拗ねた表情を見せた。
「あたしだって『紗綾』よ。一族のことぐらい、小さい頃から全部たたき込まれてるんだから」
「俺はてっきり越智が教師役だと思ったんだがな」
「越智も最初はそう言ってたんだけど、あの人はもう社会人だから、色々と忙しいわけよ。だからあたしがやるって立候補したの!」
 落葉には何となくその様子が想像できた。紗綾は落葉に対する興味を隠そうとしない。
「なら、頼む、紗綾」
 その証拠に、落葉がそう言ってやると、紗綾は嬉しそうにニコッと微笑むと、自分の用があるところへと飛んでいった。

 とりあえずその日はすることが無くなった落葉は、この機会にと広大な屋敷の敷地内を散策することにした。屋敷内で迷子になったら、見つかったときに面目が立たないだろうが、何とかなると彼は思っている。
 先日、越智に案内され、羅衣と紗綾に再会した茶室は既に覚えていた。その脇を抜けた敷地の北側のほうに彼は行ってみることにした。
 屋敷の本館と渡り廊下で繋がった離れの建物に落葉が気付くまで、それほど時間はかからなかった。近づいてみると、どうやら中に人がいる気配がする。彼は縁側から上がってみた。
「誰?羅衣かい?」
 そのか細い、高い少年の声に落葉は聞き覚えがあった。
「いや……落葉だ、皇王」
 入って、と障子の向こうから皇王は言った。
「ここ、太布か誰かが言ったのかい?」
「いや、さっき偶然見つけた」
「とにかく、来てくれて嬉しいよ。今、周りに誰もいなくてつまらなかったんだ。『安静にしていろ』って言われてて、ここから出ていったら怒られるし」
 そう言うと皇王は咳き込み、苦笑いを浮かべた。
「風邪、引いちゃったからね」
「あんた見るからに具合悪そうだからな」
 面と向かってそう言われたのは初めてだよ、と言いながら、またも皇王は激しくむせいだ。
「ゴホッ、ゴホッ!!」
 背をエビのように折り曲げてむせる皇王に、慌てて落葉は寄るとその背中をさすろうとした。
「おい、大丈夫か――!?」
 落葉の手は、上着の上からでも皇王の背に奇妙な異物らしきものがあるのを感じた。さっきまで瘤だと思っていたが、どうやら違うらしい。
 落葉の異変を皇王も感じたのか、涙のにじんだ瞳を向けた。
「落葉、どうし……ゲホッ、ゲホゲホッ!!」
「お、おい!」
 咳き込むと同時に皇王の身体が激しく動く。そのはずみで、袖を通していなかった上着がずるりと落ちた。
「――!!」
 そして、落葉の視線が、皇王の背で泳いだ。声にならない叫びが、彼の血管を駆けめぐる。
「あれ、落葉はまだ、聞いてなかった?」
 皇王は何とか微笑んだが、それは落葉の凍り付いた表情を溶かす役には立たなかった。
 皇王の上着の裏には、一対の大きな翼が、窮屈そうに折り畳まれていたのだった。外気に晒されたそれは、深呼吸するように羽ばたき、柔らかな羽毛を周囲に振りまいた。羽根は青磁の茶碗を砕いて水に溶かしたような色をしていた。障子の隙間から差し込んだ薄い日光を受けて、淡い淡い緑に光る。
 何と美しい、白緑の翼――。
「これが、僕が天人の裔と呼ばれるゆえんだよ」
 言いながら、漸く咳の止まった皇王は再び上着を羽織った。翼が覆い隠されると、呆然としていた落葉も正気に返ったようだった。
「信じられない……俺は今まで、『天人の裔』だなんてただの言い伝えからだと思っていた」
「そうだね、落葉は今まで一族の事なんにも知らずに生きてこれたから」
「その翼、生まれたときからあったのか?」
「うん。子供の時は、雀ぐらいの大きさだったけど、ある時いきなり大きくなってね」
 落葉はその光景を想像してみた。あまり芸術などにはなじみのない彼だったが、それはとても美しかったのだろうと思った。
「そのおかげで、今ではこの屋敷の外に出られないんだ。先の落葉の葬儀、出たかったんだけど。ああ、落葉はその時いたんだよね?どうだった?」
 どうだった、と聞かれても、あの時の騒ぎは恐らく皇王にも伝わっているだろうし、自分は騒ぎの渦中にしか居なかったのだから、皇王の満足するような事は言えないだろう。そう落葉は思ったが、話すことにした。皇王は他にも色々と外の話を聞きたがり、落葉はその全てに付き合った。

「落葉、今日は何処に行っていたんだ?」
 夕食の時、越智が訊ねた。しかし、落葉は「いろいろ歩き回っていた」とだけ答え、皇王と会ったことについては何も言わなかった。あの翼を見たことを説明しようとすると、何かとんでもないことになりそうな、根拠はないがそんな気がしたからだ。
 代わりに、こんな事を訊いてみた。
「なぁ、俺は好きなときに外出できるか?」
「屋敷の場所が場所だから、そう自由にというわけにはいかないけれど、別に大丈夫だよ」
「そうか……」
 そして落葉は、皇王のことを考えた。

 そんな事があってから、やがて落葉は、度々この屋敷を訪れる黒いリムジンを意識するようになった。
(何でまた、こんな山奥にしょっちゅう人が来るんだ?)
 車中の人は、その度毎に違っていた。しかめつらしい壮年の男性もいれば、けばけばしく着飾った婦人もいる。
 客人達は、下女頭(あまり好ましいとは言えぬ呼称ではあるが、そう呼ぶのが代々の習わしらしい)の太布ら一部の使用人(聞くところによると、彼らも一族の血を引き代々の名と職務を受け継いでいるそうだ)の案内で、奥の特別な客室に通される。それ以上のことを、落葉は知らない。
 また今日も、落葉は縁側に座り込み、渡り廊下をゆく客の姿を眺めていた。そこに、いつもと変わらぬ着物姿の羅衣が通りかかった。いつ見ても完璧な日本人形の印象を受ける。向日葵のような紗綾とは対照的な、白菊のような繊細な美しさだ。
「落葉、そのようなところで何を?」
「……別に。なぁ、羅衣、この屋敷にはしょっちゅう人が来るが、一体ここで何をしている?」「そうですね、『落葉』である貴方にまだ話していないのは問題ですね。ですが、私には用がありますので、これで……」
 羅衣が去り、落葉は再び視線を別の場所に泳がせようとした時、
「そーゆー事なら、この紗綾ちゃんを頼ってくれても良いんじゃなぁい?」
「うわっ!? 」
「何よう、そんなに驚かなくたって」
「――いきなり背中から抱きつかれて驚かない奴はいない」
「まさか、落葉がそのことをまだ知らなかったなんて思わなかったわよ。今度の『落葉』に隠し事ばっかりしてたなんて!ね、天衣一族が何をしてるか、知りたくない?」

 結局、落葉は紗綾に引きずられるようにして彼女の部屋に連れてこられてしまった。
 紗綾の部屋らしく、そこは和室ながら人気の生活雑貨店で買ってきたような小物があちこちに置かれ、一種異様な(と落葉には感じる)雰囲気を醸し出している。
「さっき、紗綾は俺に隠し事が多いって言ったな」
「うん、普通一族の者なら知っておかなきゃなんない事とか、全然話されてないじゃない?あたし、繻子シュスさんから『一族については、落葉が屋敷に来る前に全て教えてある』って聞かされてたのよ。長老会のお年寄り方が落葉に一族以外の血が入ってるからって嫌がってるのね」
「それは俺の責任じゃない。この家に来たのだって俺の意志じゃないんだ。いい迷惑だ」
 落葉は憮然として言った。
「その通りよ――あのね、前、『宝四家が一番偉い』って言ったでしょ?あれ、落葉を励まそうと思って言ったんであって、本当は、かなり事情が違うの。宝四家以外の有力分家の当主や、次男以下でも長生きしてかなりの社会的地位を獲得した人達が作ってる『長老会』っていうのがあってね、実際はそういう一族の発展に貢献してる人達が権力を握ってるのよ」
 それでも以前までは宝四家と長老会の力関係は均衡を保っていたのだが、最近当主が次々と代替わりしたため、力の天秤は完全に長老会の方に傾いてしまったという。
「ありそうな話だな。実際、俺達は法律上『子供』だからな」
「越智さんはとっくに二十歳越えてるけど、まだ若いからって軽〜く見られてるみたいだし、よりによって繻子さんが、越智さんと同じぐらい若いくせに、お年寄り方よりもアタマ堅いときてるから、長老会の大のお気に入りだしね。」
 紗綾は「ああっ、だからあの時もっと繻子さんを疑ってかかるべきだったんだわ!」と、心底悔しがっているようだった。
「もしかすると、落葉には殆ど何も教えないで、そのうち外部で飼い殺しにして、跡継ぎが出来たら取り上げてこの屋敷の中で育てて、さっさと今の落葉を始末しちゃおうとか思ってたのかも――」
「おいおい、嫌な想像だな。ところで、さっきから出てくるシュスって誰だ?」
「羅衣のお兄さんよ」
 落葉はそこでふと違和感を感じたが、黙って紗綾の話の続きを聞くことにした。
「羅衣も多分どっちかって言うと一族にこだわる方だからなー……彼女は仕方ないけど。あ、何の話だったっけ?」
「客の話だ」
「そうそう、そうだった。でもそれには、もうちょっと一族の話、しなきゃいけないのよねー」
「……何か勿体ぶってないか?」
 その時、障子の向こう側から失礼します、との声がした。これは確か、市留という使用人のものだ。
「良いわよ、開けても」
 紗綾が言うと、市留は丁寧に障子を開け、手をついて二人にお辞儀をした。
「紗綾様、落葉様、本日、この屋敷に空羽アキハ様が里下がりなされるそうでございます」

「誰だ、そのアキハっていうのは」
 市留が退出した後、落葉は紗綾に尋ねた。里下がり、と言うからには天衣一族の人間なのだろう。しかし市留の言葉にはただものでない雰囲気が漂っていた。
「空羽様は、先代の皇王様の妹、つまり今の皇王様の叔母に当たるお方よ」
 つまり、天衣一族の直系――天人の裔の一人である。
 落葉は皇王の背の翼を想起する。
 屋敷の中は慌ただしい雰囲気に包まれている。長になれなかったとはいえ、空羽は別格なのだろうと感じるのは容易であった。
「その人は、普通ならこの屋敷に住んでいなければならない立場なんじゃないのか?」
 落葉を始め、宝四家当主や長老会の面々は皇王の住まうこの屋敷(屋敷のある一帯の山々は、当然全て天衣家の所有である)で生活している。紗綾達以外の住人に正直言って嫌悪を覚えている落葉は、努めて遭遇することさえ避けているが。とにかく、彼らよりも皇王に近い血筋の人間が他家に嫁いでいたと言うことが落葉には意外であった。
「そう考えるのが普通だけどね、違うんだなぁ、これが」
 その時、今度は太布が二人を呼びに訪れた。
「紗綾様、落葉様、空羽様がお着きになられました。空羽様は皇王様にご挨拶なされた後、茶室にて宝四家のご当主方とお会いなさりたいそうです」
「あぁ、解った。俺達は茶室に行っていれば良いんだな? 」
「その通りでございます」
「有り難う、太布さん、もう行っていいわ」
「……さっき羅衣が言っていたのは、茶会の準備のことだったんだな」
 落葉達は、とにかく早々に茶室の方に向かうことにした。

 茶室では、既に羅衣と越智が座していた。やはりこの日も茶を点てるのは羅衣の役目であるようだ。紗綾も一通り出来るのだが、見るたびに落葉は変な気分になる。
 畳の上に正座すると、落葉は越智に空羽は一体何処に嫁したのかを尋ねた。
「世界の本城(ホンジョウ)グループの会長の息子さ。二世にしては意外なことに、大変優秀だから後釜は確実だと噂されている」
「やっぱり、凄い奴と結婚したんだな」
「――勿論だ。それが天衣一族のビジネスなのだから」
「ビジネス?」
 空羽の結婚が政略のそれだというのは嫌でも解る。しかし元々「庶民」の落葉にはどうしても耳障りな言葉だった。
「あら、空羽様がいらっしゃったみたいですね」
 失礼するわ、という涼やかな声と共に茶室に入ってきたのは、三十代半ば程度に見える女性であった。やはり叔母だけあって皇王と面差しがよく似ているが、空羽の方が幾分快活そうであった。しかし、やはり彼女からも、触れれば溶解して一滴の滴となる、雪のような儚さが感じられるのだった。
「先の落葉の葬儀に出れなくてごめんなさい。でもみんなお元気そうで何よりだわ」
「いえ、空羽様もご無理は禁物ですもの。こちらが新しい『落葉』です」
「……初めまして」
 羅衣に紹介され、落葉は空羽に頭を下げた。それを見て、空羽は微笑んで初対面の挨拶を返し、握手を求めた。
「さっき聞いたけど、本当に先代とは似ていないわね。あなたも、色々と大変でしょう」
「まぁ、そうです」
「本城さんはお元気ですか?」
「ええ、お陰様で。相変わらず仕事人間ですけどね。ところで、最近、是非皇王様の”子供”を、という申し出が増えてきたんじゃない?」
「……?」
 どう見ても幼い皇王には、子供などいないはずだ。会話の意味が解らない落葉は、説明を求める意味で紗綾を見た。

「そうだ、さっきその話の途中だったんだ!」
 思わず叫んだ紗綾に、羅衣は咎めるような眼差しを、空羽や越智は笑いを含んだ視線を向けた。
 先を続けたのは、空羽だった。
「天衣一族は、貴重な『天人の血』を取引材料として千年以上日本中に陰の勢力を伸ばしてきたのよ。昔から偉い人ほど権威ある名門の血筋を欲しがるのね。簡単に言えばこの一族は、主な分家が様々な種類の権力を買うために『本家の人間』を『売って』いるの」
 いわば「皇王」は商品を「製造」する「工場」である。落葉は絶句し、息を呑んだ。

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