井上朝義氏の忘れられない思い出5

 私は、ドクター朝義氏のアルバムをもう一度開いてみた。美しい女性の写真を見つけた。サムネヤンさんの写真だっ
た。ドクター朝義氏は別れの日に写真とハンカチを貰った。ハンカチには刺繍で馬蹄が描かれ、その中に馬の頭部が
あり、桜の花が左右にあり、左右の七枚の葉が下でリボンになっており、馬蹄の下に朝義と描かれている。この写真を
見たとき私は深い意味があるなと思った。




 私はドクター朝義氏と当番兵だった更家氏の二人を、かつて通った道や基地のあったところ山の中などを案内した。
大戦で使用したものがまだ数多く残っていた。二人ともそれらの場所を覚えていた。そして山から戻る前に、そこの村
に立ち寄ってみた。村人の中には日本語が分かる人もいた。その人は当時日本軍の手伝いで、日本兵と一緒に働い
たことがあると言った。二人とも感激していた。そして当時を偲んだ。

 更家氏は、自分は将校朝義氏の当番兵でずっと一緒だったと言った。ビルマからサルウィン河を渡り国境を越えたと
き、マラリアにかかり脳症になった。意識不明が続きとても心配だった。自分がすべて世話をしていた。食事や寝る、生
活のすべてを。看護婦さんのように薬も飲ませて食事も食べさせた。当時食料はなく、山に入り探した。体も全部拭い
てあげた。そうしないと熱が下がらない。何日も意識不明だったが薬はなかった。パコーンを茹でて、そして絞って食べ
させた。しかし良くならなかった。モミがあれば水筒に入れて精米してから炊いて食べた。生きるために毎日そうやっ
た。何日か過ぎてワットムアイトーの病院に着いた。仲間は、メーホンソンからアンプーバンマパー、チェンマイ県メーテ
ンのバンメーマライに行き、そしてナコンサワンに行ってしまった。その後、将校朝義氏は回復して、共にあとを追った。


更家一等兵 於泰緬国境付近 昭和20年

 ドクター朝義氏は、更家氏が嫌ということを言わず、全部面倒をみてくれたと言った。排便、排尿も世話してくれた。今
でもこのことを感謝している。毎年、更家氏の父母様にお礼の挨拶に伺った。もし更家氏がいなかったら今の自分はな
かった。二人は仲良く家族のような付き合いをしている。

 戦争でドクター朝義氏は、共に苦労した愛する馬を失った。しかし戦争で本当の友人を見つけた。