井上朝義氏の忘れられない思い出4

 馬を殺したことはとても悲しいことだった。自分は悪いことをしてしまった。自分が感謝しているものを殺してしまった。
本当は助けてあげなければいけないのに。そのときの馬の泣き声とその目は、今でもまぶたに残っている。イギリス軍
には、馬を逃がしてくれと強く嘆願した。しかし相手は冷たく断った。これは戦争のルールだと。当時ナコンナヨーク県の
カオチャゴでは、1千頭を超える馬が同じやり方で殺された。日本の馬はタイの中に残さなかった。

 馬の世話をしていた兵隊はとても心を痛めた。胸がしめつけられるような思いだった。馬とは長い時間をすごしてき
た。そして苦しいとき楽しいときも一緒に、戦争を乗り越えてきた。馬は自分の子であり友であった。馬は人を覚えてい
た、その匂いも知っていた、命令も理解していた。食べるとき、寝るときも、戦争で一緒に苦労した仲間だった。馬も人
を愛していた、人も馬を愛していた。

 銃で一発一発、馬の頭を撃った。馬は驚いて叫んだ。そして馬は、互いに隣にいる馬の目を見て泣いた。自分を撃っ
た人は、私が好きで信頼している人だ。もしもこのことが人間だったら許されることなのですかと。なぜ自分を殺すの
か、自分は何を悪いことをしたのか、裏切り者と!叫びたい気持ちだったのではないのか。


射殺した馬 於ビルマ

 馬は戦争に行ったとき爆弾の音、銃の音に驚くことはなかった。こんな馬たちだったが、このとき初めて銃の音に驚
き、そして今までに聞いたことのないような叫び声をあげて泣いた。馬は自分が殺されることが分かったのだろう。この
ときの泣き声は、馬たちの本当に悲しい泣き声だった。このとき日本の兵隊はみんな泣いた。そのまま埋葬した。そし
て馬が天国にいけるように祈った。

 戦後も、このときの馬の泣き声が心の中にあった。40年経ってナコンサワンに来て、馬の法要を行い、そして慰霊碑
を建てた。馬の慰霊と自分の償いのために。


軍馬慰霊碑 井上氏建立 於ナコンサワン県

 当時ナコンサワンで将校朝義氏は、タイ女性のサムネヤンさんとは家族のような親しみを持っていた。戦争に負けた
日本兵を、サムネヤンさんとお父さんは助けてくれた。当時、タイ人のほとんどは、日本は悪いと日本兵に対して非難
をしていた。しかしサムネヤンさんの家族は違った。自分の家族のように助けてくれた。サムネヤンさんと仲良くなっ
た。時々、ご家族の食べ物を頂いたこともあった。この家族に感謝している。タイに来るときは必ず挨拶に伺っている。