井上朝義氏の忘れられない思い出3

 髪を切ってもらい、そして髭を剃ってもらった。とてもやさしく親切な人で、家族のような気持ちになった。風呂で体も洗
ってくれた。病気が治るようにと祈ってもくれた。この日からお坊さんは、私のことをかわいがってくれた。村人たちが寺
に持ってきてくれた食べ物をロアンポーは入院している兵隊や私に分けてくれた。このとき日本兵の好物は、もち米と
黒ゴマをまぜて丸めて黒砂糖をつけて食べる料理だった。これを日本兵はカノモチといった。そしてその7日後、アンプ
ーパイに向かった。

 私は朝義氏に、そのときロアンポーは何を話しましたかと尋ねた。ドクター朝義氏は、言葉はまったく分からなかった
と言った。しかしやさしく親切な人間性はよく分かった。ロアンポーと話をして、がんばって生きていこうという気持ちが生
まれてきた。朝義氏はいろいろなことをしっかりと覚えている。メーホンソンのお寺の近くに露店があった。近くには日本
兵の墓地があった。ワットノンチョンカムは日本兵の病院として使われた。医者、看護婦もいた。手術器具もそろってい
た。ワットノンチョンカムはワットムアイトーに次ぐ大きな病院だった。もう一か所はワットムンサーンでチェンマイにあっ
た。朝義氏は毎年その地を訪れて日本兵の供養をしている。


ワットノンチョンカム

 インパールとコヒマの戦いで日本軍は大きな敗北をした。これが原因で各地の戦闘でも破れた。応援の部隊をいくら
送り込んでも取り返すことの出来ないものだった。相手も認めた強い軍と兵だったが、高い山、深い谷、そしてジャング
ルに阻まれたのだ。

 将校朝義氏は病気が治り、急いでチェンマイに向かった。メーホンソンからアンプーパイを通って、チェンマイ県に入
ったところがメーテンのバンメーマライで、そしてメーリンのノンホーンにある大きな基地に着いた。そしてここで日本の
敗戦を知った。

 その後、ナコンサワンに行った。ここでは、世話する馬が30頭いた。日本兵は武装解除させられて捕虜となった。そ
の後ナコーンナヨークに行くために、イギリス軍の命令で馬を殺した。大きな穴を掘って馬をいれて、頭を銃で撃った。
日本軍が使うものはすべて処分された。