井上朝義氏の忘れられない思い出1


 井上朝義氏は、第二次世界大戦のときの日本軍の兵隊だった。現在82歳(平成14年現在)。
現在、日本の防府市佐野にある、玉祖幼稚園の理事長をしている。第二次世界大戦のとき朝義氏は国のために、陸
軍の騎兵隊に士官候補生として入隊した。
 昭和19年3月、朝義氏に命令が下った。そして多くの兵と共にインパール、コヒマの友軍の応援に行った。そのとき
日本軍はタイ方面に下がってきていた。朝義氏もメーホンソンに入り、チェンマイに辿り着いた。その道のりは800
Km、132日掛かった。4ヵ月半の月日が経っていた。

 朝義氏は年配だが、とても健康で元気に活動されている。またいろいろな出来事をしっかりと記憶されている。戦後4
0年経ってタイに戻ってきた。その後何回か来られたとき、私はクンユアムでお会いした。そのとき私は、いろいろな物
を集めたりして博物館の準備に追われていたが、朝義氏は出来ることは協力しましょうと言ってくれた。ビルマ戦線を
経験された昔の兵隊さんに連絡をしていただいて、経験された本当のことを書いていただいた。次代の人々に伝える
ために。


クンユアム郡警察署長チューチャイ氏と井上氏と更家氏 於クンユアム戦争博物館

 戦争が終わって60年過ぎた今でも、当時のことを思うと心が痛む。
昭和19年3月にインパール作戦が発令された。その年の3月に命令が出て、インドとビルマで激しい戦闘をしている友
軍の応援に行くことになった。当時日本軍の戦況は芳しくなかった。いろいろな物資、食料、馬、そして多くの兵と共に
船でタイに着いた。着いたところがバンコクのコントゥイで、軍馬が200頭いた。鉄道でカンチャナブリに行った。そして
ノーンプラドック、ダンチェーリーサンオンを通ってビルマに入った。さらに進んでラングーンに行った。そして北に進み
マンダレーに行った。そしてインパール、ミートキーナ、ケマインに、包囲されている友軍を助けるために向かった。朝
義氏は獣医将校で馬の世話をしていたが、自分が現場の戦闘の苦労もなく、こうして今いるのも馬のおかげだと感謝し
ている。

 将校朝義氏の仕事は馬の世話だった。船と鉄道で連れてきた日本の馬、シンガポールの馬など。馬はいろいろな種
類がいた。サラブレッド、普通の馬、ハーフの馬。どんな馬でも使えるものであれば連れて行った。