天皇陛下の終戦の発表と日本兵の自決2

 当時、日本軍と村人は親戚のように暮らしていた。何の問題もなかった。日本兵は毎日訓練や勉強に励んでいた。そして夕方になると時々、お寺にお参りに行っていた。

 日本軍と村人たちは親戚のように仲良く暮らしていたが、一つ信じられない事が起こった。日本兵の一人がトンばあさんの家に泥棒に入って30バーツ盗んだ。当時このお金は大金だった。目撃者は何人もいた。この日本兵と目撃者で言い合いになったが埒が明かなかった。村人は部隊の幹部に相談に行った。部隊はこの兵を調べたが、兵は泥棒を認めた。寺の境内で村人が見守る中、正座したこの兵は、トンばあさんに何度も頭を下げて日本語で罪を詫びた。そして、上官がこの兵の頬を何度も殴った。トンばあさんには30バーツに少しの気持ちを加えた金額が返された。これで事件は解決した。村人は家に戻った。皆これで終わったと思っていた。しかしこの数時間後、この日本兵は寺の前で自分の銃で頭を撃ち抜き自殺した。日本兵たちはこの兵士を道路の脇に埋葬した。その場所は、229kmの標識が立っているところで、現在、慰霊碑が建立されている。

 この事に村人たちはとても悲しんだ。日本軍はやりすぎではないのか。この兵をここに留めずに転出させればよかったのではないのか。日本軍の上官は、この兵は自分が日本軍の評判を落とした、その責任を取って自殺したのだと話した。

 その後、村人と日本軍は一緒におだやかに仲良く暮らした。なにか問題があったときは、お互いのリーダーどうしの話し合いで解決して村人が巻き込まれることは無かった。村人が病気になった時などは日本兵が診て治してくれた。食べ物も日本兵が持ってきて村人にあげた。時間があるときなどは村人の家を訪ねて世間話などしていた。戦争が終わろうとする昭和19年から20年。日本軍はインド、ビルマで激しい戦闘を続けていた。そこで病気になり怪我をした兵の一部は、クンユアムからフォイポンの道路脇にあった幾つかの病院に収容されたが、ここでも多くの日本兵が死んだ。終戦までに数百人の兵が命を落とした。戦争末期に多くの日本兵が死んだが、タイに戻ってきた日本兵のほとんどは、服がちぎれ破れ見るも無残な姿だった。ふーらふーらと歩く魂の抜け殻のようだった。体の一部が腐っている兵も多くいた。その体には、ハエが付きウジが湧いていた。手のない兵、足のない兵もたくさんいた。すでに支援する日本軍の多くの基地は退がってしまっていた。病気や怪我に傷ついた多くの日本兵を、タイの村人は面倒を見た。そして死んだものはそこに埋葬した。