ジャパニーズ・ティーレーズー1

 ジャパニーズ・ティーレーズーとは、タークとメーホーンソーンに続くミャンマー領土内にある滝の名前である。「ティーレーズー」とはカレン族の言葉で「絶壁から落ちる滝」、「ジャパニーズ」は英語で「日本人」の意味。カレンKMA(カレン民族同盟)の兵士達はサルウィン河にある、とある滝のことをこう呼んでいる。このカレン語と英語が混ざった名前は次のようなことを語っている。

 第二次世界大戦時、雨の季節にたくさんの日本兵がこのサルウィン河をいかだで下っていた。このときはちょうど嵐が来ていて雨が強く降り、河の水も増して、いくつもの方向から水が押し寄せ流れていた。いかだがさしかかった場所は、河の真ん中が崖になり水が狂ったように流れ落ちていた。日本兵はいかだごとこの崖に飲み込まれ、そのほとんどが命を落とした。これ以降、この場所は日本兵を悼む場所となった。



 この話をしてくれたのは、カレン民族同盟のボーミア陸軍将校である。彼はソップモエイ村の近く、ターク県とメーホーンソーン県に続くミャンマー領地内でマネーポーという大きな陣地を率いていた(現在、ここはミャンマー軍の攻撃を受けてしまった)。ソップモエイ村は、チベットから流れてくるサルウィン河とミャンマー・タイ国境から流れてくるモエイ河がぶつかるところである。二つの河は一緒になってサルウィン河としてミャンマーのモタマ湾に流れ込む。この二つの河がぶつかった所から6〜7キロ下流のサルウィン河には高い崖があり、そこに水が流れ込んでいる。ここが日本兵たちの墓場となった。カレンの兵士たちはこの悲しい事件を忘れないように、ジャパニーズ・ティーレーズー、奈落へと落ちる絶壁の滝と名前をつけた。

 この話を聞いたとき、筆者は最初、これはまことしやかに語り継がれているただのお話だと思っていた。しかし、何人もの元日本兵の方から話を聞いていると、この話が本当に起こった悲しい事実だとわかってきた。

 1945年の5月、ビルマの日本兵は全員が敗走しなければならない運命にあった。ヤンゴンは、一度は日本が占領したが、この頃には連合軍の手に落ちていた。ビルマとインドにいた10万人以上の日本兵は多くが傷つき倒れ、死んでいった。多くの部隊が包囲され、カンチャナブリーからの応援を頼まなければならなかった。本隊は各部隊に撤退の命令を出し、メーホーンソーン県クンユアム郡を通ってたくさんの日本兵がタイに逃げてきた。傷ついた兵士もどんどんと逃げてきた。