これはとても辛いことだ。いまサンペーが残したものがある。
1.サムライ、フクダ26番と書いてある。このサムライは500年程前に日本で作 られたもの。500年前のタイはクルンシーアユタヤ時代だ。
2、鳥の頭のマークの入ったベルトのバックルと付属の金具。
3、消防用のホースの先に付ける筒状の金具。水は10〜20Mとぶ。
4、鉄製の箱1個。
5、小さい椅子1個。
その他、水筒、カバン、飯ごう。
この1〜5の中の幾つかはクンユアム戦争博物館に寄贈した。事実を次代の人たちに永く伝えるために。
第二次世界大戦終結後、タイ国は新たな法律を制定した。日本人の定住権に関するものだった。その資格は以下のとおり。
1、第二次世界大戦、2482年(昭和14年)9月1日以前からタイ国に来ていた日本 人。
2、医者、技術者。
3、タイ人と結婚している人。
2489年(昭和21年)10月の統計でタイ国での日本人定住者は126人いた。(タウィー・ティーラウォンセーリー氏)
サンペーとゲオさんは3番に当てはまる。しかし二人にこの法律は適用されなかった。遠い田舎で誰もこの法律が分からなかったのだろうか。役所は分かるはずなのに、役人は誰も知らなかったのだろうか。メーホンソン県は地方で田舎などは理由にならないだろう。チェンマイからメーホンソンへ飛行機で行くこともできる。これは国の法律なのに役人や警察が分からぬはずがないではないか。人々を助けるのがその役目ではないのか。もう少し役人や警察がしっかりしていればこういう結末にはならなかったはずだ。奇跡は起こらなかった。二人は再び会うことはなかった。
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