サンペーは、次の警察に引き渡された。そしてチェンマイの町から鉄道でバンコクに護送された。その後サンペーは、ノンタブリー県のバンクワン刑務所に入れられた。
ゲオさんら家族はサンペーのことを大変心配していた。ナイパンは何度となくクンユアムの役所に行ってはサンペーの様子を聞きにいった。そしてある日、サンペーが重い病気に罹って外国人専門病院に入院していることが分かった。クンユアムの役所は、サンペーのところに行って釈放を願い出るようサンペーの家族に言った。しかし当時、それはとても大変なことで出来ないことだった。交通手段もない、お金も無いし、子供も小さかった。国が一日も早くサンペーを釈放してくれることを、心で祈るしかなかった。長く待ち続けたが、その後のサンペーのことは何も分からなかった。
ゲオさんと子供たちは、サンペーのことを何年も何年も待ち続けた。十数年もたった。ゲオさんはサンペーが再び帰ってくることはないだろうと諦めた。ゲオさんは、今度再び生まれ変わってそしてサンペーと会おうと考えた。その後の親子三人の生活は苦労の連続だった。運命は幸せを与えなかった。サンペーがいたとき、ゲオさんの家族はとても幸せだった。サンペーはまじめに一生懸命に働いたので収入が多かった。そのため他の村人たちに比べて生活は豊かだった。サンペーは自分のためだけではなく、人のためにも働き汗を惜しまなかった。こういう人間だったので村では信頼が厚かった。クンユアムの役所もサンペーに仕事を依頼した。むかしは今のように国の仕事を誰でも出来るということはなかったが、しかしサンペーはそれほど信頼が厚かった。サンペーとゲオさんは村人から羨望された。
しかしサンペーがいなくなった。家族の働き手がいなくなり生活は苦しく貧乏になった。そして村人の見る目が変わった。サンペーがいたときは敬意で見てくれたが今は蔑まれた。なんで日本人と結婚したのかなどと陰口も言われた。ゲオさんはとても辛かった。しかし同情してくれる人もいた。こういう人からゲオさんは生きる力をもらった。生活は苦しく、ゲオさんはサンペーの持ち物を売った。ほんとうはサンペーの物はとっておきたかった。しかしゲオさんの父母は年で家族を助けることは出来なかった。女ひとりで子供二人と老人二人の面倒はとても大変だった。仕事に出るときも二人の子供を連れていったりした。苦労の連続だったが、サンペーとの幸せな生活を思い出して生きていく気持ちとした。
「ドグブアトーンでの愛の物語」は幸せな結末ではなく辛い結末で終わる。この二人の物語に似た話でコボリとアンスマリンの話があるが、コボリはアンスマリンの前で死んだ。しかし愛する人が生きたまま消え去った、ゲオさんの心の痛みを誰が理解できようか。
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