ドグブアトーンでの愛の物語3

 二人は家に戻った。そして父に詫びた。二人は本当に愛し合いお互いを必要としていた。ナイパンは二人に結婚式をしてあげた。タイ北部の結婚式では、父母や年寄りが二人の腕を結んであげるという習慣がある。朝、腕を結ばれた二人は寺でお坊さんに祈ってもらった。日本のやり方は何もなかった。ゲオさんの両親はフクダが国籍も取り、タイ人として生きていくことを望んだ。名前もサンペーとした。
 サンペーは一生懸命に働いたので結婚生活は幸せだった。田んぼ、畑の仕事や料理もすべてやった。サンペーの得意は機械などの修理だったが電気工事もできた。また戦争で残されたものを利用していろいろと作った。たとえば鉄板でバケツを作ったり、電線でかごを作ったりした。車の修理も出来るし、拳銃も作れる。拳銃は一日で三個作ることができた。これは一丁100バーツで売れたが、ランパーンでは大変な人気になった。
 いろいろなことが出来るし人付き合いもうまかった。村人はサンペーのことが好きだった。郡は機械修理や電気工事、鉄や金属加工などの仕事をサンペーに頼んだ。最後の仕事は郡がユアン川からの発電設備を作る仕事で、これは始まりから完成間じかまでやった。
 結婚から2年目、二人に長男が誕生した。また次の年には次男が誕生した。サンペーは二人の息子を愛した。日本人は男の子が好きなようだった。しかし二人の温かで幸せな生活は3〜4年しか続かなかった。2492年(昭和24年)、次男が生まれてから数ヶ月しか経たないある日、悪い運命のいたずらが二人を襲った。国がサンペーを調べに来た。日本兵は3人クンユアムに残っていた。日本大使館に引き渡すために、クンユアム警察のウタイ・ホントーン中尉がサンペーを逮捕した。しかし郡はサンペーを助けたかった。郡は10日もの間、警察に強く抗議したが聞き入れられなかった。サンペーは4人の警察官に護送され、象でチェンマイに向かった。その途中、一人の警察官は亡くなってしまった。
 別れの日。ゲオさんはこれがサンペーとの永遠の別れになるとは知らなかった。旅立つ前、ゲオさんは自分の蓄えた30.000バーツをサンペーに渡した。ゲオさんの手元には1.700バーツしか残っていなかった。
 サンペーはこの逮捕で、妻や子供のもとに再び戻ることは出来ないと分かっていた。自分は軍隊から逃げた脱走兵で死刑は免れない。チェンマイに向かう途中、警察官の隙をみてサンペーは逃げた。しかし今回は、以前に逃げられたような運はサンペーに味方しなかった。必死で逃げるサンペーは撃たれた。弾は足に当たったが軽症だった。その後、さらに厳しく監視されて連れて行かれた。そうしてチェンマイ県サンパトーン郡バンカートに着いた。