最強の剣豪は誰か

(おまけ)

剣術は、当然に強いものが勝ち、弱いものが負け、互角なら相打ちとなる。
この基本原理に深く悩み解決させようとしたのが、針ケ谷夕雲の無住心剣流で、奥義の「相ヌケ」がそれ。
どのような剣豪や名人と立ち会ってもお互いが打てない状態のことをいうらしい。

この針ケ谷夕雲の弟子に小田切一雲がいて、その弟子の真理谷円四郎が
師の小田切一雲と立ち会ったとき「相ヌケ」にならず円四郎が勝ってしまった。しかも二度も勝ってしまった。
ほかの門人たちは無住心剣流の根本を崩した円四郎に対して冷たくあたり悪評が立った。
しばらくして円四郎は道場を去っていった。
真理谷円四郎は世間に負けたのだ。

加賀の富田重政が家僕にひげを剃らせていたところ、
その家僕が「天下の名人でも、この場で刺したらひとたまりもあるまい」とひそかに思った。
すると、重政は「今、こころに思ったことをする勇気はあるまい」と言った。
家僕に勇気があったらどうなったのだろう。

松林蝙也斎は、日ごろから門人たちに「もし、自分を驚かせたら褒めてやろう」と言っていた。
この話しに下女中も挑戦するのだが、いつも見破られてしまう。
あるとき足をすすぐ湯を熱湯にしておいて驚かそうとするが、これも見破られてしまった。
水でさますようにと命じると下女中は下がり、しばらくして「よい加減にしました」と言って桶を差し出した。
蝙也斎は安心して足を入れたところ同じ熱湯だったため、驚いて踊りが立ったそうな。
これは、下女中の勝ちである。

ある山伏が草深甚四郎の元を訪れたところ留守だった。
すると、山伏は、「さては恐れをなして逃げたか」など悪態をついて去っていった。
帰宅して、このことを聞いた甚四郎は、たらいに水をはり、水面を凝視して、気合とともに水を真っ二つに斬った。
ちょうど、そのころ街中を歩いていたその山伏は悶死した。
黒魔術か。