最強の剣豪は誰か
伊藤一刀斎の巻(2)


一刀斎は、伝説では伊豆大島の生まれで十四歳のとき板子一枚で三島に泳ぎ着き富田一政と仕合って勝った。
三島神社に押し入った盗賊を神主から与えられた宝刀で斬り殺し、最後の一人が大甕に隠れたところ甕ごと一刀両断にした。
あるとき、一刀斎は師の鐘捲自斎のまえで「自分は剣の妙技を悟った」という意味のことを言った。
鐘捲自斎は当然ながら「修行が浅いのにたいそうな口をたたくな」といさめた。
すると、一刀斎は「妙というのは一心の妙であって、師から伝えられるものではない。
修行の年月には関係ない。お疑いなら妙機をごらんにいれましょう。」と言って師と立ちあった。
結果、三度の立合いで三度とも一刀斎が勝った。
「人は眠っている時でも足がかゆいのに間違って頭をかくことはありません。
人は意識下に己を防衛しようとする本能が動いております。その原理を生かせばよいのです。
先生が私を打とうとされた瞬間は先生の気合が抜けた瞬間で、先生の心は虚の状態になっております。
その虚の隙をついて打てば勝ちを得ると考えました。」と。
(一瞬、なるほど、と思うが、何のことだがよく分かりません。)
そこで、鐘捲自斎は、一刀斎に妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥王剣、独妙剣を授けた。
一刀斎を打とうとした武士が、一刀斎の妾をだきこみ、むりやり酒を飲ませて熟睡させ、刀を妾に奪わせた。
そして、寝込みを襲った。しかし、一刀斎は相手の打ち込みをくぐり抜け突き倒し、相手の刀を奪って難を逃れた。
小田原で中国の武芸者十官が名人と評判であった。一刀斎は扇子で十官と仕合することになった。
一刀斎は十官の木刀を蹴り上げ扇子で十官の頭を打ちすえた。
そかし、一刀斎は中条流(富田流)を学んでいるから小太刀は得意なのだった。
伊藤一刀斎が最強とされる理由は何だろうか。
なんとなく強そうな感じがするが、おそらく一刀流の流祖という肩書きだろう。
一刀斎には一等賞を与えよう。
一刀流伊藤一刀斎は一等賞、となかなか語呂がよいのだ。

