最強の剣豪は誰か
伊藤一刀斎の巻(1)


伊藤一刀斎の場合、伝説的というか人間離れしているというか。霞を喰って生きているようで、なんだかよく分からない。
生没年は不明。生誕地は遠州秋葉、江州堅田、加賀金沢、越前敦賀などあるが、一般的には伊豆大島の産とされている。
本人も出自を語らなかったようだ。敦賀の大谷刑部の剣師であったが、関が原で大谷刑部が戦死したので浪人し
下総小金原で死去した、あるいは他に丹波篠山が終焉地とも伝わっている。
弟子は小野善鬼と神子上典膳(小野忠明)の二人が有名。
古藤田勘解由左衛門俊直も弟子で、一刀斎に仕合を挑んだが敗れた。
遺恨に思った俊直は四十八人で襲ったが歯が立たなかったので門人になった、とか。
なぜかしら伊藤一刀斎は、このように多勢に襲われる挿話が多い。
伊藤一刀斎の盛名を聞き及んだ徳川家康が、剣師にならぬかと訊ねたところ
辞退し代わりに神子上典膳(小野忠明)を推した。
おもしろくないのは兄弟子である善鬼だ。そして一刀斎に訴えた。善鬼と典膳は仕合ことになった。
一刀斎は、家康に推挙した典膳に勝ってもらわねば困るので細工をしたのだ。。
結局、善鬼は斬られ典膳が勝つのだが、善鬼を哀れに思い、典膳に小野を名乗らせ、あとを継がせた。
一刀斎は、これを機に剣を捨て、仏門に入って諸国の霊場を歩いたという伝説が残っている。

