最強の剣豪は誰か
塚原卜伝の巻(2)


塚原卜伝が、ある兵法家から仕合を申し込まれた。
引き受けたと返事をしておいてから、人を使って相手の過去の仕合を調査させた。
その結果、どうやら左太刀で片手で決めていたことが分かった。
そこで、卜伝は相手に「左太刀の片手勝負は卑怯だから拙者の仕合ではやらぬようにしてもらいたい」と申し入れた。
すると、相手の兵法家は、左の片手打ちが弱点だなと思い、
「左太刀で片手で打つのがいけないというなら勝負しないで卜伝殿の負けにしたらよいであろう」と突っぱねた。
さて、仕合の当日、あっけなく卜伝が勝った。卜伝の計略にかかったのである。
宮本武蔵がやったら卑怯といわれるだろう。
卜伝は旅の途中、矢走の渡しで舟に乗った。
同船していた武士が武芸自慢をしていたのを、卜伝は何気なしに聞いていたが不快さが募って口をはさんだ。
「どうも合点がいかぬ。すぐに刀を抜くのは未熟な証拠である。わしは無手勝流とでも申そうか。」
武士は、「では、刀を抜かずに勝てるかどうか仕合ってみよう。」と言うので、仕合で決着をつけることにした。
そこで、船中では他の乗客に迷惑だから、あそこに見える離れ小島でやろう、ということになり、
先頭に舟を島につけてくれるように頼んだ。
島に着くなり武士は太刀を抜き身軽に飛び降りた。
卜伝は島に飛び降りると見せかけ、船頭の棹を受け取り舟を岸から押し戻した。
武士は戻れ、戻れとわめいたが卜伝は素知らぬ顔をして舟を遠ざけた。これが無手勝流である、と。
宮本武蔵がやったら卑怯といわれるだろう。
梶原長門は薙刀の名人であった。
刃渡り一尺四、五寸の薙刀を自由に操り、飛び交う燕を斬りおとすことができた。
相手に向かって「はじめに左の手、それから右の手、その後に首を打つ」と予告しておき、その通りに斬りおとしていった。
あるいきさつから、卜伝は梶原長門と仕合うことになった。
卜伝の弟子たちは心配して「勝算はあるのですか」と訊いた。
すると卜伝は「心配に及ばない。わしは刃渡り三尺の長い太刀で立ち会うつもりだ。
刃渡り二尺に満たない薙刀など柄の短い槍と同じだ。安心してみているがよい。」と言った。
仕合の当日、卜伝は歩み寄ると一瞬のうちに長門の薙刀を真っ二つに切り落とし、踏み込んで二の太刀を浴びせた。
長門は血煙りをあげて倒れた。
宮本武蔵がやったら卑怯といわれるだろう。
卜伝は兵法修行の旅をのとき、八十人の共を連れ大鷹を据えさせ乗換えの馬を三頭もひかせていた。
ベストパフォーマンス賞を与えよう。

