武蔵随想
佐々木小次郎の決闘時の年齢は?


武蔵と小次郎が舟島で決闘したことは、古くからよく知られた出来事であるが、
試合の模様を記述した文献の間に矛盾があり、よく分かっていない。
「二天記」では、佐々木小次郎は、富田勢源の弟子と記述されており、それならば決闘時は老人のはずなのに、十八歳だったとある。
しかし、これは、「武公伝」で越前一乗谷の生まれの富田勢源の弟子の小次郎が師に勝って巌流を開いたとき十八歳だった、とあるのを
小次郎は越前一乗谷の生まれで富田勢源の弟子となり船島で武蔵と戦ったときは十八歳だった、と変更したものだ。
なぜ、「二天記」作者は、このように変更したのか。これは、「二天記」作者の豊田景英の誤った思い込みをによるものだ。
まず、「二天記」の佐々木小次郎との試合であるが、その描写は大雑把にはこうだ。
小次郎は先に仕合場に着いていた。小次郎の刀は長刀であった。しばらくすると武蔵が船に乗って着いた。武蔵は、少し前で船から降りた。小次郎は武蔵の放った言葉に怒って、武蔵が近づいたところ眉間を打った。すると武蔵の鉢巻の結び目を切って鉢巻がハラリと落ちた。同時に武蔵の木刀が小次郎の頭を打ち、小次郎は倒れた。武蔵は倒れた小次郎の様子を見ていたが、木刀を振り上げて再び打とうとしたところ、小次郎が臥しながら刀を払い武蔵の袴を切った。
実は、これは「本朝武芸小伝」の吉岡清十郎の決闘の描写と全く同じなのだ。その描写は、こうである。
吉岡は先に仕合場に着ており、大きな木刀を杖にして武蔵を待っていた。しばらくすると竹篭に乗って武蔵は着た。仕合場より少し前で降りた。吉岡は大きな木刀を以って武蔵を打った。武蔵はこれを受けたが鉢巻がハラリと落ちた。武蔵は沈んで、木刀を払ったところ吉岡の袴を切った。
つまり、「二天記」作者は、「本朝武芸小伝」作者が巌流島決闘と伝えられていた内容を吉岡の仕合のことと思い込んだと思い込んだのだ。
「本朝武芸小伝」では、吉岡は決闘時は前髪のある二十にたらず、としている。
よって、佐々木小次郎は二十たらずの若者と思い込んだのだ。
彼らは、一体、何をやっているのだろう。武蔵ワールドは、伝言ゲームか?

