「生と死の教育」の実践例について

2003.11.23. by てるてる

日本小児科学会の「提言 小児脳死臓器移植はどうあるべきか」(2003年4月26日)では、

>>ドナー・レシピエントとなる小児の人権を損なうことのないように「死を考える授業」などを実践し,自らの命をどう考えるかの教育を通して,例えばチャイルド・ドナーカードによる自己意志表明,小児専門移植コーディネーターの育成,そして被虐待児脳死例の臓器移植を回避する方策の確立など環境整備の諸問題を今後継続して検討していくことを提言する.

と述べられている。
そこで、現在、小学校・中学校・高校で「死を考える授業」「自らの命をどう考えるかの教育」がどのように実践されているのか、そのなかで、脳死・臓器移植がどのようにとりあげられているのか、インターネットと図書館資料をもとに調査した。

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○実践報告について

小学校・中学校・高校での実践報告には、インターネットで読むことができるものがある。
授業では、日本臓器移植ネットワーク発行の臓器提供意思表示カードを生徒に見せて、自分だったらどうするだろうか、と考えさせるものが多い。
資料として、脳死・臓器移植推進派、慎重派、反対派それぞれのウェブページなどから偏りなく情報を得る努力をしているものが多い。しかし、なかには内容が正確でない資料が使われている例もあり、生徒が混乱するおそれがある。
参考図書には、
『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』(柳田邦男、文春文庫、1999年6月)、
高知新聞社会部「脳死移植」取材班『脳死移植 いまこと考えるべきこと』(河出書房新社、2000年2月)、
『ASAKO〜朝子 生命のかけ橋となって〜』(間沢洋一、ポプラ社、1999年)
などがとりあげられている。
実践例には、地域の特徴を生かしたものもある。たとえば、『「生と死の教育」の実践〜兵庫・生と死を考える会のカリキュラムを中心に〜』の古田晴彦教諭は、神戸市で1995年に起こった、少年による連続殺人事件の被害者の遺族の著書を資料に使っている。また、山梨県下山中学校の授業では、山梨県在住で下山中学校の卒業生を父親にもつ女の子の、渡航心臓移植の資料を使っている。
授業によっては、臓器移植推進・慎重・反対それぞれに偏っていると思われるものもあるが、小学校から高校までの過程で、いろいろな立場や思想をもった教師たちから授業を受け、一つの授業で抱いた意見がまた別の授業で問い返されるというような経験の繰り返しが望ましいのではと思う。

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目次

1. 小学校・中学校で、「生と死の教育」がどの程度教科書や教育要項に掲載されているか
1.1. 学習指導
1.2. 小学校・中学校の、教科書以外の資料
2. 高校で、「生と死の教育」がどの程度教科書や教育要項に掲載されているか


1. 小学校・中学校で、「生と死の教育」がどの程度教科書や教育要項に掲載されているか

1.1. 学習指導

1992年度に改訂された学習指導要領から、小学校低学年の理科が廃止されて「生活科」になり、理科は小学校中学年からとなった。さらに、小学校高学年から「保健体育」の教科が設定され、「ヒトの性」が養護教育から離れて「保健体育」に組み込まれることになった。その後、2002年度から実施される学習指導要領では、小学校中学年にも「保健」が開設され、<福祉・健康>をテーマにした「総合学習の時間」が新設された。
教師のための、総合学習、道徳、社会、理科、生活科、保健体育などの教科の学習指導の本を見てみると、全体に、生殖・誕生については書いてあっても、死について書いてあるものは少ない。そのなかのいくつかは、脳死・臓器移植そのものを扱っているもの、臓器移植のことは出てこないが死を扱っているもの、脳死・臓器移植に隣接するテーマを扱っているもの、今後、工夫次第で脳死・臓器移植のテーマも扱えると思えるものに分類できる。

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(A) 脳死・臓器移植そのものを扱っているもの

『<シナリオ形式による>保健の授業』(近藤真庸著、大修館書店、2000年7月10日発行)

岐阜大学地域科学部助教授近藤真庸助教授を中心とする研究会の小学校中学年「保健」の授業の報告と授業案。

「第3章 新学習指導要領時代の保健授業を創る」(p.160-183)
(p.160)
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第2節では、「脳死・臓器移植」問題を取り上げ、高校生のAさんが臓器提供に関わる<意思決定>を行うまでのプロセスを"描く"なかで、新学習指導要領にしばしば登場する<意思決定>について検討しました。
「自分の死を創る時代」(柳田邦男)と称される現在、"生と死"にかかわる<意思決定>が求められる場面は少なくありません。この論考をたたき台にしてディベートを組織してみるのもおもしろいでしょう。
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「2 課題学習 『脳死・臓器移植』問題をとおして、<意思決定>を考える」(p.167-p.172)

《ドナーカード》
高校2年生のAさんが、コンビニエンスストアのレジスター付近に置かれている臓器提供意思表示カードをみつける。
ボランティアサークルの仲間のBさんが、定期券と一緒に持っていたのを思い出し、自分も家に持って帰る。
しかし記入しはじめたときに、疑問を持つ。

《ドナーとその家族の視点から「脳死・臓器移植」を考える》
Aさんは、偶然、その日の夕方に、7例目の脳死移植のニュースを知る。(2000年4月25日付「朝日新聞」夕刊)
Aさんは、Bさんの家を訪ねた。

《私の<意思決定>Bさんの場合》
Bさんは、2年前に、母親を交通事故で亡くしていた。そのとき、母親は、集中治療室に入れられ、脳低体温療法を施されたが、脳死状態になった。Bさんには、母親は眠っているだけのように見えた。10日後に母親は心臓が停止して亡くなった。母親は臓器提供意思表示カードを持っていなかった。それから1年後に、臓器移植法施行後第1例目の脳死移植があった。そのときのドナーはBさんの母親と同じ年頃であった。Bさんの母親は臓器提供意思表示カードを持っていなかった。Bさんは、自分の場合はゆっくりと看取りの時間があったから母親の死を受け容れることができたが、臓器提供の意思表示をしていたら、その時間を奪われていたかもしれないと思った。そこで、Bさんは、臓器提供意思表示カードを携帯し、「私は、臓器を提供しません」に○をつけた。

《<承諾意思表示方式>と<反対意思表示方式>》
Bさんは、「臓器を提供しません」に○をつけるのは、エゴイストみたいに見られないかと思って、勇気がいったと話す。しかし、「愛の贈り物」とか「命のリレー」といった宣伝だけで、臓器提供の諾否を判断してはいけない、と考え、次のように述べる。 日本の臓器移植法では「すべての人間が臓器を提供する意思をもっている、とはいえない」という立場から<承諾意思表示方式>をとっている。しかし、外国には、「およそ人間は死後の臓器を提供する意思を有しているのが通常であり、それを望まないという意思が表示されない以上、臓器を摘出することが、本人の自己決定に沿う」と考える立場から<反対意思表示方式>を採用しているところもある。それにしても厚生省は国民への情報提供を怠っている。インフォームドコンセント(説明と同意)を、病院での医者と患者だけの関係にとどめないで、社会一般にまで広げていく必要がある。
Bさんは、柳田邦男の『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』(文春文庫、1999年6月)と、高知新聞社会部「脳死移植」取材班『脳死移植 いまこと考えるべきこと』(河出書房新社、2000年2月)をAさんに貸してくれた。

《レポート「私の<脳死・臓器移植>編」Bさんへの手紙》
Aさんは、Bさんにあてて、次のような内容の手紙を書いた。
脳死・臓器移植は、なによりもまずその本人の意思が尊重されなければならないが、家族や愛する人の看取りの時間も尊重されなければならない。臓器移植法施行後3年目を迎えての見直し作業で、「本人の意思表示がなくても、家族の同意があれば、臓器は摘出できる」ようにするかどうかが争点の一つになっているが、それには賛成できない。自分の意思決定はもう少し時間をかけて情報を集めてからにする。

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インターネットでは、同じく近藤真庸氏の実践を、別の教師の報告で読むことができる。

総合的な学習実践記録6年生(3) 「脳死と臓器移植について」  講師:岐阜大学 近藤真庸先生
http://www.yana.fuso.ed.jp/contents/hoken/hokensido/no-si%20kansou.htm

【授業について】
生きているとはどういうことか?脳死とはどういうものか?などを楽しく子ども達に説明していただいた。そこから,臓器移植の問題,そしてドナーカードのことを子どもたちともに考えるという貴重な授業であった。授業の最後に,近藤先生が,「今,あなたが,ドナーカードへの意思決定を求められたらどうしますか?」という問いかけをされた。この問いかけに子どもたちは,無記名で答え,小さな箱にいれた。
 質問の選択肢は「ア:1の臓器を提供しますに丸をつける」  「イ:1には丸をつけない」  「ウ:決められない」の3つ。この結果は,近藤先生は,ご自分の研究室で集計し送ってくださった。
 子どもたちは,授業後,まとめのカードを家庭に持ちかえり,家族と一緒に「脳死」「臓器移植」について鉛筆対談で話し合った。

 

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「道徳授業記録 島根 道島根通信」No. 240, 2000年3月24日 高田保彦
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/7745/takada.htm

小学6年を対象とした授業で「脳死問題を通じて人の死について考えると共に、生の尊厳に気づく」のがねらいである。

授業で使われる資料:
日本臓器移植ネットワーク発行の臓器提供意思表示カード、臓器移植法施行後に国内で心臓移植を受けた患者の新聞記事、USAで脳死後臓器提供をした間沢朝子さんについて父親の間沢洋一氏の著わした「ASAKO〜朝子 生命のかけ橋となって〜」(ポプラ社、1999年)、プリント「臓器を提供するか、しないか悩んでいるあなたへ」 (発行 「脳死」臓器提供による人権侵害監視全国ネット TEL/FAX06-315-7278)、ビデオ「NHKスペシャル 『柳田邦男の生と死を見つめて〜低体温療法の衝撃〜』」 (1997年2月2日放映)

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最後に二つ発問をして、人数を数えた後授業を終えた。
発問5 脳死は人の死だと思いますか。
脳死は人の死である  0人脳死は人の死ではない 40人 
発問6 脳死の時あなたは臓器を提供しますか。
臓器提供する 28人 →  4人     臓器提供しない 12人 → 36人
発問6は発問3と同じ発問である。
授業の前と後で、考えが逆転しているのが判る。
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註:
この授業は、森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板で話題になり、脳死の知識がいいかげんなために、生徒が混乱するという批判が出た。
批判の対象となったのは、プリント「臓器を提供するか、しないか悩んでいるあなたへ」 (発行 「脳死」臓器提供による人権侵害監視全国ネット TEL/FAX06-315-7278)の次の内容である。

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(1)臓器提供する  → 病院はすぐに移植医に電話連絡。救命治療をうち切り、臓器保存術に切り替え方針決定。脳死判定を待って臓器摘出。
(2)考えていない  → 臓器提供を拒否していないので、病院はすぐに移植医に電話連絡。救命治療をうち切り、臓器保存術に切り替え方針決定。心停止後、家族の承諾のみで臓器摘出。
(3)臓器提供を拒否  → 家族の救命治療要求に基づき、脳低温療法(救命治療)実施。75%が回復。または、家族に看取られ安らかな死。
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このプリントでは、(1)(2)は臨床的な脳死状態になったことが前提なのに、(3)は脳死以前の話。それを並べている。
また、低体温療法すればほとんど助かるわけじゃない。低体温療法をすれば助かりそうな患者には効果的なだけである。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/doutokujugyoukiroku.htm

 

なお、同じ授業が、もう一つ別のサイトでも報告されている。
6年の実践 単元「人権」 「脳死の授業」
http://chikyumura.hp.infoseek.co.jp/dousyu/nousi.htm

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下山中学校(山梨県南巨摩郡)

臓器移植の授業 まとめ
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~simoyama/15p1.htm
生徒の感想一覧
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~simoyama/15p3.htm
先生方へのアンケート
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~simoyama/15p2.htm

授業で配られる資料: 日本臓器移植ネットワーク発行の臓器提供意思表示カードとビデオ(脳死の説明、カードの書き方、臓器移植の現状)、脳死移植3例のプリント、山梨県からUSAに渡航して心臓移植を受けた幼い女の子のホームページ、腎臓移植を受けたこどもが描いた絵、第1例目の国内の心臓移植の患者の記事、移植者スポーツ大会の記事、世界各国の心臓移植数比較、先生方へのアンケート結果、
「臓器提供者家族の声」と「高知赤十字病院『脳死』臓器摘出・移植」
(いずれも「医療を考える会《ここが一番問題! 『脳死』・臓器移植の根本矛盾 / ドナーの基本的人権・生きる権利を全うする事とレシピエントの移植成功とは真っ向から対立する》」発行)
http://www.v-net.ne.jp/~pikaia/index.html
「臓器移植批判に反論する」(「臓器移植の情報サイト」Transplant Communication)
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/index.html
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_4/qa.html

山梨県からUSAに渡航して心臓移植を受けた幼い女の子は、おとうさんが下山中学校の出身であり、渡航のための募金活動もしたので、授業以前から女の子のことを知っている生徒もいた。
生徒の感想には、移植はいいことだと思うし移植待機患者を助けてあげたいが、臓器提供はたいへんなことであり、ドナーカードを書くことはむずかしい、という意見が多くなっている。

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(B) 脳死・臓器移植のことは出てこないが死を扱っているもの

おばあちゃん、おじいちゃんを亡くしたこどもの作文を資料に使っているものがある。

○『小学校 生活科【教え】から【学び】への授業づくり (6)』(水内宏・小川修一編、大月書店、1997年)

著者によると、「生活科」では、にわとりを飼育したり、コマをつくったり、麦を栽培し収穫し小麦粉をつくるなどの体験を通して、自然を認識し、「モノ、ヒト、カネを動かせる」能力を身に着けたり、「モノを知る喜び、つくる喜び、壊す喜び」などを知っていくことをめざしている。

「小学校1年・生活科・単元名『家族の学習』で人間理解を〜実践の基調: 主体者としての共同の生活づくりを〜」
「授業展開(1) 家族の“死”を見つめて」
おばあちゃんが亡くなったことを書いた「おばあちゃん」という作文を題材にして始まっている。この作文は、「あのネ帳」というノートに書かれている。これは、毎朝、「みなさん あのネ」と呼びかけながら、「あのネ帳」に書いた、自分の“興味”“関心”に応じた“みんなに伝えたいこと”“教えたいこと”を発表する、というものである。 「おばあちゃん」では、おばあちゃんに遊んでもらったこと、入院しているおばあちゃんをおみまいに行ったときのことなどが書かれていた。
この授業がおこなわれた頃、教室では、こども同士で「死ね」!と言ったり、落書きしたりすることがはやっていた。教師は、この時期に、「死」とは何なのか、という問題は避けて通れない課題であるとしてとりあげた。
授業は、おとうさんの仕事や妹の誕生など、さまざまな側面から「家族」のことを書いた作文がとりあげられて展開する。

なお、巻末の「座談会 子どもの問いから学びを育てる」(小川修一、笠井守、汐見稔幸)(p.142-154)で、「生活科とは」という編集部の問いに対して、汐見氏が答えている内容が、なかなかおもしろい。

(p.152)
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自分の体をだいじにする能力を育てるなら、どちらかというと医学に近いと思うけれど、生命科とか、そういうのは医学とか保健学、生物学を合体させなければならない。 (中略)
自然科学もすごく今揺れていますよ。アインシュタインもそろそろ疑われ始めている。それくらい変わってきているときに、これを教えれば自然がわかるとはいえないし、知識はどんどんたまってしまう。科学のイメージを小出しにしていくということはもうできなくなっている。 (中略)
いわゆる知性、知るという能力は、従来の教科の枠にはめて特定の学問知として育てていくのではなくて、未知の課題を知的に解いていく方法知というのを中心に育てていかないといけなくなる。しかし、探求的な能力一般をダイレクトに育てられないから、生活に関係のあるところで育ててみる。
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『「総合」だからできる「生と性の学習」〜みんなで見つめた いのち からだ こころ〜』(全国養護教諭サークル協議会企画、岩辺京子・東京都中央区立中央小学校養護教諭著、農山漁村文化協会、2000年)

1992年度から学習指導要領で性教育が養護教育でなく教科の学習として位置づけられるようになった。それから9年間の、養護教諭と養護以外の教諭とが協力して実践した授業の記録である。岩辺京子教諭は、「死の教育」を、「生と性の学習」をより深めるために組み込んでいる。また、保護者への通信「生きる」を発行し、授業を受けた生徒の感想などを掲載している。

「死を学ぶことで生きることを考える〜いのちの終わり 『死ぬこと、生きること』〜(六年)」(p.130-140)
「単元名: 命の終わり 『死ぬこと、生きること』 死とはどういうことか」
(1) 単元設定の理由: 小学生の間に不充分であっても、これまで学んできた「誕生」に対して遠い存在であった「死」について考えたり学んだりすることで、その間にある生について改めて目を向ける機会になるのではないか」
(2) 全体の指導計画(三時間扱い):
1: ヒトの死とは何だろう(生物としての側面を中心に)
2: 人の死が残すものは何だろう(人としての特性を中心に)
3: 生きていく上で大切なことは何だろう

授業では、絵本「わすれられないおくりもの」(スーザン=バーレイ、評論者、1986年)や、生徒の作文「おじいちゃんの思い出」が資料として使われている。参考文献には、「葉っぱのフレディ」(レオ=バスカーリア、童話屋、1998年)も挙げられている。

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(C) 脳死のことは出てこないが臓器移植を扱っているもの

骨髄移植と、皮膚移植を扱った授業があるが、両方とも、国際的なテロだとか、東西冷戦だとか、現実の政治情勢が困難な状況にあるにもかかわらず、人々が助け合う点に焦点が当てられているようである。しかし、移植医療は、本来、見知らぬ人々同士が助け合うことによって成立するものだから、その意味ではむしろ、移植医療の本質に迫ることができるのかもしれない。

○骨髄移植

『豊かな自分づくりを支える道徳の授業 5年』(押谷由夫編、教育出版、2003年)

「いのち このすばらしきもの」
〜新聞記事を資料化しての授業、体験活動等との関連〜体験を生かした総合単元的道徳学習

「ねらい: 命の尊さを知り、たくましく生きようとする気持ちを育てる。」
(愛知県東海市教育委員会青少年センター 坂野久美)
資料: 新聞記事(2001.9.28付「中日新聞」夕刊)をもとに教師が自作した資料「命のリレー」
白血病や再生不良性貧血の日本の3人の患者のために、USAの骨髄バンクから骨髄液を運ぼうとした。骨髄移植の待機患者は移植前日に自身の血を送り出す機能を放射線や薬で破壊し、新しい骨髄液を移植する用意をしている。ところが、移植当日になって、9.11事件が起こり、USAのすべての空港が閉鎖されてしまった。USAの骨髄バンクは「新たな犠牲者は出さない」という決意のもとに緊急輸送をやりとげ、無事に骨髄移植がおこなわれた。

授業の後、生徒たちは、日本骨髄バンクに質問をして、たくさんの資料をもらった。 教師は、生徒達が日本骨髄バンクに協力する活動ができるようになったらいいと思っていたが、そこまではできなかった。

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○皮膚移植

『豊かな自分づくりを支える道徳の授業 6年』(押谷由夫編、教育出版、2003年)

「国境を越えた救出劇 命のリレー」
〜TV番組の教材化、他教科との関連を図った学習〜多様な指導方法を取り入れた授業

「ねらい: 自他の生命は他に替えることができない大切なものであり、自己の生命は他の生命の中で生かされているものであることをとらえ、自己の生命と同じように他者の生命を大切にしていく心を育てる。」
(福岡県久留米市立南薫小学校 岩永正也)
資料: NHK「プロジェクトX『国境を越えた救出劇 あと70時間の命』〜大やけど コンスタンチン君 命のリレー〜」

教材に使われているテレビ番組のなかでは皮膚移植について述べており、コンスタンチン君が日本に来てから、移植用の皮膚がなかなか集まらない場面もある。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Ningen/yakedo/sub_yakedo.html
また、授業の「ねらい」で、「自己の生命は他の生命の中で生かされているものであることをとらえ、自己の生命と同じように他者の生命を大切にしていく心を育てる。」と述べているのは、皮膚移植のことをさしていると思われる。
しかし、授業案では皮膚移植という言葉が出てこず、また、ビデオを13分に編集しているというので、どこまで皮膚移植について授業中について述べているのかは、はっきりとはわからない。
むしろ、東西冷戦下で、国境の壁・政治の壁を越えて、ひとりのこどもの命を救うために人々が協力する姿に焦点が当てられている。

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(D) 今後、工夫次第で脳死・臓器移植のテーマも扱えると思えるもの

「生活科」「理科」「保健体育」の「生と性の学習」と、「道徳」の、生命についての授業で、脳死・臓器移植を含む生命倫理や、「生と死の教育」に応用または発展できると思われるものがある。

『人のからだの学習 2 小学校高学年 ヒトの生と性を学ぶ』(江川多喜雄編著、新生出版、1994年)は、著者の編集方針として、人のからだの、脳や神経のはたらきと感覚・運動器官との結びつきや、呼吸循環機能や、胎児と母体との結びつきをふまえて記述されているので、「脳死」や、妊娠中の脳死の女性の胎内で胎児が成長することを理解するのに役立つと思われる。ただ、著者の考えに従うと、小学校高学年になる前は、脳死を理解するのは無理ということになりそうである。死についての記述はない。

『新学習指導要領を生かした道徳の授業』(押谷由夫編著、小学館、2002年)の、生命についての授業では、早産で死産になった赤ちゃんの話、妊娠中毒症になって赤ちゃんを産むかどうか迷う母親の話、豚の心臓の解剖と人間の血液の循環と白血病で亡くなった女の子の話がある。
早産で死産になった赤ちゃんの話の展開は、脳死で心臓停止後に腎臓提供した杉本剛亮君の話や、生後4年で亡くなるまで植物状態だった亀井陽菜ちゃんや、先天性心疾患で心臓移植を受けるためにUSAに行ったのにドナーが現われる前に亡くなった有村勇貴ちゃんや毛利彰吾ちゃんの話を思い出す。「着たかもしれない制服」(杉本健郎、杉本裕好、杉本千尋著、波書房、1986年)、「陽だまりの病室で〜植物状態を生きた陽菜の記録〜」(亀井智泉、メディカ出版、2002年)などは、そのまま、こどもにもわかりやすく書き直すことで、授業で使えそうな気がする。
また、豚の心臓の解剖と人間の血液の循環と白血病で亡くなった女の子の話は、骨髄移植や、異種移植の話に発展できそうである。
赤ちゃんを産むかどうか迷う母親の話は、母体の健康と胎児の健康の両立についての話である。産むかどうか迷うということは、中絶という選択についても触れることになるのだろう。
後で挙げる、「2. 小学校・中学校の、教科書以外の資料」で紹介する『調べ学習 激動20世紀の真実と21世紀への課題3〜医療の倫理〜』では、ナチスの人体実験、サリドマイド禍、代替医療、妊娠中絶、多胎妊娠の減数手術、避妊、代理出産、臓器移植、精神病の治療(電気ショック、ロボトミー)、遺伝子治療、クローンなどがとりあげられている。また、「3. ディベート」で紹介する、「中学国語」の教科書では、ディベートの論題に「クローン生物は是か非か」を挙げているものもある。

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『人のからだの学習 2 小学校高学年 ヒトの生と性を学ぶ』(江川多喜雄編著、新生出版、1994年)

p;36-37に、「表1 5,6年の『ヒトのからだ』の学習の到達目標と具体的内容と教材」があり、著者の「保健体育」の構成と構想がまとめられている。
「人は直立二足歩行する動物である」という大前提のもとに、
(1) ヒトは食物を食べて栄養をとっている
(2) ヒトは子どもを哺育して、子孫を残す
(3) ヒトは直立二足歩行をする
という三つの「到達目標」がすえられ、それぞれの目標のなかに「具体的内容」があり、そして「具体的内容」のなかに「教材」がある。
「(1) ヒトは食物を食べて栄養をとっている」のなかに「具体的内容(2) 血液は、栄養、酸素(不要物)などを運ぶ」、「(2) ヒトは子どもを哺育して、子孫を残す」のなかに「具体的内容(3) 胎児は、母体から栄養をとって成長して生まれる」、「(3) ヒトは直立二足歩行をする」のなかに、「具体的内容(2) ヒトは大きな脳をもっている」があり、「ヒトは大きな脳をもっている」のなかに、「ヒトの脳は、他の動物と比べると、大脳の部分が大きくなっている」、「ネズミは匂いを感じる部分、メガネザルは見る部分、ヒトは考えたり、作りだしたりなどをする部分の脳が発達している」がある。
これらは、ひとの脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止する「脳死」の状態になってもなお、人工呼吸器の助けを借りて、全身の循環機能が維持され、妊娠中の女性の場合は、胎児が成長することを理解するうえで役立つ知識だと思う。
また、「到達目標(1) ヒトは食物を食べて栄養をとっている」のなかには、「具体的内容(3) からだの中でできた不要なものは、腎臓や肺からすてられる」があり、さらにそのなかに「血液は、体の中でできた不要なものを集めて、腎臓や肺に運んで体外に捨てる」、「腎臓は、体でいらなくなったものを尿にする」「肺は、血液中に酸素を取り入れ、血液中の二酸化炭素を体外に出す」がある。
これらは、腎臓移植のことや、脳に血流がなくなったら脳死に到ることを理解するのに役立つと思う。
「はじめに」(p.4-5)より
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3学年以上の各学年で学習するようになった人体学習の内容を検討し「ヒトも食べてふえて生きている動物」であるという観点から、人体学習の内容をくみかえることの大切さを述べました。そこで「ヒトの性」の学習では「ヒトの生(栄養器官)と性(生殖器官)を学ぶ」としました。
(中略)
「ヒトの生と性」としたのは、「生きていてこそ性の営みがある」「母体の栄養器官の理解なしには、胎児の栄養の摂取はとらえられない」などと考えたからです。
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「I章 ヒトのからだを生物学的にとらえる」
「1. 3年以上に人体学習が登場したが……」
「(1) 3学年での「目、耳、皮ふと筋肉、骨」の学習」(p.12)より
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なによりも、感覚器は外界の刺激を受け取り脳につたえてこそ、外界の事象を判断できるのですから、脳や神経なしの学習では、本質的な意味をもちません。本質的な学習は、3年生には無理なことです。
(中略)
3学年では、目や耳よりも歯の学習を取り上げたいと思います。永久歯にいちばん抜けかえる時期ですから、このことは、第1巻『ぼくの わたしの からだしらべ』で、くわしく述べています。
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「(2) 4学年での『人の活動と時刻や季節』の学習」(p.13)より
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体温や脈拍数の意味もわからないまま、ただ、運動の前後や夏と冬に比較してみても、意味ある学習にならないでしょう。体温や脈拍の理解には、呼吸や血液の動きがとらえられることが必要です。6学年の内臓の学習といっしょに扱うほうがわかりやすいでしょう。
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「5. 5.6年の『ヒトのからだ』の学習の到達目標と具体的内容と教材」(p.34)より
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ヒトという動物の特徴は、「直立二足歩行する哺乳動物である」ということです。この観点で、ヒトのからだの学習内容を考えると「(1) ヒトは食物を食べて栄養をとる、(2) ヒトは子どもを哺育して子孫を残す、(3) ヒトは直立二足歩行をする」という、3つの到達目標が考えられます。
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「V章 ヒトは直立二足歩行する動物〜6年 ヒトのからだ〜」
「3. 授業の展開 / (8) ヒトは大きな脳をもっている / 課題8」(p.173-174)より
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ヒトと他の動物の大脳の図(図V-25)を渡して、それぞれの働きごとに、色をぬらせていきます。「見る」「ふれる」「筋肉運動」「におい」の部分を順に赤くぬらせていくと、ヒトは、「考える・推理する・つくる」部分が大きいことがわかります。そこを「前頭葉」ということを教えます。
そこで、「なぜ考える部分が発達した脳になったのだろう」と問いかけ、意見が出たところで、『2本足と4本足』の本の19ページと20ページを読み聞かせ、人は直立二足歩行して手が自由になり、物を作ったりすることによって、脳が発達したことをとらえさせます。
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<たしかになったこと>(p.174)より
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大脳からどうやって指令が伝わるか、プリントを見た。まず大脳から小脳へいって、えんずいという太い神経にいく。そして背骨にあるせきずいという神経に伝わり、細かい神経へ送られるということがわかった。
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『教育技術MOOK 新学習指導要領を生かした道徳の授業 NO.1 〜総合単元的学習を取り入れた授業〜』
(押谷由夫・昭和女子大学教授・前文部科学省初中局教科調査官編著、小学館、2002年)

2学年、4学年、6学年に、生命についての授業がある。
2学年では、一般的な、赤ちゃんが生まれてくるまでの話と誕生直後の話と、早産で死産になった赤ちゃんの話がある。
4学年では、妊娠中毒症になって、赤ちゃんを産むかどうか迷う母親の話が出てくる。
6学年では、豚の心臓を解剖したり、人間の血液の循環の話、白血病で亡くなった女の子の話がある。

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○2学年「たいせつないのち・かげがえのないわたしたち」(p.28-33)

「ねらい: 生きることの喜びを実感し、生命を大切にしようとする心を育てる」
「資料: おほしさまになったおねえちゃん」
早産で死産になった赤ちゃんの話が出てくる。
「道徳」「生活科」「学級活動」で連携して授業を組み立てている。

「生活科」
生後3ヶ月の赤ちゃんを学校につれてきてもらって、生徒がさわったり、おかあさんに質問したりする。

「学級活動」
助産婦さんにきてもらって、赤ちゃんがおかあさんのおなかのなかにいるときの話をきく。
「赤ちゃんが生まれてくるときには、山があったり崖があったりする赤ちゃんの通り道を一生けんめいにがんばって外にでてくるの。そして、外の空気を初めて吸ったときオギャーと泣くの」

「生活科」
生徒が、自分が赤ちゃんだったときのことを、家族にきいてくる。

「道徳」
「おほしさまになったおねえちゃん」
小学1年生の男の子が、おかあさんから、以前に、早産で生まれて死産だったおねえちゃんの話を聞いた。
教師から生徒への質問:
「赤ちゃんが早く生まれてしまわないようにがんばっているお母さんはどんな思いでしょう?」
「白いきものをきた小さなおねえちゃんとお別れする時、おとうさんやおかあさんは何と言ったでしょう?」

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○4学年「大切な命」(p.64-69)

「ねらい: 自分は多くの人の願いや期待に支えられて生きていることを知り、自他の人の命を大切にしようとする心情を育てる。」
「資料: わたしのたんじょう」
はじめに、産休に入った隣のクラスの先生のおなかを生徒達にさわらせてもらう。
「主題設定の理由」(p.66)
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(1) ねらいとする価値
(中略)
一人の人間の誕生をめぐって、無事を祈り、健康を願う多くの人の存在は欠かすことができない。生まれてくる子どものために健康な体でいたいという母親、それを支える医師や家族のあいじょう。生後から独立までの長期にわたる周囲の人の援助。そうした事情を知ることは自分の命のかけがえのなさへの深い自覚をもたらすものであり、自分と同じように他の人の命も大切にしたいという気持ちをもてるようになると考える。
(2) 資料について
妊娠中毒症の母親が、子どもを生むべきかどうか迷った結果、生むことを決意する。自分の誕生をめぐってそのような事実があったことを聞いた主人公は、自分の命やみんなの命を大切にしたいと改めて心に誓うという話である。
(中略)
(3) 指導方針
事前の学習で、妊娠中の先生のおなかに触ったり、母親としての思いを聞いたりする活動を行う。その際、どのような態度で臨んだらよいのか、家庭で母親に聞いて調べておき、学級全体で、話し合ってみんなで守ることを決め、約束をしっかり守って活動できるようにする。
「先生のおなかをさわらせてもらおう! どんなことに気をつけてさわったらよいのか。
頭や手や足はどの辺にあるかそうぞうしながらさわる。
大切ないのちがあると思いながらさわる。
自分がおなかの中にいた時はこうだったのかな。」
(中略)
展開後半の自分自身について考えるところでは、一人ひとりの子どもに当てた母親からの手紙を読ませ、自分もこんな風に大切にされて生まれ育ってきたことを実感できるようにする。
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○6学年「生命について考えよう〜生命にかかわる内容を組み合わせた関連的な学習の展開を通して〜」

「ねらい: 生物の生命に目を向け、生命のすばらしさや尊さを感じるとともに、生命あるものにいたわりの気持ちをもつ心を育てる。」
「資料: 生き方を考える」
「理科」「道徳」「創意活動」を組み合わせた授業。

「理科」と「創意活動」
体のつくりを学び、科学館や動物園を見学し、人体の血液循環のモデルをつくる。
食物連鎖について学ぶ。豚の心臓の解剖をする。めだかの血液の観察をする。

「道徳」
「資料: 生き方を考える」を使って、白血病の闘病生活と死の話を聴く。
授業の後で、生徒と家族とが話をするようにし、保護者からこどもへの手紙を書いてもらう。
ビデオ「かけがえのない生命」を使って、猿の出産や鮭の産卵のようすを見る。

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1.2. 小学校・中学校の、教科書以外の資料

教科書以外の資料で、関連のテーマをとりあげているものがある。多くは学校図書館や市立図書館などに所蔵されていて、生徒達が総合学習のレポートの作成などに利用する。

『調べ学習 激動20世紀の真実と21世紀への課題3〜医療の倫理〜』
ロバート=スネッデン著、トム=ウィルキー監修、栗山康子訳、星の環会、2000年
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b6414ed735de0104e81?aid=p-morioka00730&bibid=00017121&volno=0000

中学生ぐらいを対象とした本。
ナチスの人体実験、サリドマイド禍、代替医療、妊娠中絶、多胎妊娠の減数手術、避妊、代理出産、臓器移植、精神病の治療(電気ショック、ロボトミー)、遺伝子治療、クローンなどがとりあげられている。
 臓器移植については、臓器売買や、胎児細胞の利用についても述べている。本人の意思表示の問題では、ブラジルで、臓器提供拒否の場合は明示の義務があるという法律を作ったとき、この法律では、何枚もの書類を役所に申請して拒否の意思表示を記入しなければならず、貧しい人々や読み書きができない人々は、実質的に臓器をとられるばかり、というので反対運動が起こって廃案になったという例が引かれている。

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『難病の子どもを知る本1〜白血病の子どもたち〜』
http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=2670
山城雄一郎・茂木俊彦監修、稲沢潤子文、石本浩市・難病のこども支援全国ネットワーク編、オノビン絵・田村孝絵、大月書店、2000年

『難病の子どもを知る本2〜心臓病の子どもたち〜』
http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=2669
山城雄一郎・茂木俊彦監修、稲沢潤子文、石澤瞭・難病のこども支援全国ネットワーク編、オノビン・田村孝絵、大月書店、2000年

『難病の子どもを知る本3〜腎臓病の子どもたち〜』
http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=2662
山城雄一郎・茂木俊彦監修、稲沢潤子文、香坂隆夫・難病のこども支援全国ネットワーク編、オノビン絵・田村孝絵、大月書店、2000年

『難病の子どもを知る本』は、8冊まで出ていまるが、そのうち、はじめの3冊は、移植と関係のある病気である。
姉妹編に、『障害を知る本』というシリーズもある。小学校高学年ぐらいが対象。
http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=2671

『1 白血病の子どもたち』
白血病の治療法の一つとして、骨髄移植が紹介されている。

『2 心臓病の子どもたち』
治療法として、カテーテル治療とペースメーカーが紹介されている。本の終わりのほうで、こどもが心臓移植を受けられるようにするための、「全国心臓病の子どもを守る会」の運動が紹介されている。

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心臓病の中には心臓移植でしか助からない病気もあります。
小さな子どもも日本で移植手術ができるように、国やまわりの
人たちに働きかける活動もしています。さらに多くの人に移植
医療を理解してもらうために意思表示カードなどを配る運動も
すすめています。
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『3 腎臓病の子どもたち』
治療法として、透析と移植が紹介されている。
「機械で血液をこす 血液透析」、「おなかのなかで血液をこす 腹膜透析(CAPD)」、「移植」

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移植には生体移植と献体移植があります。生体移植とは、
家族など身近な人から腎臓を1つ提供してもらって移植する
ものです。腎臓は2つあり、1つだけのはたらきでも十分
生きていけます。献体移植とは、亡くなった人から生前の
意思や家族の同意を得て、腎臓の提供を受けるものです。
どちらも血液型や白血球の型が一致しなければ移植できません。
献体移植はかつては大都市の大きな病院にかたよっていましたが、
今では、どの地域においても、血液型などがいちばん適合する
人に提供されるシステムになっています。
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2. 高校で、「生と死の教育」がどの程度教科書や教育要項に掲載されているか

『「生と死の教育」の実践〜兵庫・生と死を考える会のカリキュラムを中心に〜』(古田晴彦関西学院高等部教諭著、清水書院、2002年)によると、

(p.135)
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上越教育大学の得丸定子氏は、論文(引用者註;「学校で『死』を教える」カール・ベッカー編著『生と死のケアを考える』法藏館、2000年)の中で、2002年度から実施される小学校学習指導要領の『解説書』、道徳編5・6学年の「内容項目の観点」で、「人間の誕生の喜びや死の重さ、生きることの尊さを知ることから、自他の生命を尊重し力強く生きぬこうとする心を育てるとともに、生命に対する畏敬の念を育てることが大切である」という解説文があり、動物でも植物でもない「人間の死」が、学習指導要領の関連冊子の中ではあるが初めて記述されたと指摘している。
しかし、中学校・高等学校版においては、「死」という語句はまだ一語も記述されておらず、小学校で「死」を教えられても、高校生に「死」を教えることは難しいとでも考えているのであろうかと、疑問を呈している。
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ということである。
また、埼玉県立志木高校の熊田亘教諭は、3年生の選択授業「倫理」で、1997年度から通年で「死の授業」をしている。その実践をまとめた「高校生と学ぶ死」(清水書院、1998)から引用して、古田晴彦氏は次のように述べている。

(p.135)
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学習指導要領における高等学校「倫理」の項目と「死の授業」との関係について次のように言及している。「人間としての自覚」の項目では先哲の思想や宗教を取り上げることになっているが、「死の授業」では日本人の死生観や各宗教の死生観、現代科学の死生観を紹介する中で触れることができる。また、「現代社会の特質と人間」の項目では、核家族化や高齢化などに触れるよう例示されているが、「死のイメージの希薄化」の授業でこれらに触れることができる。更に指導要領は「現代社会を生きる倫理」で、「人間の尊厳と生命への畏敬、自然や科学技術と人間とのかかわり……などについて理解を深め」としているが、前者は「死の授業」全体に、後者は「延命治療と尊厳死」「脳死と臓器移植」が完全に合致するテーマである。「日本人の死生観」の授業では、指導要領の項目「日本の風土と日本人の考え方」や「外来思想(東洋思想)の受容と日本の伝統」を取り上げることができる。総合的に検討してみると、多分に一点撃破主義的ではあるが、「死の授業」によって、「倫理」の学習内容のほとんどの部分をカバーできるのではないかと、熊田氏は結論づけている。
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『「生と死の教育」の実践〜兵庫・生と死を考える会のカリキュラムを中心に〜』は、関西学院高等部1年の必修科目「現代社会」で、3学期1学年全7クラスで実施した「生と死の教育」の実践報告が中心となっている。報告書の前半は、古田晴彦教諭自身の、妻の癌の闘病と死別の記録である。古田教諭は自身の経験ののち、「兵庫・生と死を考える会」での研究に参加し、教育現場での実践に及んでいる。それには、2003年度から実施される新しい学習指導要領で、「生きる力」の育成が大きな課題として提示され、「総合的な学習の時間」が設定されたことが追い風になっているという。
授業で配布される資料には、河野美代子著『SEX & our BODY 〜10代の性とからだの常識』(NHK出版、1993年 http://netman2jp.s26.xrea.com/normal/sei1114.html)、『彩花へ「生きる力」をありがとう』(山下京子、河出書房新社、1998年)からの抜き刷り「山下京子さんの悲嘆の作業」、古田氏が高等部『図書春秋』(第30号、1998)に掲載した、『彩花へ「生きる力」をありがとう』の紹介文などがある。

*参照
「兵庫・生と死を考える会」
http://www.portnet.ne.jp/~seitoshi/toppege.html

古田氏によると、高校での「生と死の教育」は、個々の教師達により、さまざまな実践が報告されているが、体系的な取り組みが行われている学校はまだごく限られている。その傾向は、教材や実践の報告を見る限り、小・中学校でもあまり変わらないようである。

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○脳死・臓器移植について記述している高校教科書の例

△三省堂『現代社会21』(旧課程)
http://tb.sanseido.co.jp/society/14_text/society_21.html
「現代的な話題のプチコラム: 薬害エイズ、アイヌ民族の権利確立、外国人労働者と日本、子どもの権利条約と18歳選挙権、脳死など、最近の諸問題をとりあげ、囲み記事で解説しました。」

△数研出版『現代社会21』(新課程)
http://www.suken.co.jp/goods/list/kyokasho/koumin/zai/index.html
()の数字はページ数
現代社会の諸問題をさぐる【課題学習】(40)
1□きれいな地球を守るために(4) / 2□捨てる前に考えよう!(4)
3□脳死と臓器移植(4)
4□曜日と迷信(4)

△一橋出版『倫理〜現在(いま)を未来(あす)につなげる〜』(新課程)
http://www.hitotsubashi-shuppan.co.jp/high_t/chirekikoumin/chirekikoumin_sinkan-022.html#dai_1_3
課題学習のテーマ(6件のテーマが各々4ページ構成になっている)
T−@ 生命 遺伝子診断をうけるか / 着床前診断 / 自分にとって過剰と思われる医療を拒否する

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○教科書検定

2002年4月10日に、高校の「現代社会」の教科書の記述に、検定で修正意見がついたことが神戸新聞などで報道された。

>申請段階
>しかし、臓器移植法は、書面による本人の意思と家族の同意を臓器提供の条件とするなど、厳格な運用を定めているため、脳死移植の件数は伸びていない。
>検定意見
>運用に当たり厳格さが求められるのは当然であり、それが脳死移植の件数の伸びない原因とするのは一面的
>修正後
>臓器移植法は、書面による本人の意思表示に加え、家族の同意を移植臓器提供の条件としている。多くの人が脳死を死と認め、臓器移植を受け入れるには至っていない

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○実践報告

社会科の演習授業 村田浩
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/

高校の公民分野と中学の社会科の中でおこなった演習授業で、生徒達が書いたレポートがまとめられている。

「10.脳死は人の死か (1997.6)」
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/nousi.htm
「脳死を認める立場」「脳死を認めない立場」「保留・その他」がほぼ同数である。
「12.臓器移植法 (1997.6)」
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/isyoku.htm

脳死の判定の前に本人と家族の許可がいることについて批判が殺到している。また、外国のように、本人の同意がなくても家族の同意だけで臓器提供できるほうが、より多くの人が移植で命を救うことができるという意見が多い。

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「ユウバイオス研究会」

高校の授業で脳死・臓器移植を含む生命倫理の問題をとりあげているもののうちいくつかは、「日本における高校での生命倫理教育」というサイトからまとめてリンクされている。これは、つくば大学のメイサー=ダリル教授の編集による、ユウバイオス研究会のサイトである。
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~macer/hsb.html

東京都立足立新田高等学校「生物学」
生物学と生命観(脳死の授業から)
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~macer/hsb/hsb49.html

白石直樹教諭: 1987年以来、東京都立高校における、12年間の脳死についての授業の実践がある。
教材としたビデオ: NNNドキュメント88特集「生命と移植」の第1編(約25分)(大阪大学医学部付属病院特殊救急部での取材)
生物学で,なぜ脳死の授業を行ってきたかというと,(1)生物学的に正しい理解をした上で生徒たちが判断してほしい(2)脳死とは何か,自分自身の答えを得たい,という2点がきっかけだった。
「専門的知識と脳死を受け入れる生命観は切り離せるか」「生物学は生命観とどういう関係をたもっていけばいいのか」という問題意識を持っている。

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○ディベート

「全国教室ディベート連盟」の「新教科書でディベートはどのように扱われているか」によると、2002年度から実施される小学校・中学校・高校の学習指導要領に合わせて、教科書にディベートまたはディベートに似せた討論の論題が載せられている。
http://member.nifty.ne.jp/debate/

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○「教科書に載っている論題」
http://member.nifty.ne.jp/debate/txt/d_jugyou/rondai.htm
「小学校国語」、「小学校社会」、「中学校国語」、「中学校社会」、「高校国語」、「高校国語総合」、「高校現代社会」に分けて載せている。
「脳死・臓器移植」を含む現代の生命倫理に関するものの多くは高校の教科書に掲載されており、小・中学校の教科書ではほとんどみあたらない。

中学校国語
三省堂「クローン生物は是か非か」

高校国語
教育出版「脳死は人の死か」

高校現代社会
実況出版「人間のクローンは許されるか」

数研出版「脳死状態の人の治療」「代理母について」

一橋出版
「第三者からの精子・卵子提供による体外受精は禁止すべきである」「受精卵の着床前診断を認めるべきである」
「家族の同意のみで脳死・臓器移植を実施できるようにするべきである」
「遺伝子組み換え食品の輸入を禁止すべきである」「クローン技術は凍結すべきである」

東京書籍「安楽死を認めるべきか」

教育出版「臓器移植の可否」

桐原書店「植物状態で生命維持装置をはずすことはよいか、悪いか」

山川出版「脳死」

三省堂
「脳死状態からの臓器移植は、提供者本人と移植を受ける人との合意があればやるべきである」
「安楽死の問題や人工妊娠中絶の問題」

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○高校のディベート

高校のディベートのホームページでは、必ず移植推進側と反対側、慎重側、「脳死」についての賛否両論の参照文献・参照ウェブページなどを紹介しているが、なかには定番ともいえるものがある。

Transplant Communication 「臓器移植の情報サイト」「臓器移植批判に反論する」
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/index.html

Weakly TARANCO
(WEAKLY TARANCOは適切なルールに従った臓器移植を応援します。リンクを張ってもらっているページで、WEAKLY TARANCOを移植反対ページと紹介されていることが多いようですが、わたくしどもは臓器移植そのものに反対している訳ではありません。「脳死=人の死」は認められない、と言っているだけです。(2000/08/25) )
http://taranco.hp.infoseek.co.jp/noshi/index.htm

「医療を考える会」(『ここが一番問題! 「脳死」・臓器移植の根本矛盾 / ドナーの基本的人権・生きる権利を全うする事とレシピエントの移植成功とは真っ向から対立する』)
http://www.v-net.ne.jp/~pikaia/index.html

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女子聖学院高等学校1年「現代国語」ディベートの授業
http://www.rt.sakura.ne.jp/~kanto/text/debate/nousi/index.htm

2000年度のテーマ「日本は脳死者からの臓器移植を義務化すべきである」(ちなみにもう一つのテーマは「日本は積極的安楽死を法的に認めるべきである。」)

肯定側、否定側の立論モデル、参考となるウェブページへのリンクがある。いくつかはリンクが切れていたり移動していたりする。

「脳死と臓器移植を探る」
(Weakly TARANCO, http://taranco.hp.infoseek.co.jp/noshi/index.htm)
リンク先についての説明: ここを見ると、脳死と臓器移植の問題点がほとんどわかります。賛成も反対も公平に扱おうという姿勢が好感がもてます。

「臓器移植批判に反論する」(「臓器移植の情報サイト」Transplant Communication)
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/index.html
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_4/qa.html
リンク先についての説明: 肯定側の有力な資料が見つかりました。情報提供のNさん、ありがとうございます。特に「脳死臓器移植は脳死者の人権を侵害するものか」から後の部分は肯定側の議論を補強するのにかなり使えると思います。

「脳死は人の死にあらず」(「医療を考える会」『ここが一番問題! 「脳死」・臓器移植の根本矛盾 / ドナーの基本的人権・生きる権利を全うする事とレシピエントの移植成功とは真っ向から対立する』http://www.v-net.ne.jp/~pikaia/index.html)
リンク先についての説明:脳死反対のサイト。脳死に関連する様々な事件をアップしています。

「脳死−臓器移植の社会学」(北海道大学大学院文学研究科宮内泰介)
http://region.letters.hokudai.ac.jp/miyauchi/nosi.html
リンク先についての説明: 北海道大学文学部、宮内泰介氏の講義録です。記述は簡潔ですが、臓器移植を考える場合の基本的な哲学が明示されています。

「脳死・臓器移植 リンク集」
http://www.asahi-net.or.jp/~ry7a-nsng/nosi/nosilink.html

「知っておきたい情報 メニュー」リンク切れだが、たぶん、「バチスタ手術体験記」のことだと思われる。
http://www.246.ne.jp/~snakajii/batista/
リンク先についての説明: 拡張型心筋症の手術を体験した方が、心臓病関連の情報をアップしています。心臓手術の費用などけっこう知りたい情報が載っています。

「NHK地球法廷:臓器移植」リンク切れ
「毎日新聞:臓器移植関連ニュース」リンク切れ。→「毎日新聞:科学環境ニュース」http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/

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若狭高校ディベート同好会
http://homepage2.nifty.com/hisawata/debate/14touronkai/sub02.htm

2003年度若狭高校討論会(ディベート大会)
テーマ「臓器移植」(ちなみにもう一つのテーマは「死刑制度」)

参考となるウェブページへのリンクや、若狭高校の図書室にある参考文献の一覧がある。

「臓器移植の情報サイト」Transplant Communication http://www.medi-net.or.jp/tcnet/index.html
リンク先についての説明: 基本的な情報が載っています。まずはここから

「臓器移植に関する世論調査」(内閣府、平成10年、平成14年)
http://www8.cao.go.jp/survey/h14/h14-zouki/index.html
http://www8.cao.go.jp/survey/h14/h14-zouki/index.html

「日本臓器移植ネットワーク」http://www.jotnw.or.jp/
リンク先についての説明: ドナーとレシピエントの橋渡しをする組織です。

「トリオジャパン」http://square.umin.ac.jp/trio/index.html
リンク先についての説明: 少し古い情報もありますが、賛成反対どちらの立場にたつとしても、このページで、基本的なところを学習するといいと思います。

"Life Studies" http://www.lifestudies.org/jp/
リンク先についての説明: 森岡正博さんのページ。子どもの権利にもとづいた独自の改正案を提言されています。リンク集は必見。

"Acero" http://www.asahi-net.or.jp/~ry7a-nsng/index.html
リンク先についての説明: 脳死を人の死と認めないという主張です。臓器移植に反対する方のリンク集があります。

"Weakly TARANCO" http://taranco.hp.infoseek.co.jp/index.htm
リンク先についての説明: 脳死=人の死 とすることに反対している。ここのリンク集は必見。

「脳死・臓器移植」(「私は臓器を提供しない」(洋泉社新書y)を読んで)
http://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/opinion/contents/noshi.htm
リンク先についての説明: 臓器移植反対の立場の方です。脳死・臓器移植の歴史についてもまとめていらっしゃいます。

「15歳未満の子どもからの臓器移植について考える」
http://www.law.kanazawa-u.ac.jp/aono/kodomokaranoisyoku.htm
リンク先についての説明: 金沢大学法学部青野教授のページです。膨大な内容で少し難しいですが、読んでみてください。


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