「道徳授業記録〜脳死問題を通じて人の死について考えると共に、生の尊厳に気づく〜」について

2003.09.14, 2003.11.09. by てるてる

「森岡正博さんの『脳死臓器移植』専用掲示板 2002年05月01日〜05月31日」より

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道徳授業記録 投稿者:りんご  投稿日: 5月18日(土)02時04分32秒

小学6年生を対象にした「脳死問題を通じて人の死について考えると共に、生の尊厳に気づく」ことをねらいとした授業の記録。

参考図書に、森岡本がないのが残念・・・。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/7745/takada.htm

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道徳授業 投稿者:森岡正博  投稿日: 5月18日(土)07時43分05秒

資料の見せ方で、意見が逆転するのは、子どもでも、大人でも同じですね。
しかし、

>脳死になってそのままにしておけば、どうせ死ぬんだとも思っていた。でも、
>そのままにしている時間にもう一度生きることができるというのは知らなかった。

という感想が出ているけど、これについては、次の授業のときでいいから、訂正するべきだと思う。

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ミスリーディング? 投稿者:ひろき  投稿日: 5月19日(日)01時38分13秒

下のリンクですが

@臓器提供する  → 病院はすぐに移植医に電話連絡。救命治療をうち切り、臓器保存術に切り替え方針決定。脳死判定を待って臓器摘出。
A考えていない  → 臓器提供を拒否していないので、病院はすぐに移植医に電話連絡。救命治療をうち切り、臓器保存術に切り替え方針決定。心停止後、家族の承諾のみで臓器摘出。
B臓器提供を拒否  → 家族の救命治療要求に基づき、脳低温療法(救命治療)実施。75%が回復。または、家族に看取られ安らかな死。

これは明らかに間違いでは?
低体温療法すればほとんど助かるわけじゃないでしょう。
低体温療法をすれば助かりそうな患者には効果的なだけで
もうどうしようもない状態なら何やってもムダでしょう。

こんなデータを見せられれば、誰でも臓器提供したくないでしょう。
子供達が真剣に考えるべき問題はこういうことではないような気がします。

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この道徳授業は 投稿者:ゆうみん  投稿日: 5月19日(日)02時12分51秒

少し、乱暴なように思います。小学6年生に、「いのち」についてのどのような学習が、それまでに為されているのか解りませんが、いきなりこの内容では、多くの子供たちは、ただ振り回されるだけのような気がしますが、如何がなのでしょうか。
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たしかに 投稿者:森岡正博  投稿日: 5月19日(日)15時45分25秒

>ひろきさん、ゆうみんさん

ひろきさんご指摘の箇所を読み飛ばしていました。その箇所は、あきらかにおかしいです。(1)(2)は臨床的な脳死状態になったことが前提なのに、(3)は脳死以前の話。それを並べているから、下記で紹介したような子どもの意見が出てくる。(2)の記述もヘン。

この授業はまずいです。

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お願いします 投稿者:ヒゲおやじ  投稿日: 5月20日(月)19時51分41秒

生命倫理課題を授業で扱う場合、ご本人の感動?や得心?
をそのまま授業化するとこういうパタンが頻発します。
子どもに正当な自己決定の機会を得てもらうためにも、
森岡先生、小中学生向けの授業案か読み物を作ってください。
お願いします。
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ヒゲおやじさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 5月20日(月)21時22分48秒

授業教材を作るのは、ほんとにむずかしいです。
たとえ私が、公平を期して作ったつもりでも、どうしても、森岡杉本案寄りの教材になってしまうことは目に見えています。
この改正案に直接タッチしていない方が、関連資料を読破して、作ってくださるしかないようにも思いますが・・・。
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それでもお願いしたい 投稿者:ヒゲおやじ  投稿日: 5月21日(火)00時07分04秒

それでもお願いしたいと思います。
うまく言えませんが、私どもが欲しいのは、公平さではなく水準です。公平なんてありえないけど、思考の水準みたいなものはあるとしか思えない。その水準を担保せずに子どもたち(や私たち)に自己決定を委ねるのは、森岡先生自身(やその層化した思想)の歴史を省略した上での歪曲に思えてしまう。この同時代に先生がいらっしゃるのですから何とか・・・
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すりガラスからひかり? 投稿者:ヒゲなしおばはん  投稿日: 5月21日(火)09時06分14秒

横入りお許しください。
前略
ヒゲおやじさんの叫びを読んで、自分の気持ちと置き換えてみました。う〜〜〜
そうだ、おやじさん、頑張ってみませんか?
というのは、おやじさんが水準になっちゃえばいいんじゃないかって、気づきました。おやじさんのその勢いはきっと通づると思います。子ども達に。むしろ、おやじさんが水準作っちゃって、例えばkinokopress.comさまに売り込んじゃうとか?・・・冗談がすぎましたm(_ _)m.

 ただ、水準といっちゃうと子どもをモノというか、格差をつけた言葉というか、少し抵抗が私にはありました。それから、子ども達の気持ちは標準的というより、大きなばらつきがあって、実際には臓器移植については非常に難しいのではという気持ちも2年間持ち続けています。しかし、教育現場のおやじさんは、ご自分の生徒さんの心の動きはつかんでいらっしゃると思っていいですよね。そうなると、おやじさんがご自分の生徒さんのための授業案を作って、提供する情報に誤りがないかを、森岡先生にお尋ねする・・・というほうがいいのかしら・・・って勝手にすみません。名乗りもしてないのに・・・m(_ _)m.

 いえ、おやじさんはこんなことは充分ご承知の上でお願いなさったいるのですよね。

 実は、私そうなんです。おやじさんの投稿を繰り返し読んでいて、やっと気づきました。仕事のこともそうだな、私に足りないことを教えてもらいました。 かしこ すりガラスに水をいただいた気分のおばはんより

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(無題) 投稿者:ヒゲおやじ  投稿日: 5月22日(水)01時44分40秒

情報の正誤やバランスを考えて授業案を作ることはそんなに大変なことではないと思います。問題になっている授業案でも、発問や資料や反応を明示するやり方をしている点は優れていて、ああいう表現形式にしておきさえすれば、修正や積み重ねが簡単に出来ます。

私どもも似た形式で教案(ただし高校〜)を作り授業にかけ修正してきました。しかし、森岡先生なら、あれやあれ的なものをどういじっても届かない水準(知識的なということでなく)で小中向け教案が作れる気がしてしょうがないのです。それは作家の質みたいなもので、私どもがどう逆立ちしても・・・。

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Re:(無題) 投稿者:ヒゲなしおばはん  投稿日: 5月22日(水)05時51分04秒

・・・かなり、深いことを考えておられるのですね。失礼致しました。
それでも、ヒゲおやじさんにはできるんじゃないかって思えてきました。
授業案のメリットデメリットに詳しいのではないでしょうか。
ヒゲおやじさん風の授業案を知りたくなりました。f(_ _;.
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たとえば 投稿者:有濾  投稿日: 5月23日(木)23時51分22秒

 みんな、今日は、

 生きるとか、死ぬとかについて考えてみようか?

 みんなは、生まれたときのことを覚えているかな?
 生まれた時のことを憶えている人は居ないと思うんだけど。

 では、死ぬ事ってどういうことだか解りますか?
 死んだことのある人は居ませんから、やっぱり解らないでしょう。

 自分がいつ生まれたか、
 誕生日は、みなさん知っていますね。
 でも、自分の誕生日は本当に自分の誕生日なのかな?

   でも、お父さんも、お母さんもそう言っているから
 多分本当なんだね。

 本当はね、自分が生まれたと思った日が本当の誕生日なんだよ。

   でも、それは無理だね。

 それと同じで、自分が死んだと思った日が死んだ日なんだよ。

 でも、それも無理だね。
 だって、死ぬときに
 「私は、しにました」って、人にいえないもんね。

 いつ生まれたか、自分では解らないように。
 いつ死んだかも、自分では解らないんだよね。

 いつ生まれたかは、自分の意志とは関係なく。
 お父さんや、お母さん、他にも色々あるんだけど
 自分じゃない、他の人が決めてしまうんだよね。

 いつ死ぬか、これも同じなんだな?

   自分じゃない、他の人が決めてしまうんだな。

 みんなは、これについてどう思うかな?
 ちょっと考えてみないかな? 

 −−− つづく −−− 

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「難病の子どもを知る本」 投稿者:てるてる  投稿日: 5月24日(金)20時47分40秒

大月書店から、「難病の子どもを知る本」というシリーズが出ています。 6冊まで出ていますが、そのうち、はじめの3冊は、移植と関係のある病気です。 「1 白血病の子どもたち」
白血病の治療法の一つとして、骨髄移植が紹介されています。

「2 心臓病の子どもたち」
治療法として、カテーテル治療とペースメーカーが紹介されています。
そして、本の終わりのほうで、こどもが心臓移植を受けられるようにするための、 運動が紹介されています。 「全国心臓病の子どもを守る会」の運動です。
> 心臓病の中には心臓移植でしか助からない病気もあります。
小さな子どもも日本で移植手術ができるように、国やまわりの
人たちに働きかける活動もしています。さらに多くの人に移植
医療を理解してもらうために意思表示カードなどを配る運動も
すすめています。

「3 腎臓病の子どもたち」
治療法として、透析と移植が紹介されています。
「機械で血液をこす 血液透析」、
「おなかのなかで血液をこす 腹膜透析(CAPD)」、
そして、移植です。

> 移植には生体移植と献体移植があります。生体移植とは、
家族など身近な人から腎臓を1つ提供してもらって移植する
ものです。腎臓は2つあり、1つだけのはたらきでも十分
生きていけます。献体移植とは、亡くなった人から生前の
意思や家族の同意を得て、腎臓の提供を受けるものです。
どちらも血液型や白血球の型が一致しなければ移植できません。
献体移植はかつては大都市の大きな病院にかたよっていましたが、
今では、どの地域においても、血液型などがいちばん適合する
人に提供されるシステムになっています。

「献体移植」という言葉は、初めて聞きました。

大月書店のこのシリーズは、2000年に発行されています。
それぞれの病気をかかえて、学校にかようこども、社会で働くおとなを
紹介して、理解できるように、工夫されています。


*参照

「難病の子どもを知る本1〜白血病の子どもたち〜」
山城雄一郎・茂木俊彦監修、稲沢潤子文、石本浩市・難病のこども支援全国ネットワーク編、オノビン絵・田村孝絵、大月書店、2000年
「難病の子どもを知る本2〜心臓病の子どもたち〜」
山城雄一郎・茂木俊彦監修、稲沢潤子文、石澤瞭・難病のこども支援全国ネットワーク編、オノビン・田村孝絵、大月書店、2000年
「難病の子どもを知る本3〜腎臓病の子どもたち〜」
山城雄一郎・茂木俊彦監修、稲沢潤子文、香坂隆夫・難病のこども支援全国ネットワーク編、オノビン絵・田村孝絵、大月書店、2000年