再び萩原優騎さんへ 投稿者:てるてる 投稿日: 1月20日(土)17時43分39秒
植物状態からの臓器移植を、てるてる案は始めから除いています。
てるてる案では、脳死状態からの臓器移植を末期医療の選択肢の一つとして位置づけており、
植物状態は末期ではありません。
脳死状態は救命治療の失敗の結果として、もたらされるものです。
植物状態は、救命にはとりあえず成功した状態です。
それを「安楽死」させて臓器を摘出するということは、移植医療のために、救命に成功した人を
殺すことになり、許されないと考えます。ただ、脳死と診断されるもののなかに、脳死と植物状態のグレーゾーンと思われるものがあるらしい。
そのとき、麻酔をかけて臓器を摘出してもよい、と私は思うのですが、しかし、そうしてしまうと、
植物状態からの「安楽死」による臓器摘出を認めるのと同じになってしまうのではないか、
という点で悩んでいます。ラザロ徴候などが現われたら臓器の摘出は中止するか延期したほうが
いいのかもしれない、とも思います。いまにして、優騎さんの論考を再度熟読させていただいております。
黒猫の砂場でもてるてる案の自己決定権のとらえかたは批判を受けておりますが、
確かに、たいへん、論理的に苦しいことをしている、と思っています。
森岡案の素案読んでいます 投稿者:てるてる 投稿日: 1月20日(土)00時55分42秒
脳死についてのところは「中央公論」の記事とも重なっていて、異論がありません。
こどもについては、6歳以上も臓器提供を認めるほうの案に賛成です。
生体移植について、生体肺移植は認めない、というお立場でしょうか。↓あと、違法性阻却論のすべり坂の危険性については、生体移植についても、眼球の片方の摘出は
自分はかまわない、という人が出てきたらどうするんだ、というのがあったと思いますが…http://www.yomiuri.co.jp/minijiten/24000113.htm
森岡先生 投稿者:りんご 投稿日: 1月19日(金)23時56分43秒
中央公論2月号 318〜327ページです。
森岡案(素案)発表! 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月19日(金)23時35分28秒
森岡案「子どもの意思表示を前提とする臓器移植法改正案」(素案)を発表しました。
↓です。ご意見をお聞かせください。http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/morioka-an.htm
http://www.lifestudies.org/jp/morioka-an.htm
萩原優騎さんへ 投稿者:てるてる 投稿日: 1月18日(木)14時41分01秒
>どうして一つのことは許されて、二つのことは許されないのでしょうか。
>たとえ一つのことでも許されるべきでない行為、
>例えば、本人の意思表明が確認できていない場合の臓器摘出などもあれば、
>二つのことを同時に行うとしても許され得ること、
>例えば、本人の意思表明に基づく脳死判定と臓器摘出などもあるのであり、
>二つだから間違っているというのは論理的におかしいと思います。おっしゃるとおりです。私も書いていて、矛盾を解決できないと思い始めました。
>この意見の相違は明らかなのですが、どうして心臓死を判定基準として採用した場合は、
>臓器提供の意思表明を確認できた患者からの摘出条件として、
>家族の同意ということが挙げられているのでしょうか。ここは、自殺企図によって脳死状態に陥った、という「自殺」という行為を重視しているのです。
てるてる案では、自殺企図による臓器提供は、基本的に認めていません。
しかし、森岡掲示板では、自殺者でも臓器提供の意思表示を生かすべき、という議論が、二度、ありました。
一方、自殺は、周囲の人々に深い心の傷を与えます。
それでも、家族が、死んでいく人の意思を生かしてあげよう、という気持ちになったならば、
そうしてよいと思います。
「生前の意思表明」 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月18日(木)10時01分04秒
言葉遣いのことですが、「生前の意思表明」と言ってしまうと、脳死=死の立場だねと言われてしまいますよ。
気をつけておいたほうがいいと思います。私はそのようなつっこみをさけるために、わざわざ
「事前の意思表明」と言っています。
てるてるさんへ・2 投稿者:萩原優騎 投稿日: 1月18日(木)03時14分30秒
次に、前の書き込みの最後に出てきた「家族の同意」という条件についてです。
これについて、てるてるさんは次のようにおっしゃいます。
>自殺を図った人の生前の意思表示に同意する家族の許可を得て、
>心臓停止後に臓器を摘出してもよい。
>心臓停止後の臓器提供の意思を表示していた人が、自殺を図った場合は、
>自殺を図った人の生前の意思表示に同意する家族の許可を得て、
>心臓停止後に臓器を摘出してもよい。
ここで気になるのは、以前私と議論した内容についてです。
脳死判定以降の患者からの臓器摘出については、
本人の生前の意思表明が確認された場合に限ってなされるべきである、
この点では、二人の見解に相違はありません。
しかし、家族が提供を望まない場合であっても、脳死判定以降の患者の、
臓器提供を認めるという生前の意思表明が確認されていれば、
それを家族の同意の有無に関わらず絶対に尊重すべきというのがてるてるさんの見解で、
家族が臓器提供に同意しない場合は、たとえそれが患者の意思表明を覆すとしても、
そのような判断が許され得るというのが私の見解でした。
私がそのように主張する理由は、以前ここに書いた通りですから、今回は省略します。
この意見の相違は明らかなのですが、どうして心臓死を判定基準として採用した場合は、
臓器提供の意思表明を確認できた患者からの摘出条件として、
家族の同意ということが挙げられているのでしょうか。
判定基準の違いによって、家族の同意に関する必要性の有無が変わるというのはおかしいです。
ちなみに、植物状態と脳死のグレー・ゾーンで麻酔を使い、
患者からの臓器摘出を行うことについては、麻酔の使用の是非というよりも、
今回書いたような、臓器摘出を容認し得る条件が満たされているかどうか、
ということが重要になってくるのだと考えます。
てるてるさんへ・1 投稿者:萩原優騎 投稿日: 1月18日(木)03時13分51秒
>つまり、二つのことをいっぺんにやることはできない、ということです。
どうして一つのことは許されて、二つのことは許されないのでしょうか。
たとえ一つのことでも許されるべきでない行為、
例えば、本人の意思表明が確認できていない場合の臓器摘出などもあれば、
二つのことを同時に行うとしても許され得ること、
例えば、本人の意思表明に基づく脳死判定と臓器摘出などもあるのであり、
二つだから間違っているというのは論理的におかしいと思います。
植物状態になる前に、次のような意思表明がなされていた場合はどうでしょうか。
「万が一私が植物状態になったら、そこで生かすことをやめて、臓器も摘出してほしい。」
まず、積極的な意味での安楽死が許されるかどうか、ということです。
ある人が植物状態になった場合、本人に改善の見込みが全く無いという場合、
そのまま生かしておくことは本人にとっても苦痛だろうとの家族の判断から、
やむを得ず生命の存続を断念する、という場合があります。
生命の存続の有無を決定するのは、その家族の熟慮に基づく判断であり、
何か絶対的な基準に基づいてなされることは不可能なのであって、
もしここに何らかの基準を立てるならば、そこに「画一化の暴力」が生じます。
前述のケースでは、生命の存続の有無に関しての家族による決定において、
植物状態になる前の本人によってなされた意思表明が一つの判断材料としてあるため、
おそらくそうした表明が確認できない場合よりは、安楽死に至る確率は高いでしょう。
そして、安楽死後の臓器移植という問題が残っています。
ここでまず確認すべきなのは、この意思表明の有効性です。
脳死・臓器移植について、本人がきちんと理解した上でなされた意思表明であるか、
ということを確認するには、私が以前ここに書きましたように、
現状のドナーカードでは不可能であり、チェック・システムの再検討が必要です。
問題は、植物状態にあり、本人の意思が確認できていないにもかかわらず、
臓器の摘出を行ってしまうという場合であり、これは許されません。
しかし、ここで挙げたケースの場合には、上述のチェック項目という条件を満たし、
家族の同意も得られるのであれば、臓器摘出を行っても構わないと言えます。
矛盾 投稿者:てるてる 投稿日: 1月17日(水)11時27分01秒
しかし、やはり、脳死と植物状態のグレーゾーンで麻酔をかけても臓器を摘出してもいいということにすると、
自殺幇助に近いという批判に完全に反論することは困難になりますね。本人は自殺とは思っていない、
という反論ではだめかな…森岡さんは、「安楽死」という名の殺人に結びつくというお考えで、
ららさんやle pussenlitさんは、自殺幇助に結びつくというお考えだと、理解してよろしいのでしょうか。
それぞれの方の、「無痛文明論」だとか、宗教か哲学が背景にあってのお考えだと思いますが…
これは、個人の自己決定権に含めてはいけないのでしょうか…
RE:自分のいのち 投稿者:てるてる 投稿日: 1月17日(水)11時15分27秒
>遺言として、もしも植物状態になったら、安楽死の方法で、臓器を提供したい、
>という希望をしていたとするなら、それも可能なのでしょうか?私はそれは許してはならないと思います。
つまり、二つのことをいっぺんにやることはできない、ということです。
てるてる案のなかでも、自殺企図によって脳死状態に陥った場合は、臓器提供をしてはならないとしています。
しかし、心臓死後の臓器提供については、認めています。
↓
(『現代文明学研究』のてるてる案からの引用)
(自殺企図によって脳死状態に陥った場合は、)
自殺を図った人の生前の意思表示に同意する家族の許可を得て、
心臓停止後に臓器を摘出してもよい。
心臓停止後の臓器提供の意思を表示していた人が、自殺を図った場合は、
自殺を図った人の生前の意思表示に同意する家族の許可を得て、
心臓停止後に臓器を摘出してもよい。>自分はもう生きられない、でも他人の生を救えるのなら協力する、ただし痛い思いを
>するのはいや・・・に対して、
>自分はあなたの協力があるなら生きられる、けれども、それはあなたが生を終えねば
>ならないときのみであって、痛い思いを我慢してもらってまでではない、という
>レシピエント側の声も聞こえてきそうな気がします。そのとおりです。
だから、脳死と植物状態のグレーゾーンがあること、その場合には、麻酔をかけたら臓器を提供してもいい
という人がいることを知ったうえで、またさらに、臓器を提供する人が、自殺による心臓停止後の臓器提供も
含めて、どういう死に方をしたのか、知るほうがいいと思いますし、そういう場合もあるのだということを
知ったうえで、レシピエントとして登録するかどうかを決めるのがいいと思います。
自分のいのち 投稿者:らら 投稿日: 1月17日(水)10時16分58秒
>問題は「植物状態」からの「安楽死」で、それは明らかに「殺人」だけど、もしかして
>それも許される場合があったとしても、死ぬところまでで、その先、臓器を提供すると
>いうことはやってはいけない、そこまでやっては、あまりにも、本人の命よりも他人の
>都合を優先しすぎる、というように、私には思えます。昨年7月のトリオ・ジャパン・セミナーの報告に、ドナーカードを持っていた方の中で、
死因が自殺という方が51となっていました。そうなってくると、安楽死のことも、将来
問題になるかもしれない、と思います。遺言として、もしも植物状態になったら、安楽死の方法で、
臓器を提供したい、という希望をしていたとするなら、それも可能なのでしょうか?
植物状態と脳死状態のグレーゾーンは、やはりよくわかりません。自分のいのちについて責任を持つ、と言った時、自分のいのちだからどうしたってかまわないでしょ、
というような主張が出てきそうな気がしてなりません。と同時に、医療技術に限界がない、
という幻想によって、自分のいのちに置き所がなくなるというか。自分はもう生きられない、でも他人の生を救えるのなら協力する、ただし痛い思いをするのはいや・・・
に対して、自分はあなたの協力があるなら生きられる、けれども、それはあなたが生を終えねばならない
ときのみであって、痛い思いを我慢してもらってまでではない、というレシピエント側の声も聞こえてきそうな
気がします。
Re:アメリカでの脳死への反応−その4 投稿者:兵 矧尚 投稿日: 1月17日(水)10時06分36秒
>どう思う?
たとえ脳死が人の死でないとしても、市場原理の経済体制の中では”認められる殺人”である。
と、言う事なのでしょうか。
で、あるならば、できるだけ惑わすような情報は提供しない方がいいってこと?。命よりもビジネスの拡大を優先しようなんて、資本主義もアブナイ宗教みたいなもんだ。
人間は市場経済の為に飼われているんじゃないって、
そろそろ気がついてもいい頃だと思うんだけど・・・。
自分の死と他人の生 投稿者:てるてる 投稿日: 1月17日(水)09時38分15秒
自分はもう生きられない、でも他人の生を救えるのなら協力する、ただし痛い思いをするのはいや…
という気持ちは許されると思いますが…ほんとに「脳死」ならば痛みを感じないと思います。
ただ、「脳死」と「植物状態」との中間のような状態が、これまで、「脳死」と診断されてきたなかにもあったのでは
ないか、その場合に、まるで痛みを感じているかのような反応をからだが示したのではないかしら、と思います。
そこのところはわからない。
そこのところを飛び越えて、臓器提供に同意したなら、麻酔をかける場合があってもいいのではないでしょうか。死期の迫った人が、苦痛を避けて「安楽死」するために薬物を使うのはまた別の話で、
それはあくまでも本人のためだから、いいだろうと思うのです。
もっとも、本人が何も言ってないのに、看護する人が「安楽死」させるのは、「殺人」ですが、
それも許される場合があってもいいかもしれません。普通、苦痛の多い不治の病にかかっている人は、臓器が他人に移植できるほど健康ではないから、
そういう人の「安楽死」が臓器移植につながることはないだろうと思います。問題は「植物状態」からの「安楽死」で、それは明らかに「殺人」だけど、もしかしてそれも許される場合が
あったとしても、死ぬところまでで、その先、臓器を提供するということはやってはいけない、
そこまでやっては、あまりにも、本人の命よりも他人の都合を優先しすぎる、というように、私には思えます。
何か欺瞞を感じる素人の思い 投稿者:le pussenlit 投稿日: 1月17日(水)09時02分44秒
麻酔をかけてくれ、という考え方が動機となるのは前からこだわっているところですが
生を投げ出すような死を前もって操作しテイの良い自殺のような欺瞞を感じます。
私の生が黙っていないような・・。臓器移植の動機となる善意と全く矛盾する生き方に思えるのですが・・?。
麻酔科医の立場 投稿者:てるてる 投稿日: 1月17日(水)08時52分01秒
もっとも、麻酔科医には、自分達は、本来、治療のための手術で患者の全身管理をするのであって、
患者本人の治療にならない臓器摘出のために麻酔を使うのは嫌だというひともいるでしょう。
そのほうが私も麻酔科医という職業を信頼できます。
RE:麻酔 投稿者:てるてる 投稿日: 1月17日(水)08時45分15秒
私は、致命的な臓器の摘出は、痛みがないだけでなく「脳死」に限る、と思っていますが…
生体からの肝臓の移植や腎臓の移植には麻酔を使っています。
心臓死後の腎臓の摘出には麻酔を使いません。
「脳死」は、「脳死」と植物状態とのグレーゾーンも含めて、生と死とのグレーゾーンとして、
麻酔を使うことがあってもいいのではないか、と思うのですが…
麻酔 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月17日(水)08時12分35秒
麻酔をかけてくれ、という考え方の危なさは、「じゃあ、麻酔をかけたら、植物状態からでも、
痴呆性老人からでも心臓摘出していいんですよね。痛くないんだから」という考え方を導く
危険性があるということです。さらにいえば、通常の健康な人であっても、本人同意のもとに、
麻酔をかけて安楽死させつつ、痛みなく臓器ももらっちゃうということすら、導きかねないということです。
ナチスだって、障害者には、痛みのない安楽死をほどこしてやったわけですし。
Let me have my say. 投稿者:てるてる 投稿日: 1月17日(水)01時34分12秒
という用法があります。「私にも言わせてもらおう」
"say"「言いたい事、言い分、発言権」という意味が、辞書に載っています。ところで、このサイトの「臓器移植法改正を考える」からリンクされている、Dr.Keep
の、自分は麻酔をかけてもらえれば脳死状態で臓器を摘出されてもいいという意見です
が、私も、一旦、脳死状態で臓器提供すると決めたなら、実際の手術のときにからだが
反応して臓器を摘出しにくいというのなら、麻酔をかけてもらっていいんですけど…でもほんとは、脳死状態とは、そのままで全身麻酔をかけられた以上に感覚も反応も
ないはずなのだから、矛盾しているけど…
質問:アメリカでの脳死への反応 投稿者:アルキメデス 投稿日: 1月17日(水)00時31分28秒
私の英語力では↓ここがわかりません。どなたか教えてください。“who want a say in health policies governing clinical medicine”
say の名詞用法があるのですか? 辞書が悪いのかな・・・
脳死・臓器移植を考える議員の会 投稿者:てるてる 投稿日: 1月16日(火)21時16分38秒
『「脳死を人の死」としない立場から脳死・臓器移植を考える議員の会』の趣旨説明
と議員のリストの載っているウェッブページがあります。↓この脳死・臓器移植を考える議員の会は、電子メールで情報配信をするそうなので、
皆さんも、配信希望のメールを送ってみてはどうでしょうか。
たくさんの人が配信希望をしたほうが、それだけ多くの人が注目しているのだ、と
いうことがわかって、議員の会の活動にもはずみがつくと思います。
RE/アメリカでの脳死の反応 投稿者:le pissenlit 投稿日: 1月16日(火)20時28分31秒
>専門家だけが読めばいい、その他の人々はこの問題に触れたりせずに
生と死の問題はすべて片が付いているという「ふり」をしておくべきだ。そんなおまかせ主義で生きられない現状になってきていると素人である私も言えます。
悩みながらも出来事との関わりの中で専門家の方々や私より造詣の深い方、
経験の持ち主にフィードバックを受けて自分なりの納得ある行動に一歩進める必要を感じます。
専門家であればあるほど素人のフィードバックが必要ではないでしょうか?
そのような吟味なくして愛と連帯の幻想というてるてるさんのお言葉もしかりでしょう。
「ふり」ということは真なることでありませんのでついていけません。
RE:アメリカでの脳死への反応 投稿者:てるてる 投稿日: 1月16日(火)19時36分03秒
小児科医の杉本健郎さんのウェッブページにも、乳幼児に、脳死と植物状態のグレーゾーンみたいな状態で
安定して長期間持続する例があって、家族によっても受け止め方はさまざまで、人工呼吸器をはずしてもいい
かどうかが非常に問題になっている、と載っています。そのグレーゾーンが、存外、年齢の大きなこどもにもおとなにも存在しているのかもしれない。
それなのに、一般の人には、グレーゾーンかもしれないもののことを知らさなくてもよい、などといいながら、
ドナーコーディネーターが、生前の意思表示をしていない脳死の患者の家族に臓器提供の意思を問う、
なんていうのは詐欺も同然で、人の弱みにつけこんで壷を売りつける、どこかの霊感療法みたいなもので、
お金のやり取りはなくても、愛と連帯の幻想を売りつけて臓器を買い取っているのと同じと思います。
アメリカでの脳死への反応 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月16日(火)03時10分59秒
中央公論論文でも紹介した、「脳死」への疑問をまとめた"The Definition of Death" の書評
が、「アメリカ医学会誌」に載っています。その最後のところには、次のように書いている。Perhaps only those who want a say in health policies governing clinical medicine ought to read this book.
Others should stay away and pretend that all the issues of life and death have been settled.専門家だけが読めばいい。その他の人々は、この問題に触れたりせずに、生と死の問題はすべて
片が付いているという「ふり」をしておくべきだ。−−って書いてる。どう思う?
http://jama.ama-assn.org/issues/v282n24/ffull/jbk1222-1.html
http://jama.ama-assn.org/cgi/content/short/282/24/2367
医療への不信 投稿者:らら 投稿日: 1月14日(日)14時41分55秒
第8回、トリオ・ジャパン・セミナーの救命救急センターのお医者さんのお話しのなかで、「臨床的脳死診断」が
有賀先生のそのセミナーでのご説明にあるように、医師の裁量に任せてほしい部分なのだ、ということは、
有賀先生以外の先生方のご発言でも理解できました。そして、救急の現場では、たしかに患者さんの救命を
第一として治療をしてくださっている、ということを信頼しているからこそ、救急車で運ばれ、先生に診て
いただくわけです。
しかし、てるてるさんも書かれていましたが、有賀先生が、救命医でおられると同時に、日本臓器移植
ネットワーク関東甲信越ブロックセンター事務局次長という役職(という言い方でいいのでしょうか)に
携わっていらっしゃる、という事実に私は疑問を持っています。
なぜ疑問を持つかと言いますと、一方で救急の患者さんの死にゆく場面にしっかりと立会いながら、
一方で生きるために待っている患者さんのためにできるだけのことをせねばならない、その両方の動機を
同時に、一人のお医者さんのなかで完結させることができるのか?という問いが浮かんでくるからです。
もちろん、有賀先生は移植コーディネーターの役割を持っておられるわけではありません。しかし、
移植ネットワークの実情をその内部からご存知の方の役割と、救命医としての医師の役割はやはり
事実上わけて考えるべきではないでしょうか。
10例目の方の報道の後、もうすぐ一週間になりますが、このことをずいぶん悩みました。
上記のセミナーの記録を読みましたら、ある救命救急センターの先生は「実は現場は現行法であまり
困っていない。むしろ、家族の忖度でOKだと言われたほうが大きな混乱を招くのではないかという気がします」
と言われていました。
なにしろ「信頼関係」が鍵となってくると思います。ドナーカードなしでOKということになって、さらに
救急センターの先生が移植医療の推進者であるか、そうでないか、によって救急治療のスタンスが違ってくる、
そういう格差を招くことになりはしないか、不信はこのようなところから始まってくるのではないでしょうか。
推定同意制度への批判 投稿者:てるてる 投稿日: 1月13日(土)15時14分16秒
下の投稿で、デンマークでも、脳死診断後に家族に移植コーディネーターや医師・看護婦などが
臓器提供について質問するための訓練をしていると書きましたが、そのデンマークの国の中にも、
直後に家族に臓器提供についての質問をすることについての倫理的な批判はあります。デンマーク倫理委員会の"Organ donation-informed consent or presumed consent?"
(「臓器提供─生前同意か推定同意か?」)というレポートでは、誰が臓器提供の決定を下せるのか、
(1)本人か、(2)家族か、(3)社会か、という検討をして、推定同意(presumed consent)の制度を批判しています。
"informed consent"と呼ばれるもののなかに、本人の生前同意と、家族が本人の脳死診断後に与える同意と、
両方含まれていますが。デンマーク倫理委員会では、家族の承諾だけでも臓器提供ができるということには批判はなく、
それよりも、本人の生前同意があるのに家族が拒否できることが問題になり、倫理委員会の多数派は
家族の同意も必要としていますが、少数派は、家族の同意が必要なし、という意見を出しています。
ただ、お隣のスウェーデンは、本人の生前同意があれば家族の同意は必要なし、としているものの、
実際の現場では、家族の同意も得てから臓器提供していて、どこの国でも、家族の同意がなければ
臓器を摘出しにくいというのは同じようです。といっても、本人の生前の同意があるのに、家族が臓器提供を拒否する例は、それほど多いわけではなく、
デンマークでは、それが臓器不足の原因の一つになるとは考えられない、としています。
そして、本人の生前の同意がないときに家族もまた臓器提供を拒否する例が多く、それもまさに、
本人の生前同意がないことそのものが、家族もまた拒否する理由のなかの、多数を占めています。
これも、訳がここのサイトでアップされています。↓http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/teruteru07.htm
http://www.lifestudies.org/jp/teruteru07.htm
RE:Re:NHKスペシャル 投稿者:てるてる 投稿日: 1月13日(土)14時56分43秒
>>生前に意思表示しなかった人の家族に、脳死診断の直後に移植コーディネーターが
>接触すること自体、その「家族」の精神の自由の侵害ではないでしょうか?
>私も、そう思います。これは、外国の話しですか?ゆうべ見た、NHKスペシャルでは、USAの話でした。
しかし、ドナー家族の会の会員に、オーストラリアで息子さんが脳死と診断された後、
わりとすぐに移植コーディネーターが接触してきた、という方がいらっしゃいます。
もっとも、話を聞いた後、一旦、ホテルに帰って、ゆっくり他の家族と一緒に考えた、
という話です。オランダでもデンマークでも、家族の同意だけでも臓器提供できるので、脳死診断後に家族に
移植コーディネーターや医師・看護婦などが臓器提供について質問するための訓練をしています。スペインなどの推定同意(本人が生前に拒否していなければ、家族の同意がなくても臓器提供できる)
の制度の国でも、実際には家族の同意がないと臓器を摘出しにくいので、家族の同意を得るための訓練を
しています。スペインの訓練の制度は徹底していて、他の国々の注目の的になっています。スペインの国立の
臓器移植のための組織が発行しているパンフレットの訳をここのサイトでアップしてもらっています。↓http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/teruteru06.htm
http://www.lifestudies.org/jp/teruteru06.htm
Re:NHKスペシャル 投稿者:りんご 投稿日: 1月13日(土)12時08分23秒
>てるてるさん
実況ありがとうございます。昨日は、おねむモードで眠ってしまいました。
>生前に意思表示しなかった人の家族に、脳死診断の直後に移植コーディネーターが接触すること自体、
その「家族」の精神の自由の侵害ではないでしょうか?
私も、そう思います。これは、外国の話しですか?>移植患者自身によるサポート
レシピエント、ドナーの家族、それぞれのはかりしれない苦しみは経験した方にしか、わからない
ことなのでしょうね。
森岡提案に賛成。 投稿者:tamura noriaki 投稿日: 1月13日(土)10時52分30秒
私は法律系の学部出身で、中山、町野の教科書で学びました。先日、図書館に中山の刑法が
あったので内容を確認、すでに25年ぶりなのに当時のフレッシュさも消えていて旧態以前の
(19世紀ドイツ法思想の模倣)刑法解釈でした。町野も同じであろう。
法律的な(背後の思想はさておき)解釈の問題点は脳死の時点が人の死であるという宣言を
一般的にしてしまうことで、人の差違とか事情を一切無視できるところにある。
初心者(このサイト)なので、またアクセスします。
疑問です 投稿者:White 投稿日: 1月13日(土)01時37分35秒
有賀さんは、blutusさんの援護を必要としているのでしょうか?。
トリオジャパン第8回セミナーの発言をじっくり読み直しましたが、有賀さんご自身は、
毎日の報道内容に不満は持っていないのでは、と思いました。
毎日の記者は、有賀さんの主張をかなりよく理解して記事にしていると、思いました。blutusさんのご報告からのイメージの方が、有賀さんらしくない発言に思えてしまいます(笑)。
まじめに書き込みしてもらってるのに、ごめんなさい。もちろん真相は知りません。あくまでも感覚的推測です。
多分事実関係はblutusさんのご説明に近かったのだと思いますが、有賀さんは確信犯で
一部違反したのではと思いました。わたしはトリオジャパン第8回セミナーでの討論を読んで、有賀さんの発言の70%くらいに、共感しました。
濱邊さんは90%くらい。
具体的にどの部分と言明できるほどは、わたしは聡明でないので・・
これも感覚での意見表明です。
移植患者自身のサポート 投稿者:てるてる 投稿日: 1月13日(土)01時26分29秒
移植患者自身がお互いにサポートをしています。
他人の不幸によって自分の命が救われたという事実に悩む。
自殺した青年の心臓を移植することによって救われた老人の悩みをきく、先輩移植体験者。
いまやUSAで350以上の、移植患者自身によるサポート団体があると言っています。
臓器提供者へのアフターケア 投稿者:てるてる 投稿日: 1月13日(土)01時23分04秒
移植コーディネーターは、以前は、臓器のあっせんだけをしていたが、今では、
ドナーの遺族のアフターケアに取り組まざるを得なくなった、と言っています。
本人の意思表示がなくても家族の承諾だけで臓器提供できるという制度のもとで、
脳死患者の家族が、「自分」の意思で家族の臓器提供をした後、それが正しかったかどうか、悩むという事実。
生前に意思表示しなかった人の家族に、脳死診断の直後に移植コーディネーターが接触すること自体、
その「家族」の精神の自由の侵害ではないでしょうか?
NHKスペシャル 投稿者:てるてる 投稿日: 1月13日(土)01時14分37秒
今、見ています。
移植者スポーツ大会の話から始まっていますね。
Yahoo! 掲示板の「移植患者の待合室」というトピックでも、移植者スポーツ大会の話がよく出ます。
日本各地の、離れたところで移植手術を受けた人が、スポーツ大会がきっかけで知り合って、
更に、Yahoo! 掲示板で知り合って、親しくなっています。
仕事も忙しそうですし、病院で受ける検査のこと、薬のこと、薬の副作用のこと、いろいろと話題は尽きません。
脳死のことについてちょっとお話ししてみました。
ヨーロッパの推定同意の制度には、疑問を感じているようです。
今夜1:05よりNスペ再放送 投稿者:yukiko 投稿日: 1月12日(金)23時50分12秒
今夜1:05分よりNHK総合で(関東地区だけかな?)NHKスペシャル世紀を超えて「脳死移植」が再放送です。
その直後、1:55から、NHK総合でETV2000「臓器移植・3年目の課題」も再放送。
野本亀久雄移植学会会長がご出演。
追加 投稿者:てるてる 投稿日: 1月12日(金)18時05分09秒
世論調査などで、脳死は死であると思うかどうか、というような質問をするとき、それは「『脳死』は、
社会的なみなしである。」という考え方に基づいているのか、脳死が死であることは科学的な事実である、
脳死は科学的に死である、という考え方に基づいているのか、曖昧だし、その「科学的な事実」の内容も
知らない、植物状態との区別もつかないままで、回答させている場合もある。そういうのでは世論調査の
意味がない、というのが、森岡さんの御主張だと思います。それに、世論調査どころか、肝心のドナーカードも、そこのところをはっきりしないまま記入していて、
記入した人がどこまでわかっていて、納得していて、受け容れているのか、わからない。いまのところ、
本人の同意だけでなく、家族も同意した場合に限るということで、まあ、うまくやってはいるようですが、
実は、こんないい加減なインフォームトコンセントでいいのだろうか、という不安があります。
「中央公論」の森岡論文について 投稿者:てるてる 投稿日: 1月12日(金)16時37分05秒
「『脳死』は、社会的なみなしである。」
という認識のもとに、「脳死は死である」と考えている人にとっては、ラザロ徴候のことや、
脳死状態で何年も生きられる、というようなことは、たいしてショッキングではないのだろう、と思います。そのような人にとっては、「脳死は死ではない」という考え方は、何を筋の通らないことを言っているのだ、
ということになるし、「中央公論」の森岡論文も、「脳死」に関する医学的な事実について
述べている部分については、たいして意味を認めず、それよりも、
USAで、「脳死」を選択する、あるいは選択しないという自由を認める法律を通した州がある、という話や、
植物状態患者や無脳児からの臓器提供を認める考え方がある、ということのほうが、重要なのだろう、
と思います。しかしながら、町野案や、トリオ・ジャパンの要望書では、「脳死はみなしである」という考え方ではなくて、
脳死が死であることは科学的な事実である、脳死は科学的に死である、だから、
脳死を本人が選択する、というのは筋が通らない、また、脳死判定を家族が拒否することはできない、
脳死判定は心臓停止による死亡の診断と同じで、臨床的に脳死と診断されたら、
死亡宣告をしなければならない、という考え方を主張しています。そういう主張に対しては、「中央公論」の森岡論文のように、「脳死」の概念の根拠が揺らいできていることを、
多数の医学的な論文に基づいて反論することが有効だと思います。そして、そのような医学的な事実や、「脳死」の人を看取った人々の素朴な感情や、人の生死に関する
倫理的・宗教的な信念から、「脳死を選択する/選択しない」自由を認めたほうがいいのではないか、
という動きが、これまで日本の移植医や移植患者団体が「移植先進国」と呼び習わしてきた国々でも
出てきたこと、そのような国の人の中から、日本の移植医が「移植後進国」と読んでいる日本の
臓器移植法に対して、必ずしも、否定的でなく、むしろ肯定的でさえある関心を持つ人々が出てきていると
いうことは、重要な指摘だと思います。これは、臓器移植法改正を考えるにあたって、悪い意味でグローバルスタンダード(?)に習うのではなく、
いい意味でオリジナリティをたいせつにする、という立場の土台になると思います。ただ、やはり、「移植先進国」は、レシピエントコーディネーターの制度や、更に、移植医療に関してだけでなく、
救急搬送態勢や、病院でのソーシャルワーカーのサービスや、カルテの開示など、
日本より進んでいるところがあります。
そういうところは、日本で移植医療を進めるうえでも、またそれ以前の基礎的な課題としても、
推進するべきではないでしょうか。
ちょうど、「中央公論」2月号と「世界」2月号と両方にいくつかの医療記事が載っていたので、
よけいにそう思いました。
HPに移植医療への疑問をアップしました 投稿者:上智でのシンポ関係者 投稿日: 1月12日(金)15時56分13秒
森岡先生、ごぶさたしています。
中央公論の論文読ませていただきました。いろいろなところに紹介していきたいと思っています。
さて、私どものHPにて「生命倫理懇談会(いのちを語り合う場)」を紹介していますが、
そこに、J.マシア先生の「移植医療への疑問」という参考文書を載せました。
ここ50年の脳死移植に関するカトリック教会の公式な見解が短くまとめられています。
筆者は、カトリックの立場は「臓器移植を支持」していると言ってもかなりの条件を付けている
とし、「支持」というよりも「疑問」を強調すべきではないかと述べています。
ご覧ください。http://infowww.cc.sophia.ac.jp/cathocen
生命環境関係のTV番組案内サービス 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月12日(金)14時29分40秒
というHPが開始されています。とても役立つので、見に行きましょう。
森岡さん 投稿者:blutus 投稿日: 1月12日(金)11時48分33秒
残念ながら私は会見に出ておらず。複数の方から様子を伝聞したに過ぎません。
ただあれほど詳細ではなくとも、会見で同様の説明はあったと聞いています。
私の書き込み情報は、翌々日に関係者から直接聞いたことに基づいています。
ややあいまいなお答えで申し訳ありません。
1月8日 投稿者:りんご 投稿日: 1月12日(金)00時18分22秒
その日、私は、所用で東京〜仙台間をJR東北新幹線で往復しましたが、関東地方や東北地方は大雪で、
運休出るくらいダイヤが乱れていました。
10例目で、10日付けの朝日新聞によると、「脳死判定で提供された右肺が東京から新幹線で届いたのは
8日午後8時20分。午後9時すぎから移植の手術に入った。提供肺の気道には分泌物が多く、今後は特に
感染症の注意が必要という。」3人の医師が運んだそうです。
新幹線の指定席とか、とるのでしょうかね。天候も悪いし、遅れるのを覚悟で、結構、
リスクを背負っていると思いました。
私が乗った午後7時代の下りは、自由席はほぼ満席で出発が30分くらい遅れていました。
走行での遅れはさほど無かったのですが。
なんか、ぎりぎりのところで事が運んだような気がしました。
blutusさん 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月11日(木)18時51分45秒
書き込みありがとうございます。なるほど。一点だけ確認したいのですが、紹介された病院側説明というのは、
公式の会見で明らかにされた情報なのでしょうか?
有賀氏の発言について 投稿者:blutus 投稿日: 1月11日(木)18時11分23秒
初めて投稿します。blutusといいます。
訳あってカミングアウトできませんが、今回の昭和大の事例に関わった者とだけ言います。
毎日新聞の記事について話題になっているようなのであえて発言します。病院側を弁護するつもりは
ありませんが、毎日新聞の記事は重大な誤解に基づいて書かれています。(前提)厚生省ガイドラインなどでは、臨床的脳死診断(判断)を行う場合は法的手順に準ずるとしています。
言い換えれば必須ではないが、患者に負担を与える無呼吸テストは遠慮すべきであると。
いずれにせよ基本的には医師の裁量に任されているというのが厚生省の見解です。(病院側説明)今回の昭和大の臨床的診断は、7日午前に模範的な(つまり無呼吸テストを除くワンセットの)
手順が行われました。その後、午後1時前にネットワークに連絡、3時頃にはコーディネーターが病院に
到着します。ただその途中で、薬学部から「ごく微量の薬物が残っている」との連絡があったといいます。
非常に検出精度が高い液体クロマトグラフで、搬送直後に投与された鎮静剤が検出されたというのです。
すでに70時間近く経過して、有効濃度にははるかに及ばないが、完全に代謝しきれない残滓が
残っていたそうです。病院側はあらためて頭部の画像診断を行い、血流停止状態であることを確認した上で、
脳死判定委員会で再度の検討を行い、薬物の影響は無視でき、全脳死であることも間違いないと判断。
これが午後4時の段階でした。
その後7時半ごろに家族の承諾を得て、本番の法的脳死判定に入りました。(私の認識)臨床診断の段階で液クロの結果が出ていなかったというのは事実。病院はその点で
不注意だったかもしれない。
だたその後の情報に基づいて、薬物影響の有無について再検討し、さらに脳血流のテストも行うなど、
病院側のその後の判断は極めて的確だったと考えていいと思います。
言い換えれば、法的判定前の除外事項として薬物影響が無いことを確かめるという原則を実行に移したと
見るべきでしょう。
有賀氏の発言は記者会見の場でのものではなく、会見後に毎日の記者が「それでも違反は違反ですよね」
と食い下がったのに対して、有賀氏は、院内マニュアルで想定していたのとは異なる手順に
なってしまったことを指して「そういうなら違反かもしれない」と売り言葉に買い言葉で発言してしまった
というのが本当のところのようです。みなさまのご見解はいかがでしょう。
落差 投稿者:モイナ 投稿日: 1月10日(水)19時40分21秒
>このHPを読んで、ご家族の当事者性がひしひしと伝わってきました。
>提供は本人の意思で行われますが、ドナーのご家族が、それぞれに移植後の長い人生を
>生きている、そういう「存在感」を感じました。
>http://www.jdfc.net/index-j.htmlさっそく、覗いてきました。
わたしも、yukikoさんと同様の感想をいだきました。↓の「違法だが問題ではない」という発言との落差に何とも切ない思いがします。
日本ドナー家族クラブ」 投稿者:yukiko 投稿日: 1月10日(水)15時44分16秒
今日、ある方から「日本ドナー家族の会」のHPをご紹介いただきましたので、
リンクしておきます。ドナーのご家族の肉声に触れることにより、想像力を持って
移植について考えることができるのではないでしょうか。
また、同会では「賛助してくれる人」を募集中です。
HPにも書かれていますが、事実上、この会はいまご家族の手弁当で運営されている
のが現状なのだそうです。9月に発足したばかり、今は、この会がある、ということ
自体を育てる時期なんでしょう。ぜひ、ご覧の皆さんも賛助してみませんか?
一口3000円、おひとり5口まで。1年あたり。このHPを読んで、ご家族の当事者性がひしひしと伝わってきました。
提供は本人の意思で行われますが、ドナーのご家族が、それぞれに移植後の長い人生を
生きている、そういう「存在感」を感じました。
しつこいですが…m(_ _)m 投稿者:てるてる 投稿日: 1月10日(水)14時17分49秒
有賀徹教授が、昭和大学病院副院長・救急医療センター長であるとともに、
日本臓器移植ネットワーク関東甲信越ブロックセンター事務局次長であることは、
トリオ・ジャパンの第8回セミナーの、パネリストの紹介欄にのっています。
厚生省のガイドラインに異議を唱える立場であることも、そこで主張しています。
トリオ・ジャパンのセミナーでは、他の医師たちとディスカッションしながら、
意見を展開しているので、参考になると思います。
RE:10例目について(2) 投稿者:てるてる 投稿日: 1月10日(水)14時10分37秒
関連部分を抜き出しておきます。
1月8日付毎日新聞にも載っているのだろうと思います。>昭和大病院は8日午前11時から会見し、日本臓器移植ネットワークへの連絡を、
>厚生省の指針が定める手順と異なり、臨床的脳死診断の前の7日午後1時ごろに
>行っていたことを明らかにした。厚生省の指針、同病院のマニュアルとも、
>ネットへの連絡は、回復不能の目安となる脳死状態との診断後にするよう定めている。
>救命救急センター長の有賀徹教授は「家族からドナーカードが提出されたため
>ネットに連絡した。違反ではあるが、すでに患者は回復不能だと判断した後で、
>問題ではないと思っている」と説明した。
>
>有賀教授によると7日正午ごろ、男性の脳に血液がほとんど流れない状態になり、
>主治医が「回復は厳しい」と家族に説明した。家族が男性の書いたドナーカードを
>主治医に渡したため、病院はネットに連絡した。ネットの移植コーディネーターが
>家族に説明をしたのは手順通り臨床的脳死診断後の午後4時半ごろだったという。
>
>[毎日新聞1月8日]
RE:10例目について 投稿者:てるてる 投稿日: 1月10日(水)14時05分24秒
>その情報、どこに載っていましたか? 私は見逃していました。下の投稿「RE:10例目 投稿者:てるてる 投稿日: 1月 9日(火)21時50分44秒」
で、リンクしています。もう一回、リンクします。これは、Yahoo! Japan News の
医療関連情報のニュースのところにありました。前は、医療関連情報とは別に、
移植関連のニュースの項目があったのに、今は、医療関連のところに入っています。
↓http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/010109/dom/07150000_maidomm108.html
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/zouki/200101/09-2.html
広告 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月10日(水)12時38分26秒
>りんごさんそういうものです。ですから、われわれで、地道に口コミで広めていく必要があるのです・・・。
みなさんご協力くださいませ。
新聞広告 投稿者:りんご 投稿日: 1月10日(水)12時13分18秒
朝日新聞に「中央公論2月特大号」の広告がありました。
がっ! 『日本の「脳死」法は世界の最先端』がのっ載ってない!!
なんで?
さっそく 投稿者:りんご 投稿日: 1月10日(水)10時16分23秒
「中央公論2月号(800円)」を入手いたしました。
森岡先生、これから、拝読させて頂きます。>日本臓器移植ネットワークへの連絡を、臨床的脳死診断の前に行っていた
>昭和大学病院副院長・救急医療センター長であるとともに、日本臓器移植ネットワーク
関東甲信越ブロックセンター事務局次長です。↑には、ちょっと驚きました。てるてるさん、すごい情報を仕入れましたね。
10例目について 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月10日(水)08時15分50秒
>てるてるさんその情報、どこに載っていましたか? 私は見逃していました。
本当だとすると、大問題です。だって、臨床的脳死判定=回復不能の判定、なわけですから、
臨床的脳死判定以前に、担当医の「確信」だけで、移植コーディネーターに連絡していたとすれば、
それは「救命医療が最後までおこなわれず、脳死判定以前に移植用医療に切り替えられていた」
ということになりかねません。こういうガイドライン違反は、最悪です。反対派が言っていたことを、
そのまま実行しちゃうなんて、なんでそんなことするのでしょう?
移植賛成の方々は、彼の行為を肯定するのでしょうか??
「中央公論」拝見しました。 投稿者:いしだ 投稿日: 1月 9日(火)23時38分22秒
わたしも今日書店で入手いたしました。
恐らく発売日前ですから、多分、あの書店の個人的な暴走だと思います。非常に感謝しています。推進派も反対派も、互いに「負」的な情報を隠したり、
あるいは議論の相手を驚かしたり黙らせたりするために殊更にある情報を晒し上げたり、
そういうことをすべき時は去ったのではないかと思います。
論文タイトルのヨコに書かれていらっしゃるように、
今は、一般に知られていなかった情報を速やかに公開した上で議論すべき時だと思います。と、言っていることは、わたしの今後の研究にも関わってきます。
わたしはたいしたことをやってるわけではありませんが、
これからも頑張っていこうとの思いをまた新たにしています。
示唆に富む論文をありがとうございました。
RE:10例目 投稿者:てるてる 投稿日: 1月 9日(火)21時50分44秒
日本臓器移植ネットワークへの連絡を、臨床的脳死診断の前に行っていた、というのが、気になります。
昭和大病院の有賀徹教授が担当で、
>「家族からドナーカードが提出されたためネットに連絡した。違反ではあるが、すでに
>患者は回復不能だと判断した後で、問題ではないと思っている」と説明した。
と述べています。有賀徹教授は、昭和大学病院副院長・救急医療センター長であるとともに、日本臓器移植ネットワーク
関東甲信越ブロックセンター事務局次長です。
トリオ・ジャパンの第8回セミナーで、濱邊祐一そのほかの救急医療の医師たちと一緒に
パネルディスカッションしています。そこでも、もともと、厚生省のガイドラインに異議を唱える立場であることを
はっきり主張していますが…今回の臓器提供では、大阪の国立循環器病センターで10代の男性に心臓移植が行われていますが、
北村惣一郎院長は、患者は人工心臓をつけて11ヶ月待機した末に渡航を決意する直前だった、
海外ではこどもにも心臓移植の道を開くのが当然なのに、と批判した、と報道されています。
有賀徹氏は、この11ヶ月待機している患者のことを知っていたのでしょうか。
(知っていたとしても、今回「脳死」した患者の臓器が適合するかどうかは、法的脳死判定後に
検査しないとわからないわけだから、まあ、どうにもならないけど…)有賀氏は、御自分の信念と科学的な判断に基づいてまちがいのないことをされたのでしょうが、
心臓病のこどものために、他のこどもが「脳死」になりそうになると、死ぬことを前提として、まだ、
「臨床的脳死」にならないうちから、日本臓器移植ネットワークに連絡され、
「臨床的脳死」になるとすぐに移植コーディネーターが説明を始める、
というようなことがあるとすれば、自分のこどもが脳死になったときに心臓移植に同意しよう、
と思うような人がいるでしょうか。
海外では、そのように、手際良く心臓移植が行われている、社会がそれを受け容れている、というのでしょうか。もっとも、心臓死後の腎臓移植では、心臓が止まる前から、移植医に連絡して、移植医が待機しています。
小森康弘という方が、そういうときの救急側の医師の気持ちを、
「臓器提供(臓器というパーツ?)」「臓器というパーツ?」その2に書いています。
(http://www1e.mesh.ne.jp/memorial/espo/e165.html http://www1e.mesh.ne.jp/memorial/espo/e166.html)
だから、脳死でも心臓死でも、移植をするからには、「死」の前から準備するものだ、
と考えることが必要なのかもしれませんが…、ほんとうに必要なのでしょうか。ちょっと、よけいな心配かもしれませんけど、ついつい考えてしまいます。
臓器移植の検証会議の内容は、もっと公開してほしいけれど、特に、この10例目の検証会議の結果は、
特に脳死判定と臓器移植ネットワークへの連絡についての部分は、是非公開してほしいものです。http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/010109/dom/07150000_maidomm108.html
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/zouki/200101/09-2.html
「中央公論」論文 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月 9日(火)20時55分11秒
今日、私の手元に届きました。たぶん、明日あたりから、書店に並ぶのではないでしょうか。
ぜひご覧ください。ご感想も、およせください。
萩原優騎さん 投稿者:yukiko 投稿日: 1月 9日(火)02時51分50秒
突然で申し訳ありません。
お知恵を拝借したいので、メールを下さい。
ウズベクの事件 投稿者:調査員 投稿日: 1月 9日(火)01時30分01秒
去年ロシアで子供を臓器移植の為に売り飛ばす祖母のニュースは大変ショッキングなものでした。
なのに今年にはいって1週間もたたないうちに「連続殺人を犯し臓器密売」をしていたとされる
ウズベクの女医とその共犯者の大学教授の夫が逮捕されました。酷いことに海外移住を
手助けすると称し顧客から2百ドルを徴集した上で、その顧客を殺し臓器を密売していたとの事。
まだハッキリした犠牲者の数はわからないとの事ですが、家宅捜索では60人分以上のパスポートと
多額の現金が見つかっており殺害された犠牲者はかなりな人数にのぼるとみられます。
10例目 投稿者:りんご 投稿日: 1月 8日(月)22時57分49秒
今、脳死臓器移植10例目のニュースを聞きました。
ICUの面会制限など 投稿者:てるてる 投稿日: 1月 6日(土)07時35分05秒
杉本健郎さんが、てるてる案について、いくつかの貴重な御指摘をくださいました。たとえば、末期医療選択カードの内容について、
欧米ではICUの面会制限がないので、集中治療室と一般病室との区別を前提として
選択肢を作っているのは、どうか。
人工呼吸器の扱いについて明確にするべきではないか。それから、こどもの場合、虐待かそうでないかを見分けるのはむずかしい、など。↓
新年の挨拶 投稿者:森岡正博 投稿日: 1月 5日(金)17時51分21秒
というわけで、今年もどうぞよろしくm(_ _)m。
臓器移植法改正も、1月末からの国会で、いきなり山場を迎えるかもしれません。
みなさんのご関心と、ご協力を期待しております。
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