てるてるレポート「第39回日本移植学会総会市民公開講座(20031026)」

2003.10.27. by てるてる

第39回 日本移植学会総会「移植: 社会に貢献する医学・医療」の【市民公開講座】「移植:今、あなたと私にできること」を聴きました。参加者は主催者発表で300人以上いたそうです。これは今までの同じような催しとしてはたいへん多いそうです。
以下、私の記憶とメモに基づいて、内容を報告します。

第39回 日本移植学会総会「移植: 社会に貢献する医学・医療」

会期: 2003年10月26日〜28日
会場: 大阪国際会議場
http://www.gco.co.jp/japanese.html

【市民公開講座】「移植:今、あなたと私にできること」

10月26日(日) 14:00-17:00

第1会場(大ホール)
司会: 山下りら

1.子供達の移植への道

・海外渡航心臓移植を受けて
・日本小児科学会報告「小児のドネーションについての取り組み」
 清野佳紀(岡山大学大学院医歯学総合研究科 小児医科学)

2.臓器移植を受けて

3.我が国の移植者の現状

堀由美子(国立循環器病センター レシピエントコーディネーター)
斉藤美紀子(大阪大学 レシピエントコーディネーター)

4.脳死ドナー家族の想い

 


講演は、司会の山下りらさんと、医学的なことを説明するお医者さんとが、レシピエントやドナー家族のお話を聴いたり、レシピエントコーディネーターが報告したりする形でおこなわれました。

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1.子供達の移植への道

(A) USAで心臓移植を受けた、藤田夏帆ちゃんとおかあさんのお話。

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夏帆ちゃんは、拡張型心筋症で、補助人工心臓を付けて渡航した。重い心臓病の人が飛行機に乗ること自体がからだに大きな負担を与える。年齢が小学校高学年に達していたので、まだよかったけれど、もっと小さいこどもだと、たいへん危険である。夏帆ちゃんは、USAで、移植手術を受けるまでに、3回ドナーが現れた。始めの二人は適合しなかった。3回目でやっと手術ができた。術後8日で退院し、病院の近くから通院した。この通院期間がまた長かった。術後の経過は良好で、今は元気に学校に通っている。

最後に、夏帆ちゃんが自分でメッセージを読み上げました。

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公開講座の後、聴衆の一人が、夏帆ちゃんのしっかりしたメッセージを聴いて、涙が出てきた、と言っていました。もしかしたら、渡航移植のこどものための募金活動をしてきた人かもしれません。

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(B) 日本小児科学会の清野佳紀先生「小児のドネーションについての取り組み」
清野佳紀先生は、国立循環器病センター総長の北村惣一郎先生の友人だそうです。

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多くの方は、日本のこどもが国内で移植手術を受けられず、海外なら移植手術が受けられる、ということに、疑問を感じると思う。
臓器移植法と民法の規定により、15歳未満のこどもは、臓器提供の意思表示が認められなくなっている。
日本小児科学会では、評議員対象のアンケートをとった。
その結果、脳死を死と認めるのは90%以上、こどもの脳死移植を認めるのが80%以上、こどもに意思表明の能力があるのが、13歳以上、10歳以上、6歳以上といろいろあり、全部合わせると70%以上になる。
この結果は、民法の規定と小児科医たちの意見とは、全然違っていることを示している。
親が虐待してこどもが脳死になる例が、実際、多い。親の決定だけで臓器提供してもよいとはいえない。
小児科学会から、こどもの脳死移植について、チャイルドドナーカードと、虐待事例の排除を提言で主張した。
また、こどもの脳死臓器移植について委員会を作ることにした。しかし、誰を委員に選ぶかというと、私にはわからない、というお医者さんが多い。どうかいい人を推薦してほしい。

会場からの質問:
国立循環器病センター総長の北村惣一郎先生「6歳以上は意思表示可能ということですが、それより小さいこどもは臓器移植できないのですか」
日本小児科学会の清野佳紀先生「いいえ、虐待の事例を排除できれば、ドナーになることができます」
共同通信の記者さん「こどもの脳死臓器移植についての委員会の活動の予定は公開されますか」
日本小児科学会の清野佳紀先生「今月から活動を始めるところです。できるだけスピーディーにします」

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2.臓器移植を受けて

1997年の臓器移植法施行後、国内で脳死と判定された患者さんから臓器提供を受けたレシピエントが3人、お話をしました。3人とも成人男性です。プライバシー保護のため、アルファベットで呼ばれていました。こういう方たちが公の場で話すのは初めてのことだそうです。

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(A) 心臓移植を受けた男性2人。

Uさん(50代くらい?):
拡張型心筋症で、16年間の闘病生活の後、移植手術を受けた。手術を受ける前は補助人工心臓を付けていた。移植待機患者として登録するかどうか決心するまで少し迷った。国内で先例がなかったので。待機中は、いつ移植が受けられるのか、いつ家に帰られるのか、そればかり考えた。一度、脈が速くなってどうにもならなくなり、電気ショックで一旦心拍を停止させられたこともある。ドナーが現われたとき、「どうしたらいいのか」と思った。とまどいが強かった。術後、目を開けると、家族がいた。元の職場に戻り、造船関係の仕事をしている。娘の学校の行事でソフトボール大会にも出た。今は、長く生きたい、と思っている。ドナーに対しても、お世話になった人に対しても、それが恩に報いることだと思っている。
これから待機患者になる人は、苦しみに打ち克って今後の移植を待ってほしい。一般の人には、移植を理解する気持ちをもってもらいたい。

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Kさん(20代):
移植しかないと言われたとき、まだ自分はそこまで悪いと思っていなかった。日本臓器移植ネットワークに登録したとき、20人以上待機しているときいて、自分は手術を受けられずに死ぬのかな、と思った。諦めていた気持ちもあった。しかし、まわりの人に心配させまいとして弱音を吐かなかった。自分が早く死んだらみんな楽になるとも思った。テレビで、脳死の患者の報道があったとき、自分とは関係ないことだなと思った。見ているとつらいのでテレビを消した。すると、自分のところにお医者さんたちが来て、移植手術を受けられることになった。ドナーのことを考えた。毎日通ってきてくれていた彼女と二人で夕日を見て泣いた。これで一緒に暮らせると思って、うれしかった。自分には親がいないので彼女が親代わりだった。手術を、目を開けると、脈をとって、ああ、ちゃんと脈がある、と思った。以前は、心配で、脈をとったり、胸に手を当てたりしていた。
今は、彼女と結婚し、元の職場に戻り、鋼管のメーカーに勤めている。スポーツをした後、ちょっと使いすぎたかな、と思って胸に手を当てて、ありがとうと言っている。
ドナーに感謝している。むかしはベッドにいて起き上がれなかったのに、今はこんなに元気にしている。
一般の人には、こんなに元気になれる医療なので、少しでももっと発展させられるように、協力していただきたい。臓器提供意思表示カードを持ってほしい。

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(B) 肺移植を受けた男性1人。
看護師長と一緒にお話に登場しました。

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Iさん(30代か40代?):
20代で原発性肺高血圧症を発病した。移植手術後、障害者雇用促進法で、職業訓練を受けて、先月に就職した。
水泳もしている。秋田県の移植者スポーツ大会に出場した。
元気な姿を見せて、同じ病気の人の励みになりたいと思っている。

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この移植患者の障害者認定ですが、会場で配布されていた、日本移植者協議会の会報"JTR news"No.49に載っている座談会「肝臓移植者、本音を語る」によると、障害者認定が受けられずに、医療費がかかってたいへんな人が多いようです。職場復帰できる人ばかりではないし、採用試験でも移植を受けたとわかるとはねられるので隠している人もいます。医療費については、自治体による格差も大きいのです。

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3.我が国の移植者の現状

(A)堀由美子(国立循環器病センター レシピエントコーディネーター):

心臓移植を待機している人は、現在、74人いる。
1997年以後の臓器提供件数と移植件数を見ると、心臓移植は8歳〜55歳におこなわれ、男性のほうが多い。
待機期間は29日〜977日であり、平均して55日である。待機期間はだんだん長くなっている。
世界の心臓移植の件数は、年間3000件である。1990年代後半から減少していて、ドナー不足が問題になっている。
アジアでは、台湾で350件ほどあり、次いで韓国が多い。

患者さんが描いた絵を見せる。くだものも花も、家族が見舞いに持ってきたもので、患者さんが外に出て見たものはない。患者さんの作った短歌に、「ほほえむ我にうすれる五感」という言葉があり、これが患者さんたちの心境をよく表わしている。

患者さんのボイスレターがある。男性の患者さん。人工心臓の音が聞こえる。人工心臓は、感染症や、血栓ができて脳梗塞になる恐れがある。まるでゴールのないマラソンのようである。家族と離れて入院生活を送っているので、夫として父として役割を果たせないことが残念である。家族の写真を見て、看護婦さんが「すてきな御家族ですね」と言ってくれたとき、「自慢の家族です」という返事が自然にでてきた。40年余りの人生で気づかぬうちにたまっていたアカが落ちていくようである。自分の存在はとても小さなものだと感じていたが、職場で、移植について考えるプリントを配ってくれたとか、こどもの学校の総合学習で移植のことをとりあげてくれたとか、友人の娘さんが20歳の誕生日にドナーカードを配ろうかと考えているときいて、自分の存在価値を再確認できた。とにかく生きるのだ、という気持ちを持ち続けたい。

心臓移植待機中の患者さんが「あきらめない私を見て」というホームページを作ったことが、朝日新聞で紹介された。
心臓移植後、80%が、日常、介助を必要としない、自立生活を送っている。元気になった人々の写真を次々と見せる。男女比が、男9対女1ぐらいである。
心臓移植を受けた患者さん達がCoCoRo会という、移植後患者連絡会を作った。


(B)斉藤美紀子(大阪大学 レシピエントコーディネーター):

1997年の臓器移植法施行後の脳死下臓器提供は26件あり、移植件数は103件である。
日本移植者協議会のアンケートでは、500人以上から回答があった。
移植後の健康状態が良いという回答が80%、わるいが10〜20%である。

(日本移植者協議会の会報"JTR news"No.48に「第3回全国移植者実態調査結果」の一部が載っている。移植後の健康状態について、腎臓、肝臓、心臓によって、少しずつ割合が異なっている。移植後、「全く健康」と「ほぼ健康」の合計は、腎臓移植で約70%, 肝臓移植で約70%, 心臓移植で約99%である)

元気になった人は、移植者スポーツ大会に参加して活躍している。食べものの制限も緩んで喜んでいる。しかし、肝移植を受けた人はお酒はだめである。
同じ提供者から移植を受けた人同士が知り合って、まるでほんとうのきょうだいのようになかよくなっている。
移植は、治癒ではなく、代替、置換である。
移植後も、免疫抑制剤を服用し、規則正しい生活をおこなうなど、健康管理がたいせつである。
経済的負担が大きい。
ドナー家族とレシピエントとが会うと、自分のドナーでなくても、レシピエントは御礼を言う。
レシピエントが臓器移植推進の運動をするとき、必ずしも、臓器がほしいというのではなく、移植について知ってほしいと思っている。多くの人は、発病前は自分はそうなるとは思ってもみなかった。

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4.脳死ドナー家族の想い

相馬ひろしさん:
白髪・白髯の男性です。

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妻が蜘蛛膜下出血になり、脳死判定を受けて、肝臓と腎臓を提供した。
18年前、ちょうど阪神タイガースが優勝した年、息子は妻から生体腎移植を受けた。
息子は、小学5年から腎臓病になり、中学から入退院を繰り返し、人工透析をするようになった。かぜをひくとまっかなおしっこが出た。塩分・水分の制限がつらかった。特に水分の制限がつらく、夏場でも、冷蔵庫にジュースなどはなかった。
生体腎移植を受けて、手術室から出てくると、すぐにおしっこが出た。そのときの喜びの大きさはたとえようもない。息子はすっかり元気になった。
翌年、妻は献腎・献眼登録をし、臓器移植法施行後は、臓器提供意思表示カードにサインした。妻は、「もしわたしが万一のときは臓器提供を」と言っていた。それは妻の遺言だと思って、守らねばならないと思った。
脳死判定を受けたとき、40年連れ添った妻とのわかれはつらかった。息子や娘にとっても母親とのわかれはつらかった。しかし、愛する妻の願いを、一時の感傷で聞き届けなかったら一生後悔すると思った。息子や娘には、おまえたちの意見も聞くが、最後はおとうさんの希望を聞いてくれ、と言った。
臓器提供には、家族とのわかれという大きな悲しみがある。しかし、悲しみだけではない。本人の意思をかなえられるという喜びがある。レシピエントを元気にしてあげられるという喜びもある。

国立循環器病センター総長の北村惣一郎先生から、ドナー家族が心を痛めることがある、と聞いた。
去年3月、日本臓器移植ネットワークが音頭をとって、ドナーファミリーのつどいを持った。
ことし3月は、ドナーファミリー自ら集まった。そのなかには、傷ついている人もいた。それは、親戚や近所から、悪く言われたり、金銭の授受があっただろうと言われたことであった。しかし、皆が、家族の希望をかなえたい、という点では一致していた。
ガイドラインでは、レシピエントとドナー家族の情報がお互いに伝わらないようにと定めてあるので、我々は慎重に行動している。しかしドナー家族もレシピエントもそれぞれの側が、気持ちを表わしていけば、社会の理解を得られると思う。
臓器移植に反対する人も、賛成する人も、それぞれの意見を出して、国民的な議論をしてほしい。

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最後に、講演をした人全員が、一緒に舞台に立って、おわかれの挨拶をしました。


ぽんさんレポート「鞭熙(むちひろむ)先生(舞鶴市民病院小児科部長)の講演」


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