『夜明けの雪』-8

署に着いた直江は、自分のデスクに戻る前に、まず階下の資料室へ入った。

直江といえど、捜査資料の全てを把握しているわけではない。
状況が変わった今、新しい情報と照らし合わせて、幾つか確認したい事があったのだが、
置いていたはずの場所には、欠番と書かれたシールが貼られているだけで、資料は箱ごと消えていた。

「君、すまないが、欠番の資料は、どこで保管を?」

たまたま室内にいた白衣の女性に尋ねると、彼女は呆れた顔で、

「欠番の資料?そんなのあるわけないでしょう。無いから欠番って言うのよ。」

「バカな…! では、ここにあった資料は…」

まさか処分されたのか?

青ざめた直江に、彼女は手にした書類を棚に戻しながら、軽い口調で言葉を継いだ。

「あんた本庁から転属された人ね。 直江…警部補?
 あたしだったから良いけど、そんなこと他で言ったら笑われるわよ。
 もっと賢くなりなさい。」

どこか含みのある言葉を残し、長い髪を揺らして立ち去ろうとした彼女を呼び止め、名前を聞いた。

「門脇綾子。鑑識よ。」

振り向いた媚びない微笑に、初めて美女だと気付いた。

賢く…
あれは助言か?
だとすれば、まだどこかに資料は残されて…?

考えながら階段を上がり、ドアを開ける。

「高耶さん!あなた、まだ帰ってなかったんですか!」

開口一番、思わず声を荒げた直江は、珍しくデスクにいる千秋を睨み、高耶のそばに駆け寄った。

高耶はサッと立ち上がると、露骨に不機嫌な顔をして、
近づく直江の視線が机に向かわないうちに、ファイルを鞄に押し込んだ。

「うるせーな。何時に帰ろうと俺の勝手だ。」

憎まれ口を叩いて、そのまま歩き出そうとした瞬間、荷物の重さにウッと息が詰まった。
呻き声を立てないよう、そろそろと息を吐いて机に手をつく。
すぐには歩けそうにない。
高耶は胸を押さえて椅子に座った。

花を渡したら、そのまま家に帰れと言っておいたのに、どうして署に戻って来たのか…
もしかして直江も、事件の裏を探るつもりで…?

そう思うと尚更、このファイルは見せられなかった。

高耶の横に立った直江は、それ見たことかと溜息を吐き、

「痛むんですね? 病院に逆戻りしたくなかったら、無理はしないことです。」

と言うと、「送りますよ。」と高耶の鞄に手を伸ばした。

「いい! ひとりで帰れる。俺に構うな!」

掠れた声で拒絶して、高耶は思わず直江の手を撥ね退けた。
目を瞠った直江との間に、気まずい空気が流れる。
「直江。」

千秋の声が、沈黙した部屋に響いた。

「おまえ、ここに用があって戻ったんじゃねえの?
 お姫様は今日いきなりオモチャ取り上げられて、ご機嫌ナナメなんだよ。
 今夜は俺が送ってくから、おまえは自分の用事しろ。
 あ、言っとくが、私用で署のパソ使うなよ。見てなくても、ちゃんと判るんだからな。」

いつもの軽い口調で言いながら、千秋は高耶を見て微かに眉を寄せた。
言っても聞かない奴だが、やはり暫く休養させた方が良いようだ。

俯いたままの高耶に、「行くぞ」と声を掛け、二人分の鞄を持った。
高耶は何も言わず、大人しく従って歩いてゆく。
残された直江は、黙ってひとり自分のデスクに向かった。

椅子に腰掛け、引出しの資料を取り出す。
パソコンの電源を入れようとして、私用だと気付いて止めた。
目の縁で、まだ二人の姿が揺れている気がした。

 

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