花を活けながら、呟いた名前。
その一言に、直江は自然な調子で話の先を引き出した。
「フミさん? その方も里見さんのお屋敷で…?」
「ええ。亡くなった大奥様の看護をしてくれてたんですけど、
そのまま住み込みで働くことになって、半年前まで一緒だったんですよ。
若いのに良く気の付く子でねぇ。
この花、トルコ桔梗でしょう? フミちゃんが好きで…」
頷いた彼女が、ふっと遠くを見る目をした。
「…まさか病気だったなんて…
お兄さんが四国でお医者さんをしてるって言ってたけど、辞めてから何の音沙汰もなくて…
向こうで元気にしてると良いけどねえ。」
聞き上手に徹した直江の巧みな手腕で、いつもなら話すはずのないことまで色々と喋ってしまった彼女だが、
それも捜査は終わったのだという思いと、何より自宅にいる安心感が大きく作用したのではないだろうか。
暫くして直江が帰る頃には、可愛いお嫁さん候補を紹介する話まで出て、
すっかり元気になっていた。
駐車場に着くと、直江は少しばかり疲れた頬の筋肉を撫で、車の運転席から無線に手を伸ばしかけて、
指を戻し手前のシガーライターを押した。
シートに座って煙草をふかす。
閉め切った車内に、ゆらりと煙が流れた。
高耶は、もう家に帰っただろうか?
あの花屋の近くで別れた時には何も言わなかったが、まだ胸骨を骨折して3週間しか経っていないのだ。
さぞかし無念だろうと思いを馳せた直江だが、この時はまさか高耶が独りで捜査を続けるつもりでいたとは、思ってもみなかった。
二人は互いに相手の行動を知らぬまま、別々の場所で同じものを追い求めていたのである。
なぜ中川は、強盗事件を起こしたのか?
そして、なぜ事件は無かったことにされたのか?
先に手掛かりを掴んだのは、直江だった。
しかしまだ直江は、それが事件を解く糸口になることに、気付いてはいなかった。
やがて車を発進させた直江は、頭の中で情報を整理しながら、改めて事件を考え直していた。
ただの強盗事件だと思っていた時には、さほど重要視していなかった犯行動機だが、
こうなった今では、それを知らなければ何も始まらない気がする。
盗んだ品の中に、表に出せないものが含まれていた…という可能性もあるにはあるが、
この事件には金品ではない何か、もっと別の…例えば怨恨や復讐といった情動が、
絡んでいるように思えてならなかった。
そうでなければ、中川が何故あんな事を言ったのか、わからなくなる。
『ふみさん』の話に引っかかりを覚えたのは、捜査中に一度も出て来なかった名前だったからで、
それだけに何か新しい情報に繋がるのではないかと、直江は考えていた。
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