少し離れた場所で、高耶は気付かれないよう、そっと二人の様子を窺っていた。
直江の胸の内を思えば、早く知らせてやった方が良い。
そうわかっていても、高耶には別の思いがあった。
この事件…まだ終わりになど出来ない。
金品を強奪されていながら、それを無かった事にしなければならないほどの何かが、
この事件の裏に隠されている。
もう刑事としての表立った捜査は出来なくても、高耶は事件の裏を探るつもりでいたのだ。
中川は知っているのだろうか?
事件そのものが、消されてしまったことを…
俺は、どうすればいい?
黙って捜査を続ける為には、顔を知られるのはマズイ。
でも…
もしこのまま中川が姿を消してしまったら、もう追いかけることも出来ない。
中川の口から真実を聞き出すには、今が最後のチャンスかも…
迷う高耶の耳に、中川の声が微かに聞こえた。
「実は、あなたにお願いがありまして…
あの家で働いていた女性に、この花を届けて頂けないでしょうか。
怖い思いをさせて申し訳なかったと、ずっと思っていたんです。
すみませんが、私からだと言わずに渡して下さ…」
「ばかやろう! そんなことで罪が消せるとでも思ってんのか!」
中川の言葉の意味がわかったとたん、高耶は思わず飛び出していた。
あの人は、青ざめて震えるほど怖い目にあって、なのに今度はそれを否定しなきゃならなかった。
犯人を家の中に入れたことで、どれだけ苦しんだか…どんなに怖かったか…
そして今は、あれは間違いでしたと言わされてる。それを思いやる気持ちがあるなら、どうして…!
「償いたいって本気で思ってんなら自首しろよ! せめてそれがスジってもんだろ?」
中川は呆然と目を瞠り、睨みつける高耶の瞳を見ていた。
心の奥まで貫くような強い眼差しが、怒りと悔しさを滲ませて、中川を憤然と見据えている。
「…そうですね。でも、それは出来ない。私には、まだこれが始まりなんです。」
やがて俯いた中川は、やわらかなトルコ桔梗の花びらに、そっと顔を埋めるようにして目を閉じた。
「嘘も世間に真実だと認めさせれば、それが真実になる。と昔ある男に言われました。
真実って何です? 現実に起きた事件も、無かった事にしてしまえる…そうでしょう?」
中川は直江の足元に花束を置くと、引きとめようとした手を逃れ、数歩下がって高耶を見つめた。
「さようなら。もし生きて会えたら…今度は捕まえて下さい。」
静かに歩み去る中川を、高耶は追いかけられずに拳を握った。
直江が厳しい表情で、花束を拾い上げて腕に抱える。
重苦しい沈黙が、夕日を浴びて佇んでいた。
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