そんなある日、直江は階段の踊り場で、降りてくる高耶と偶然はち合わせた。
「待って下さい! 高耶さん!」
ハッと目を伏せて駆け下りようとした腕を、グッと掴んで引き留めた。
見過ごせるはずがない。
赤く充血した瞳、触れるだけで感じる高い体温。
「どういうつもりなんですッ!あなたは自分の体を何だと思っているんだ!」
高耶の背中を壁に押し付け、手首を掴んだ両腕で、しっかりと囲い込んだ。
「熱がある…夜も殆ど寝ていませんね?」
怒りを孕んだ直江の声が、低く地を這う。
見つめる瞳の迫力に、高耶は逃げるように顔を背けた。
「内勤だけで、こんなになるはずがない。隠れて何をしているんです?」
直江の瞳が、じっと高耶を見つめる。
「別に何もしてねえよ! 俺は忙しいんだ…」
いい加減にしろと言いかけた時、
「トルコ桔梗」
直江が唐突に呟いた。
え?と高耶が目を上げる。
「あの花束は、彼の妹が好きな花だったんです。」
「おまえ…まさか!」
絶句した高耶の瞳を見つめ、直江は僅かに頷くと、サッと耳元に唇を寄せた。
「裏で誰が動いたかも、既に掴んでいます。後は私に任せて、あなたは大人しく手を引きなさい。」
高耶の肩がビクッと動いた。
「バカな…っ!そんな事して、どうするつもりだ? せっかく繋がったクビを捨てる気か!」
怒鳴りつけたい気持ちを抑え、高耶は声を殺して囁いた。
直江は微笑を浮かべると、
「彼らに知られるようなヘマはしません。
あなただって、私が言うまで気付かなかったでしょう?
それに、私のクビが危ないと言うなら、あなた自身はどうなんです。
何をしても許されるほど、上層部に気に入られているとは思えませんが?」
余裕たっぷりに皮肉を言って、グッと詰まった高耶の耳から、そっと顔を離した。
だが右手は、しっかり高耶の手首を握ったままだ。
「とにかく今は病院に行かないと…」
「ちょ…っ!直江! まだ仕事中…」
「課長に伝言を残せば良い。元々あなたの内勤は臨時の措置だ。課長が居れば問題ないはずです。」
もがく高耶の手を引っ張り、直江は物騒な眼差しで階上を振り仰いだ。
こんな事なら、傍を離れなければ良かった。
防犯課の手伝いを甘んじて受けたのは、何の為だと思っているのだ。
受付で千秋に伝言を頼んだ直江は、沸々とたぎる怒りを胸に、携帯にもメッセージを送った。
直江はこの時、高耶に手を引かせて、自分だけで事件にケリを付けられると、本気で信じていた。
だが高耶の気性も事件の裏も、直江が知っているのは一部分にしか過ぎなかった。
手を焼くのは、これからだったのである。
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