重く垂れ込めた黒い雲から落ちてくる、冷たい雨が窓を打つ。
何をするでもなく流れてゆく時間…いつもと変わらない土曜日を、千秋は特別な感慨もなく過ごそうとしていた。
今日が何の日か、知らないわけではなかったが、だからって何がどうなるわけもない。
こんな天気の日に、わざわざ外に出るのも煩わしくて、チャーハンでも作るかとフライパンを出した時、入り口の方で軽くドアを叩く音がした。
ちょっと躊躇うような、それでいて早く出ろって言いたげな、あの叩き方は…
「よ、仰木。どした?」
ガチャッとドアを開けると、思ったとおり立っていたのは高耶だ。
濡れた傘から滴る雨が、モスグリーンのジャケットをぐっしょりと湿らせている。
「何やってんだ。早く入れよ。」
招き入れようとした千秋の肩に、スッと高耶の手が伸びた。
「グ…ッ苦しい…おま…苦しいって!」
首に回った腕が、ヘッドロックをかましてくる。
もがく千秋の頬に、そっと柔らかな感触が当たった。
今の…
ドクンと心臓が鳴った。
目を瞠ったまま動けなくなった千秋の体を放して、高耶が大きく息を吐いた。
「はぁ…すっげ緊張した…」
俯いて横を向いた顔が、少し紅潮して艶めいて見える。
嘘だろ…?
仰木が俺にキス? マジで?
ありえねえ!…けど…
外れたヘッドロックが未だに効いているような息苦しさに、胸がキュウッと痛んだ。
「へへ…驚いたろ? これで貸し借り無しだからな。」
照れくさそうに笑って、高耶が小さな包みを差し出す。
ああ…そうか…そういうことか…
お返しのつもりなんだと、無理やり心を納得させて受け取った。
「この野郎!…ったく、もうちょっと色っぽいキスしろよ。ンなんじゃ萌えねぇっての。」
笑い飛ばして、サンキューと礼を言う。
「ばぁか。ンなもん出来っか。」
肩を竦め、高耶が笑って部屋に入る。
あとに続いた言葉に、千秋は思わず高耶の背中を見つめた。
高耶は千秋が出したままのフライパンと飯に気付いて、
「チャーハンか?よし、久々に美味いの喰わせてやっか。」
などと言いながら、ワンルームの小さなキッチンに立っている。
自分が何を言ったのか、気付いていないのだ。
だから尚更、言わせたくなった。
きっと今しか聞けない、その言葉を…
「おまえ…今…何つった?」
「は? 何って…何だよ。俺の作るチャーハンじゃ美味くねえってか?」
高耶がムッと振り返る。
なぜそうなるんだ?
千秋は慌てて首を振った。
「違う!その前だ。初めて…とか、俺で良かった…とか…言ってたろうが!」
口に出すと恥ずかしくなるセリフに、高耶の顔がボッと赤く染まった。
「な…なな何でンなとこだけ聞いてんだよ…っ」
真っ赤になった耳も、泳ぐ目線も、普段の姿からは想像できない可愛さで、
これが高耶じゃなければ抱きしめて口説くところだが、そうはいかない。
高耶は少し唇を尖らせて、溜め息を吐いた。
「しょうがねぇだろ。くだらねー事でグルグル考えるより、同じ事してチャラにしたかったんだ。
あんなことするの初めてで、ヘッドロックなんかしちまって…」
「だから俺で良かった…って?」
聞きたかった言葉は、真相を知らない方が嬉しかった気がする。
だが高耶は千秋の言葉に、「そうじゃない。」と小さく首を振った。
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