『月を射る』−7

 
 

それから数日、高耶は何も出来ないで日を過ごした。
授業も部も、休みはしなかったが、気持ちが伴なわない。
直江は弓道場には来るものの、形だけの、力のない弓を引いていた。
高耶を呼び出す電話があったのは、そんな冬の放課後だった。

「みんな、聞いてくれ。実はな、俺の知り合いが、もし合宿するなら道場を貸してくれるって言うんだ。
 冬休みの前半なんだが、どうだ? みんな行けそうか?」

全員を集めて、高耶が切り出すと、
「先生、合宿場所はどこですか? 旅費とか、あんまり高いと行けないかも…」
恐る恐る手を上げて、牧田が尋ねた。
「あ、すまん。場所は県外になるんだが、マイクロバスで迎えに来てくれるし、学園長もよく御存知の場所だから、父兄にも心配はかけないと思う。『光陰』と言うんだが、知ってるか?」

直江の顔が、スッと青ざめた。
「前半っつうと、クリスマスも日程に入ってんですよね。一日だけ帰ってもいいかな」
「はぁ? なんだよ、彼女いるのか!」
「俺も…すいません…」
部員たちの間で口々に話が始まる。
高耶は笑って、イブとクリスマスは、合宿を休みにすると告げたあと、
「じゃあ、行くってことでいいな? もし都合が悪い奴がいたら、言ってくれ。」
みんなが嬉しそうに合宿の話をしている間に、直江は高耶の後を追いかけた。

「高耶さん! 『光陰』とは、どういう関係なんです? まさかあなたは、最初から知って…」
『光陰』は直江の兄、照広が家を出て創った道場。
そしてここの学園長は、直江の叔父だ。
まさか高耶は、兄か叔父に頼まれて…?

「違う。おまえのことは、あのとき初めて知ったんだ。ここの顧問も、俺がやりたいと申し出た。
 本当は、『光陰』で合宿してみないかと言ってくれたのは、学園長なんだ。学園長は、俺の昔の先生。
 俺に弓を教えてくれた人だ。…って、先生がここにいたなんて、来て初めて知ったんだがな。」

そう言って、高耶はふわりと柔らかなまなざしで笑った。
「すみませんでした。」
直江は頭を下げると、そのまま顔を上げなかった。

今も、この前の夜も、いつも自分の勝手な思いだけで動いて、高耶の思いを考えようとしなかった。
それなのに、高耶は直江を避けず、こうして笑ってくれる。
項垂れたままの直江を、少し見つめて、高耶は辛そうに視線を外した。

「合宿、本物のおまえで来い。」
顧問として厳しい声で言い渡すと、振り返らず学園長室に向かった。
合宿に行っても、何も出来ないかもしれない。
それでも、高耶はただもう一度、あの朝の直江と、弓が引きたかった。

弓には射手の心が表れるという。
ならば、あれが直江だ。
何にも縛られず、何を隠す必要も無く、弓を引いていた直江。
直江が放つ矢に乗れば、どこまでも飛んで行けそうな気がした。
なのに…

あの夜から、胸の痛みが無くならない。

嫌だとか許せないとか、そんな気持ちよりも、
俺に触れた手の優しさが、
おまえの温もりが、
体に蘇るたびに、胸が苦しくてたまらなくなる。

このままじゃ、弓を引いても矢は飛ばない。
俺も、おまえも…
ここから抜け出せなくなる前に、どこかに踏み出さなくちゃいけないんだ。

学園長から合宿の提案を受けた時、高耶は初めて学園長と直江の関係を知った。
『光陰』が直江の兄の道場だと聞いて、仕組まれた意図を感じなかったと言えば嘘になる。
だが、それでもいいと思った。
周囲の思惑がどうであれ、これはチャンスなのだ。
吉にするか、凶で終わるか。
それを決めるのは、運じゃない。
自分達なのだと、高耶は雪の舞い始めた灰色の空の下を、ひとり黙って歩いていった。

 

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