『月を射る』−3

 
 

翌日の高耶は、昼休みから散々だった。
父兄からの呼び出しに、慌てて職員室へ飛んでいくと、人違いだったと言われて終わり、戻ったらもう学食は売り切れで、外に行く時間も無くなり昼メシ抜き。
授業を終えて廊下に出たら、珍しく質問攻めにあって休憩する間もなく、走って次の教室へ向かうと、教頭に「廊下は走らないように!」と叱られ、生徒たちに笑われてしまった。
そのうえ弓道場へ行こうと歩いていたら、事務のオバサンに呼びとめられて、コピーした書類を山ほど持って、また職員室に逆戻りだ。
そんなこんなで、かなり遅れて弓道場に入った高耶は、
「遅かったですね。仰木先生。今日は練習なし?って、みんな帰りましたよ。」
ひとり残っていた直江に言われ、ガックリと肩を落とした。

「嘘だろ〜…顧問が来なくたって、練習はあるに決まってるじゃねえか!」
眉を顰める高耶を見て、直江は肩を竦めて軽く両手を広げた。
「甘いですよ、先生。ここは同好会みたいなものだったんですから。先生がいないのに、真面目に練習するはずないでしょう。」
「同好会って…」
校内にこんな立派な弓道場を持っていて、どうして同好会みたいになるんだ!?
高耶の顔が、疑問と憤りと情けなさをミックスしたような、なんとも困ったという表情で直江を見る。
直江はちょっと目を泳がせて、弓を持つ手を胸の前で組んだ。

「しょうがねえ。おまえだけでも練習してろ!」
言い残して、高耶は弓道場を飛び出した。
きっと部員たちを探しに行ったのだ。
「無駄ですよ。今日はもう誰も捕まらない。」 高耶が出ていった扉を見つめて、直江は小さく呟いた。

同好会のようだというのは、嘘じゃない。
勝てない試合。弓道を知らない顧問。それが続いた結果、ここは馴れ合いの部になってしまった。
でも今日みんなが帰ったのは、直江がそう仕向けたからだ。
昨日の練習の厳しさに、音を上げかけた部員達は、直江がボイコットを口にすると、一気にその方向へ流れた。
「あなたが顧問をしたって、何も変わらない… 何も…」
だから顧問なんか辞めてしまえばいいんだ。
そうすれば、俺はあなたと弓が引ける。
学園も部も関係ないところで、あなたと二人で弓を引きたい。
悔しくて、腹立たしくて、賭けに勝って思い知らせてやろうと思ったはずなのに、高耶の傍にいると、あの朝のように、ただ二人だけで弓を引いていたいと願っている自分に気付く。
こんな画策をして困らせて、あの日に戻れるわけがないのに…

日が落ちた頃になって、やっと高耶が弓道場に走ってきた。
息を切らして咳き込みながら、
「悪かったな、一人にしちまって… 今日は、もう終わっていい。また明日…みんな揃って練…」
最後まで言えず、ふらついた身体が、崩折れるように座り込む。
その背中を、直江は弓を放り出して支えた。

「ハハ…ざまぁねえな。メシ抜きじゃ、やっぱ体力が…」
力なく笑う高耶に、後悔で胸が痛む。
「水は? 水分も取らなかったんですか?」
コクンと頷く身体から、ゆっくり手を離すと、直江は自分のバッグに入っていたスポーツドリンクを、持ってきて高耶に飲ませた。
いつもなら、ちゃんと水分補給をしていただろう。
こうなったのは、直江が裏で動いて、高耶を困らせたからだ。
でも…まだこれで終わりにしてやれない。
直江は高耶が元気を取り戻すと、目を伏せて立ち上がった。

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