『月を射る』−12

 
 

「先生!凄い!凄いよ!」
「眼鏡は? 先生、目が悪いんじゃなかったのか?」
「先生めちゃくちゃ綺麗だった…どうしよう、俺あんな感動したの初めてだ。マジ惚れそう…」
神事が済んで、高耶が降りて来ると、部員達が一斉に周りを囲んで、興奮して喋り出す。
そこに観客たちも雪崩れ込み、高耶はもみくちゃにされそうになってしまった。

三本の矢が全て的を射抜いたのは、十数年ぶりの快挙だ。
しかもそれを成し遂げたのが、素晴らしく魅力的な青年とくれば、観客達が熱狂するのも無理はない。
部員や光陰の門下生、神社の関係者が慌てて止めようとした時には、高耶は動きたくても動けない状態になっていた。

「やめ…ッ! ちょっと待て…待てって…言ってんだろう!」

悲鳴が混じった怒声に、堪らず直江の手が伸びた。
幸い元から最前列で、高耶との距離は1メートルも離れていない。
人を掻き分け、何人もの手の中から、弓掛を着けた手を探し出して掴むと、

「直江? 直江! なお…助け…」

高耶の手が縋るように、ギュッと直江の手を握り返した。
名を呼ぶ声に、愛しさが胸を締め付ける。
直江は高耶の手を引っ張って、人の波から助け出すと、人影の無い木立の奥に走った。

「ハァ…ハァ、参ったな。」
誰もいないところまできて、高耶は木に凭れてやっと息をついた。
息をきらした直江を見ていると、なんだか急に笑えてくる。
ふたりで顔を見合わせて、ひとしきり笑ってから、高耶は繋いだままだった直江の手を、そっと解いた。
手を離すと、途端に寒さが増す。
思わず身体を縮めると、直江が高耶の傍に少しだけ身体を寄せた。

「…名前を…どうして俺の名前を呼んだんですか?」
搾り出すような、掠れた声が聞こえた。

どうしてって…
手の感じでわかったなんて、言えるはずがない。
それも、直江だとわかって嬉しかったなんて、言えるはずが無かった。
黙ってしまった高耶を、直江は暫く黙って見つめた。

躊躇いながら伸ばされた手が、頬に優しく触れて、高耶はギクリと身体を強張らせたが、逃げようとはしなかった。
思い出す度に苦しかった直江の温もりが、今は少しも苦しくない。
弓を引いた後の興奮が、頭を狂わせているのだろうか?
いけないことをしているのだと、心の片隅で告げる声がしても、何がいけないのかと思ってしまう。

心を集中して、何も考えずに、的だけを見つめて弓を引いた。
きっとあの時に、理性も一緒に飛んでしまったのだ。
直江の唇が、そっと高耶の唇に触れて、ゆっくりと深く重なってゆく。
高耶は直江の背中に腕を回して、がっしりとした体を抱きしめた。

こうしていることが、とても自然に思える。
直江の腕の中で、高耶は安心したように目を閉じた。
弓を見なくてもわかる。
これが直江だ。
今感じている温もりが、心を隠そうとしていない、本物の直江なのだと。

 

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