『月を射る』−10

 
 

破魔の神事は、日の入りと同時に始まり、深夜まで続く祭祀だ。
高耶が射手を務めるのは、闇が深くなる頃に行われる『御弓の儀』と呼ばれる儀式で、邪を祓う破魔の力を持つと言われ、的を射抜いた矢が破魔矢となって奉納されることになっている。
矢の数は、たった3本。一本も当たらない年もあり、射手に余程の力量がないと成功しない儀式として、弓に関わる人々の間では、隠れた注目を集めていた。

高耶たちは知らなかったが、今日も地元の人々に混じって、各地から何人もの愛好家が見に来ている。
夕刻になると、夜店が出ないにも関わらず、境内は訪れた大勢の観客で埋まっていた。

太陽が地の端に姿を消す時刻、ジャーン、ジャーンと銅鑼の音が響き渡った。
白色無紋の衣冠という礼装に身を包んだ照広が、二人の巫女を従えて神殿に入って行く。
すらりとした長身に、烏帽子を着けた姿は、若くても堂々としたもので、歩き方も、ひとつずつ儀式の手順を踏んでゆく動作も、迷いが無くて落ちついている。
境内と神殿の境にある格子の隙間から、緊張しながら覗いていた直江は、朗々と詔を唱える照広の声に、ふうっと息を吐いた。

兄は家を出て、ちゃんと自分の居場所を見つけている。
あの頃よりもずっと大きく、誇り高く顔を上げて生きている。
それが嬉しくて、そして誇らしかった。

でも、だから向き合えない。
俺は…俺は何をしてる?
ぐずぐず泣いていただけで、何も出来なくて、今も何も出来ないままで…
こんなままで、どうして横に並べるだろう?
もしも兄が、あの人の隣に立って一緒に弓を引いたなら、あの人が俺より兄を選んだら、俺は…

始まりの祈祷を終えると、照広は祭壇に供えてあった鈴と榊を、それぞれの巫女に恭しく手渡した。
二人の巫女が静々と境内の一角にある大舞台に上がり、神職たちが奏でる笙や笛、鼓に合わせて優雅に舞い始めると、境内は一気に華やいだ雰囲気に包まれた。
携帯やカメラのフラッシュが、あちらこちらでパシャパシャ光る。
とっぷりと深い藍色に変わった空に、赤く燃える篝火が映えて、独特のテンポで流れる雅楽の音色と、美しい巫女舞が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

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