タイガースアイ『前進』−1

 
夕暮れの公園には、昨日と違って親子連れやカップルが何組も来ていた。
冷たい風が吹いていても、そのぶんお互いの体温を分け合う喜びがあるのだろうと、
直江は読んでいた文庫のページをめくる手を止めて、楽しげに前を通りすぎる恋人達を見送った。 今ここにあのひとがいたら。
直江は高耶の姿を思い浮かべて、可笑しそうにくくっと喉の奥で笑った。
あのひとが、あんな風に俺の腕の中に納まって歩くなんて、想像しただけで笑ってしまう。
肩を抱こうとしたら、きっと驚いて目を丸くしたあと、ギッと俺を睨んで、
『おまえ。俺のこと女と勘違いしてんじゃねぇだろうな。』
などと言うに決まっている。
その顔が目に浮かんで、直江はふっとせつないまなざしになった。

真っ赤になって狼狽しながら睨む瞳がたまらない。
このまま抱きしめたい。と何度思ったことか。
あのしなやかな体を思うだけで体が熱くなる。
しかし傍に居るためには、そんな欲望は邪魔だ。
抑えればいい。邪な欲望など抑えこんでしまって、ただあのひとの隣に居たい。
もっと話したい。もっと見ていたい。もっと知りたい。そう思っていた。
そうして昨日、本当に楽しい時間を過ごした。
抱くことはできなくても、どんな女を抱いているより幸福だった。
これからだって、一緒にいられるなら、どれほど強い欲望でも抑えてみせる。
この幸福を手放すくらいなら、耐えるほうを選ぶ。その選択に悔いなどなかった。
だが困った事に、あのひとを知れば知るほど、耐えがたいまでに欲求が増していくのだ。
あのひとの全てが欲しい。
心が焦がれて悲鳴を上げている。
思いは、予想を遥かに超えて加速していた。
 

今朝、あのひとを家に送り届けるまでは、自分の理性を信じていた。
昨日の夜は、ほんの少し手を伸ばせば触れられる距離にいても、寝顔を見守っているだけでよかった。
やせ我慢ではなく、暖かな安らぎを感じていた。
なのに、あのひとが見えなくなったとたん、どうしようもなく求めてしまう自分がいる。
この喪失感をどうすれば埋められるのだろう。
何をしていても、飢えは深まるばかりで底が無かった。

会いたい。

気付いたら電話していた。
「今から会えませんか。」
たった数時間で音をあげるなんて、自分でも信じられない。
じっと目を閉じて返事を待つ時間が、何十分にも思えた。
「わかった。6時に昨日の公園で会おう。」
嬉しくて飛び上がりたい気持ちを抑え、平静を装って電話を切った。

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