タイガースアイ『前進』−2

 
それからすぐに、この公園に来てしまった直江だった。
期末の準備などすることはいくらでもあるのに、1時間以上も前に来てこうしている。
6時まであと1時間。
直江は文庫に目を戻すと、物語の探偵よりも先に謎を解いて、小さく嘆息した。
小説と違って、現実は謎を解いても終わらない。
これが正解だと思っても、それが本当に正しい答えだと誰が言えるだろう。
俺の前で道がふたつに分かれている。
欲望に蓋をしたままで生きるか。
抱きしめて離さないか。
どちらがあのひとの幸福に繋がっているかなんて、わかりきっている。
前者だ。当たり前だ。
でも俺は、後者を進みたいと思ってしまう。
既に自分の理性など、信じられなくなっていた。
今朝別れたばかりの相手に、用もないのに会いたいと電話をするなんて。
理性のある大人のすることじゃない。俺がしようとしていることは、破滅へと繋がっている。
それでも…。

ベンチに座って本を読む直江の姿を、高耶はすぐに見つけた。
挙げかけた手を、もういちどポケットに突っ込んで、木々の植わった芝生に踏みこんだ。
遊んでいた子供達は親に手を引かれて、恋人達は寄り添ってどこかに歩いていく。
高耶は奥に入ると、絵に描いたような幸せな光景が目の前から消えるまで、カサカサと鳴る落ち葉を蹴りながら、桜や楓の下をゆっくり回った。
この季節の夕暮れは苦手だ。人の温もりが寂しさを際立たせる。
他のどの季節より寂しくなるのは、見かける人々がやたらと手を繋いでいるからだろうか。
いやでも思い出す。幼い頃に繋いだ手の暖かさを。どんなに幸福だったかを。
少し前まで美弥の小さな手があった。自分を見上げる瞳が、他の全てを消してくれた。
けれど美弥は、もうすっかり大きくなった。
俺だけがいつまでも美弥の手を欲しがってる。
いつまでも。小さなガキのまんまだ。

(せっかく6時って言ったのに、よりによってこんな時間に来ちまうなんて。)
あれから大急ぎで洗濯もの入れて片付けて、夕飯作ってメモを書いて、ダッシュで来たら…。
最悪の時間に来てしまった。
今あいつの目を見ちゃダメだ。
もし昨日みたいな目でみられたら、どうしたらいいかわからなくなってしまう。
俺が手を伸ばしたら、あいつはきっと掴んでくれる。
欲しいだけの温もりをくれる。
俺が欲しくてたまらないものを、あいつはくれる。
だからダメだ。手を伸ばしちゃいけない。
失っても耐えられる距離。それを越えてはいけなかったのに。

ちらりと直江を見た。本を閉じてどこかを見ている。
今、溜息をついた。
その表情がなんだか辛そうで、どうしたのかと見つめていると、
「!」
目が合ってしまった!
考えるより先に体が動いた。

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