タイガースアイ『前進』−4


しばらく走って公園につくと、荒い呼吸を整え、大きな木に寄りかかった。
(ホントに逃げちまった。)
「直江…。」
呟いて目を閉じた。あのまなざしが鮮明に浮かんで、高耶は眉を寄せるとまた目を開けた。
自分で自分がわからない。あいつといると調子が狂う。
非常勤講師として半年前に直江がやってきてから、高耶は落ちつかない日々を送っていた。
直江は、客観的にみて良い教師だと思う。授業は丁寧だし、自分の価値観を生徒に押し付けたりはしない。
だがなぜか高耶に対してだけ、突っかかってくるのだ。
他の生徒に不信に思われない巧妙さで、言葉やまなざしに皮肉やからかいを乗せて挑発する。
その挑発が見事なくらい高耶の神経を刺激するので、譲や千秋は、直江が以前から高耶を知っていたのではないかと疑っていた。
いくら高耶が負けず嫌いで、反抗心旺盛な性格とはいえ、そうそう何にでも反応するわけではない。
とるに足り無いことだと判断すれば、あっさり無視する。
なのに、直江の挑発には毎回必ず乗っているのだから、彼らが疑うのも無理はなかった。

いつのまにか、高耶にとって直江は無視できない存在になっていた。
それでもついさっきまでは、とにかく気に障る奴だと思っていただけだったのに、
なんでいきなりこんなわけのわからない感情が湧いてきたのだろう。
逃げるなんて。この俺が!
ぎゅっと唇を噛んだ。
今にも雪が降りそうな夕暮れの公園は、さすがに人影も無く、落ち葉が風に吹かれてカサカサと乾いた音を立てる以外、寂しく静まり返っていた。
びゅうと風が吹きつける。ぶるっと首を縮めて寒そうに腕を抱いた高耶の肩に、後ろから突然ふわりと暖かいコートが掛けられた。
「風邪をひきますよ。」
高耶さん。と耳元で囁かれて、治まっていた動悸がまた激しくなった。
逃げたくない!
強く思った。こんなことで動揺している自分が、歯がゆくてたまらない。
この動悸が何を意味するのか。
この感情は自分を変えてしまうのか。
何もかもわからないことだらけだ。
だったら、その行きつく処まで確かめてやる。もう目をそらしたりしない。
高耶は心を決めて、直江を見上げた。

「お前、なぜ俺を追ってきたんだ?」
「迷惑でしたか?」
探るような直江の視線を、まっすぐ見つめた。
「それじゃ答えになってない。訊いてるのは俺が先だろ。直江先生。」
高耶の言葉に、直江がおかしそうにくっくと笑った。
「その瞳と話し方に、先生は似合いませんね。心にもないことは、言わない方が懸命だ。」
直江を見つめる高耶の瞳は、力強い輝きを秘めてどこまでも澄んでいる。
答えを聞くまで視線をそらさないつもりらしい。
ならば、このまま答えずにいようか。
半ば本気で考えた直江だったが、しばらくして、
「あなたには嫌われたくないですからね。からかう相手がいないと寂しいでしょう?」
嘘ではない。だが本当の理由でもなかった。

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