タイガースアイ『前進』−3


譲と千秋が話している間に、ひとりで校門を出た高耶は、また単語帳と睨めっこを始めた。
三日間の成果か、答えを見なくてもわかる単語が多くなっている。
こうなると案外気分がいいもので、覚えた単語を暗誦しながら歩くのも苦にならない。
足取りも軽く四つ角を渡ろうとしたとたん、目の前にスッと車が止まった。
「感心ですね。単語の勉強ですか。」
ウィンと開いた窓から、直江が顔を出した。
「なんだよ。勉強やってて文句言われる筋合いはねえよ。」
(教師のくせにベンツなんか乗りやがって。ヤバイことしてんじゃねえだろうな)
うさんくさそうに顔をしかめた高耶に、直江はにこやかに微笑んだ。
「そんな顔しないで、乗りませんか? 兄の車なんですが、乗り心地は最高ですよ。」
「兄貴って。ヤのつく職業…じゃねえよな?。」
「まさか。ただの不動産屋ですよ。」
ふうんと納得したものの、こいつの車に乗る気はない。無視して行こうとした高耶に、
「逃げるんですか?」
と直江が言った。

「逃げるってなんだよ。俺は家に帰ろうとしてるだけだ。」
思わず足を止めた高耶の腕を、直江は窓から手を伸ばして、ぐっと掴んだ。
「なにすんだ! 離せっ!」
腕を振りほどこうといきりたつ高耶に、
「そんなに警戒しないで下さい。大丈夫ですよ。何もしません。」
しっかりと腕を掴んだまま、直江は穏やかに語りかけた。
「何もしないってんなら、さっさとこの手を離せ!」
どこにこんな力があったのか、直江の手はビクともしない。
「いいえ、離しません。離したらあなたは行ってしまう。」
あたりまえだ。と言おうとして、まともに直江と目があった。
瞬間、高耶は言葉をなくした。

(なんでそんな瞳で俺を見るんだ…)
いつものからかうような視線じゃない。切実とさえ言えそうな、真剣なまなざし。
それはどこか憂いを含んでいて、見るだけで胸の奥がきゅっと痛んだ。
こいつは時々こんな瞳で俺を見る。
その度に、なんだか妙に胸が騒いで落ちつかない。
居心地が悪いような、目のやり場に困るような変な感じ。
(そんな瞳で俺を見るなよ。俺まで悲しくなっちまう。)
こいつが喜ぶなら、車に乗ってやってもいいか…。
ふっと頭をよぎった思いに、高耶は焦ってブンブンと思いきり頭を振った。
どうかしてる。英語の勉強なんかしてっから、頭が変になっちまってるんだ。
わけのわからない感情に戸惑う高耶をみて、直江が心配そうに声をかけた。
「高耶さん。」
そう呼ばれたとたん、心臓がドクンと大きな音を立てた。
耳の奥で鳴っているのがわかるほど、激しい動悸に呼吸が乱れる。
なんなんだ、これは…。
違う! こんなの俺じゃない!
高耶は力いっぱい直江の手を振り払うと、家とは違う方向へ走り出した。

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