タイガースアイ『前進』−3

 
「待って! 高耶さん。なぜ逃げるんです!」
ベンチを飛び越えて走った。
ザザッと落ち葉を舞い上げて、高耶のモスグリーンのジャンパーが翻る。
直江の黒いコートの裾が、木に絡んで嫌な音を立てた。
落ち葉で足が滑った一瞬を逃さず、直江は高耶の腕を掴んで後から抱きすくめた。
「離せ!」
「嫌です!」
「離せったら!」
もがきながら高耶が上体を捩った。
手首を掴んだ直江の手を解こうとして上を向いた瞬間、きつく抱きしめられていた。
大きく目を見開いた高耶の耳に、直江が低く囁いた。
「もう離さない。」

左手首は掴んだままで、抱きしめていたもう一方の腕をほんの少し緩めると、驚愕している高耶の顔をじっと見つめた。
なにかを言おうと開きかけた高耶の唇に、直江の唇が被さった。
柔らかい感触を味わうように、ゆっくりと舌でなぞりながら、より深く重ねていく。
深く合わさった唇から、直江の舌が絡みついて高耶の舌を吸い上げた。
逃れようとしても、背中に廻された手が頭の後ろをしっかりと支えていて、身動きひとつできない。
「んッ・・んん・・ッ」
かろうじて空いた右手の拳を直江の胸に叩きつけても、ぎゅっと抱きしめられた状態では、力も入らない。
ショックと息苦しさで涙が滲んだ。

きつく吸い上げては柔らかく絡む舌の感触に、神経が研ぎ澄まされてゆく。
頭を支えている手の指が、髪をくすぐり、首筋から耳の後ろをゆっくり何度も撫で上げる。
体の奥からぞくりと這いあがった未知の感覚に、びくんと肩が震えた。
「・・・っ・・は・・あっ・」
手首を掴んでいた直江の手が、いつのまにか高耶の手を握りしめて指を絡めていた。
その指の感触にさえ刺激を感じて、益々息があがる。
きつく目を閉じて、直江から逃れようと精一杯力を込めているのに、内側から侵食してくる快感が、どんどん抵抗力を奪っていく。
荒い息が、重なった唇から洩れていた。

背中にあった腕は、今はもうシャツの下の素肌を直に抱きしめていた。
指先が感じる高耶の肌は、触れるたびに鮮やかな反応を返してくる。
思わず洩らす息がどんなに甘いか、高耶は知らない。
力が入らないまま右手で直江の腕を掴んで、背を這う指を押し返そうとしている。
こんなに感じていながら、なおも引き摺られまいとする高耶が、愛しくてたまらなかった。

 
つうっと高耶の頬を涙が伝った。ぽろぽろこぼれる涙に、直江はハッとして体を離した。
「高耶さん…」
直江はそっと手を伸ばして、高耶の涙を拭った。
「なぜ…。なぜだ、直江。これがおまえの本心なのか。」
上気した頬で、荒い息のままで、搾り出すようにそう言うと、傷ついた瞳で直江を見上げた。
なにも言わずにじっと見つめる直江に、
「こんな…。おまえのその目がこんなことを望んでるなんて…。信じない!おまえなんか…。
 直江のばかやろう!」
こぼれてくる涙を拭いもせず、高耶はゆらりと歩き出した。
「待って下さい。」
直江の声にも、振り向かずに歩いていく。
「高耶さん。送っていきます。なにもしません。約束しますから、送らせてください。このままじゃ危ない。」
有無を言わせず高耶の手をとると、直江は車に向かった。

「なん・・誰がおまえの車になんか乗るかよ!」
手を振りほどこうとする高耶に、
「乗ってもらいます。ちゃんと家に入るまで見届けないと心配ですから。」
全然悪びれない直江に、呆気にとられているうちに車に乗せられた。
「謝りませんよ。あれが私の望みです。もっと先まで望んでいる。
 あなたがどう思おうと、もう引き返すつもりはない。あなたが欲しい。この気持ちは、もう変えられない。」

あまりにストレートな直江に、高耶はだんだん腹が立ってきた。
「いいかげんにしろよ! 俺はそんなの御免だ! 
 んな勝手なこと言われたって、そうですかなんて言うわけないだろ。」
涙なんか流した自分が情けなくなる。
俺はおまえのことが好きだったのに。そんな意味じゃなく好きだったんだ。
「でも、感じたでしょう?」
直江の言葉に、今度こそ怒りは頂点に達した。
真っ赤になって直江を睨みつけた瞳は、燃えるような輝きを放っていた。

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