高耶を追って、千秋の竜は猛スピードで空を駆けていた。
「キィエェーッ」
強く呼びかけても、高耶を乗せた竜は、振り向きもしない。
「どうなってんだ! 決着がつくまで、竜は空を飛ばないのがルールだろうが!」
背中で叫ぶ千秋の言葉が、竜の胸に突き刺さる。
認めた相手だけを乗せて飛ぶ。
それがはぐれ竜のプライドであり、譲れない一線だったはずだ。
それをなぜ?
おまえは誇りを捨てるのか!
力の限りに吼えた竜の声が雷鳴のように轟いた時、高耶を乗せた竜の躯がビクンと大きく震えた。
「何が気に入らない…俺の何が…」
高耶の声が切れ切れに聞こえる。
何が…?
オレは何が怖かったのだろう?
この人間の何が…
わからない。
あれは何だったのだろう?
オレを縛ろうとするような、あの力は…
「おまえ、俺を乗せたくないんだろう?
けど…俺はおまえに乗りたい。
やっぱスゲエよ。
おまえ…本当にスゲエ…」
言葉が途切れたと思った時、ふっと背中から重みが消えた。
ふいに軽くなった背中を、訝しく感じたのは一瞬だった。
凍りついた心臓が再び動き始めるより早く、
竜は落ちてゆく高耶の後を、全速力で追っていた。
嫌じゃない。
お前を乗せるのは嫌じゃない。
だから落ちるな!
落ちないで!
追いかけながら口走った竜の叫びが、広がる雲に木霊する。
「ボケめ。気付くのが遅いぞ。」
千秋を乗せた虹色の竜は、呟いて上に目を凝らした。
「ちび虎!!」
千秋が必死に手を伸ばして、指の先から魔法を放つ。
魔法の力も万能ではない。
この距離では、さすがに千秋の魔法も届かず、高耶の落下を止めることは出来なかった。
「くそう。落ちてくるのを待つしかねえな。」
しかたなく、出来るだけ優しく受け止められるように、
大きな蜘蛛の巣のようなネットを張って待ち構えた千秋の目の前で、
先にズシンと墜落してきたのは、高耶を追っていた竜の方だった。
「嘘だろ〜!! なんでお前が先なんだ!」
頭を抱えても今更どうにもしょうがない。
竜がネットに絡まってもがいている間にも、高耶は急速に近づいてくる。
「しょうがねえ。しばらく我慢しろよ!」
落下の衝撃を少しでも和らげようと、千秋は竜の尻尾に手を伸ばした。
一時的に竜の体を柔らかくして、マット代わりにしようとしたのだ。
急がなければ間に合わない。
千秋が魔法を放ったのと、竜の腹に高耶の髪が触れたのは、ほとんど同時だった。
間に合ってくれ!
千秋と2匹の竜が、祈るように目を閉じた瞬間、高耶の周りで何かが弾けた。
凄まじい爆風と光の奔流。
それが千秋の魔法と、高耶を守る魔導士の力が、同時に発動して反発しあった結果だったとわかったのは、
巻き起こった嵐に流されるようにして飛ばされた二人と二匹が、どことも知れない花畑の真ん中で、目覚めた後のことだった。
「ここは…?」
気がついた時、高耶の目に入ったのは、ピンクのコスモスだった。
手の甲に触れたザラリと生暖かい感触に、犬か猫がいるのだろうかと顔を向けて、
高耶はギョッと跳ね起き、それから嬉しそうに笑って、そっと手を伸ばした。
「おまえ、逃げなかったんだ。俺を認めてくれたのか?」
鼻面だけで高耶の体ほどある竜は、手の甲を舐めていた舌先を引っ込めると、
コクンと頷く代わりに、大きな目を片方だけ瞑って、少し首を傾げた。
顔は怖いが、なんとなく可愛い仕草に見えなくもない。
「ったく。気にいってんなら、最初から逃げんなっての。」
千秋が横から口を挟む。
もう一匹の竜にもジロリと睨まれて、竜は肩身が狭そうにキュウと啼いた。
逃げたなど、自分でも認めたくないが、それが事実だ。
でも今は、もし同じように怖くなっても、逃げずにいられると思う。
あの力がオレを縛ろうとしても、この人間は、オレを縛ろうとしていない。
それがわかったから…もう怖くない。
この人間なら…ずっと一緒に飛んでもいい。
竜はそんな気持ちを込めて、もう一度「キュウ」と言った。
顔を上げた竜の銀の鱗に、青い空の色が映っていた。
「銀青…お前の名前、銀青(ぎんせい)って呼んでもいいか?
千秋のは白い虹みたいだから、白虹(はっこう)。なぁ、カッコ良くね?」
高耶の思い付きに、千秋と二匹の竜は、驚いて顔を見合わせた。
竜たちには、もちろん自分の名前がある。
でも、それは当然ながら、人間の言葉ではないし、
少なくとも千秋は、今まで竜に名を聞いたこともなければ、名前をつけたこともなかった。
そもそも飛竜と魔法使いは、旅が終われば離れるもの。
そういうものだと思っていた。
…でも…
「どうする?」
千秋の言葉に、銀の竜は高耶を見つめて、しっかりと頷いた。
白い竜は首を横に振ると、ガウガウと口を動かして、しきりに何かを訴えている。
ちょっと考えてから、千秋は竜に言葉を話せる魔法をかけた。
「コホン。我の名はオパールだ。他の名は許せぬ。オパールと呼べ。」
呆気にとられて竜を見上げた千秋に、竜はもうひとつ要望を付け加えた。
「我らを名で呼ぶのは、おまえたち二人に限る。以上だ。良いか、わかったな。」
そういうと、二匹の竜は宣誓するように、空を見上げて目を瞑った。
コスモスの花が、爽やかな風に優しく揺れていた。
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