『魔法使いのピクニック‐31』

 

ノブナガをギルドの人間だと信じきっている館長は、何の躊躇いもなく握手を交わし、 今後も宜しくと頭を下げている。
直江はノブナガの真意が掴めないまま、じっと神経を研ぎ澄ませていたが、 不審な様子も魔法の気配も感じなかった。
握手を終えたノブナガは、平然と目の前を通り過ぎてゆく。

これはどういうことなのだ?
あんな脅しを言う為だけに、ここまで来るとは思えない。
何かある。
魔王の本当の狙いが、どこかにあるはずなのに…

だが見送りを断ってドアから出ようとしたノブナガは、直江に意味深な眼差しを向けると、
「では館長、これで用は済んだ。後は全て我が手に委ねて、ゆるりと休むが良い。」
一言ずつを印象づけるかのように、ゆっくり明瞭に言葉を発した。

「は…い…」
どこか虚ろな声で応えた館長が、グッタリとその場に倒れ込む。
息を飲んだ直江だったが、館長が眠っているだけだとわかると、猛烈な勢いでノブナガに追いすがった。

「ノブナガ!その女神は誰だ?本物の女神は触れぬはず。
 この腕は、確かに生身の体!こんな小細工をして、ここに来た理由は…
 そうか!戻った絵は偽物なのだな!」

ようやくわかった。
女神に化けて絵を持ってくれば、館長は本物が戻ったと思い込む。
それが狙いで…
だがそんな手間を掛けなくても、ノブナガは本物を手にしている。
それに絵が偽物なら、直江が見れば必ず気付く。

「違う…そんな理由のはずがない。」
呟いてノブナガの背を凝視した。
自分で言っておきながら、否定せずにはいられない。
わからない。
ノブナガは本当に、このまま帰るつもりなのだろうか?

直江は困惑した顔で、女神の腕から手を離した。
振り返ったノブナガは、眉間に皺を寄せる直江を見て、ふっと笑った。
「おかしな男だ。何も無かった事を、素直に喜べぬのか?」
女神がチラリとノブナガを見て、困った人だと言いたげに、小さく息を吐いた。
「殿が絵を預けると仰っているのだ。ありがたく受け取れ。」
美しい女神の唇から出た声と言葉に、直江は耳を疑った。

ランマル…?
では本当に絵を返しに来たのか?

「ふん。あの女のお守りなど、おまえ達が勝手にすれば良いわ。
 欲しければ、いつでも手に入る。アレも…な。」
口の端で笑ったノブナガは、直江を見つめてギラリと目を光らせた。

首を洗って待つがいい。
もっと強くなるまで、泳がせてやる。

強烈な意志を読み取って、直江は魔王の瞳を見つめ返した。
その時が楽しみだ。とは言えなかった。
ただ何があっても消えない炎が、琥珀の瞳の奥に燃えていた。

ノブナガはスッと手を広げると、一斉に全開になった廊下の窓のひとつに足を掛け、あっという間に姿を消した。
後に続こうとしたランマルが、不意に何かを思い出したような顔で、
「言い忘れてたけど、女神の封印、してないからね。
 そろそろ起きるんじゃない? 頑張るんだね。お手並み拝見させてもらうよ。」
にっこり微笑むと、窓からヒラリと身を躍らせた。

やられた!

舌打ちして応接室に戻ると、机の上に置かれた絵を見て、直江は再び「やられた!」と叫んだ。
女神の絵は偽物。
そして『天使のいたずら』は本物だ。
女神はこれを探してやってくる。
直江は『天使のいたずら』を掴むと、ホールに向かって走った。

美術館の入り口は、いくつもあるが、全てこのホールに繋がっている。
館長が朝一番に通った廊下は、このホールから四方八方に伸びている内の
…どれだ?

どの廊下も、シンと静まり返っている。
美術館は休館中だが、職員もいないのか?
ぐるっと辺りを見回した直江は、近づいてくる足音に、ハッと身構えた。
足音は二人。やがて話し声が聞こえた。

「千秋!色部さんも?」
驚いたが、今は一刻を争う。
この二人が来てくれたのは、何よりの幸運だった。
「千秋、女神の絵を探せ!早くしないと美術館が壊される。」

「ハァ?嘘だろ〜!」
頭を抱えた千秋の隣で、色部は目をパチクリさせて、
「女神は魔王の館だろう?」
と言いながら首を傾げている。

「とにかく早く…!」
焦る直江を黙らせて、千秋は静かに波動を探った。

 

「こっちだ。そっと…足音を立てるなよ。」

千秋を先頭に、男たちは忍び足で歩いて、女神の眠る廊下に立った。
「ほら、この絵だろ?」
本物の絵は、ご丁寧に女神の足音に置かれている。
女神が起きていたら、とても近づけない場所だ。

眠る女神を見つめて、直江はホッと安堵の息を吐くと、静かに封印の呪文を唱えた。

優しい子守歌のような呪文の響きが、光の輪になって女神を包む。
長い詠唱を終えると、女神の姿は絵の中に溶け込んでいた。

「やったら長い呪文だな。ノブナガの奴、これを唱えるのが面倒で、返して来たんじゃねえの?」

「いや。この呪文を知らなかった可能性が高い。なんといっても、この女神の封印呪文は特別だ。解除も封印も、出来る者は限られている。 だから魔王が自ら来たのだろう。ほかの者では女神と絵を無傷で返すのは無理だろうからな。」

色部の言葉に、直江は改めて女神の絵を見つめた。

名画を盗んだノブナガ。
女神と天使を返したノブナガ。
魔王の館の美しい壁を思って、直江は胸の内で瞑目した。
ほかに出来ることは無かった。

「絵が戻ったなら、俺たちは用無しだ。あいつんとこ行ってメシ喰おうぜ。
 きっと今頃イライラしながら待ってるぞ。」

ニッと笑った千秋に、
「おお、それは楽しみだ。直接お逢いするのは初めてなんだが、大丈夫かな。」
少し照れた顔で、色部が微笑む。

話が見えない直江だったが、なんとなく予想はつく。
高耶の顔を思い浮かべて、早くも心は家に飛んでいた。

背景の壁紙は、こちらからお借りしました。→

 

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