『熱波ー7』

千秋の態度にホッとしたものの、高耶の動悸はなかなか収まらなかった。
どうなっちまったんだ、俺は?
背中にちょっと指先が触れただけなのに、なんでこんな…
まるでスイッチを押されたように、身体が勝手に昨夜の記憶を辿ってしまう。
おまえは俺に何をしたんだ…
胸の内で呟くと、高耶は着替えとタオルを掴んで千秋の後を追った。

数分後、二人は男湯と看板の掛かった誰もいない風呂場を覗き込んでいた。
脱衣所も浴場も小さな窓からの光だけで、なんとなく薄暗かったが、湯は温かいしシャワーも出る。
これなら入れるだろうと、高耶が海パンを脱ぎかけた時、
「悪い。用事を思い出した。ちょっと行ってくるから、先に入っててくれ。」
千秋はそう言うと、脱衣所から出ていこうとして、思い出したように付け足した。
「昨夜は悪い虫にやられたみたいだな。いっぱい痕がついてんぞ。」
「虫?」
クスクス笑いながら出て行く姿を、高耶は首を傾げて見送った。

体を洗って湯に浸かると、疲れが溶けてゆく気がする。
千秋には悪いが、やはり今は一人の方がありがたかった。
ふうっと息を吐いて、心置きなく手足を伸ばす。
明るすぎない日の光に全身の力を抜いて、高耶はゆっくり瞳を閉じた。

 

宿舎になっている旅館は、それぞれの部屋に風呂がなく、風呂といえば大浴場に行くしかない。
二人は知らなかったが、この旅館では今の時間、大浴場は清掃中のはずだった。
それを直江がお願いして、早めに開けてもらったのだ。
「高耶さん、風呂が沸きましたよ。高耶さん?」
部屋のドアを叩いても、返事が無い。
もしかしたら旅館の人から連絡が入ったのかと思い、直江は大浴場に向かった。

「やっと来たか。悪いが男湯は貸切だから入れねえぜ。」
手前の廊下で、壁にもたれて立っていた千秋が声を掛けた。
「どうして君がここにいるんだ? まだ戻る時間じゃないはずだが。」
言葉ではそう言いながら、直江の目が笑っている。
高耶を心配して様子を見に来た千秋の気持ちが、直江には良くわかっていた。

その目を挑戦的に見返して、千秋はにやりと微笑んだ。
「ご心配なく。ちゃんと許可はもらってますよ。
 それより…
 やってくれるじゃん、直江センセー。」
急に変わった口調に、直江は探るように千秋を見つめた。

「背中のアレ、あんたなんだろ?
 よく見りゃ全身…だもんな。
 貸切じゃねえと風呂も入れないなんて、罪なことしてくれるぜ。」
からかうように言いながら、千秋は鋭い瞳で直江の心を見ようとする。
直江の目が、すっと細くなった。

「あそこまでするつもりは無かった…」
いつもそうだ。
困らせるとわかっていて、それでも抑えられなくなる。
本当は、あの半数程度で止めるつもりだったのに…
俯いて呟くと、ハッと顔を上げて心配そうに千秋をみた。
「あの人は、ひとりで入って大丈夫なのか?」

「そこまで心配するようなこと、したんだな」
思わず脱力してしまう。
大人の男が、いつもは冷静なこの男が、高耶のことになるとこんな顔をするのか。

昨日もそうだった。
直江のあんな怖い顔を見たのは、初めてだったと思う。
我を忘れるほどの想い…
そんな直江を、千秋は好ましいと思った。

直江のことは、学校でしか知らない。
ユーモアがあって知的な会話が出来る、面白い奴だと思っていた。
生徒に媚びず、きっちり授業をするのも気に入っていた。
でも…この男はそれだけじゃない。

「ひとつだけ忠告しとくが、キスマークつけるなら、
 あいつがわかる場所にしろよ。
 それでなくても、あいつ無自覚に誘ってんだからな。
 あんなもの見せられると煽られてしょうがねえぜ。」
言ったとたんに、直江の目が殺気を孕む。

「やりゃしねえよ。」
と笑って、千秋は少し俯いた。
「んな目で睨まなくても、俺はあいつとそういう関係になる気ねえから」

堕ちてしまえば、喪ってしまうかもしれない。
いや、それ以前に。
望まないことを無理強いするなど性に合わない。

「そんなことより、あいつ脱衣所で鏡を見て、怒り爆発してんじゃねえか?
 覚悟しといた方がいいぜ、直江。」

こんな恋をしたいとは思わない。
けれど、見守りたくなる。
千秋はいつのまにか、楽しそうに笑っていた。

 

     2006年9月10日

 

続きがこんなに長くなるとは…(^^; 拍手のお礼メッセージとして書いてたので、 不自然に話が切り替わってたりしますが、 どうぞ目を瞑ってやって下さい〜(滝汗) 最後までおつきあい下さってありがとうございました。

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