『熱波ー5』

楽しい時間は、どうしてこんなに早く過ぎるのだろう。
ひんやりとした朝の空気が、もう熱気に変わり始めている。

直江は小さく息を吐いて、抱いていた高耶の肩から手を外した。
「戻りましょうか。遅くなるといけない。」
明るい声で微笑みかけると、高耶は一瞬だけ直江の瞳を見つめてから、
「そうだな。」
と頷いて立ち上がった。

「早く戻らないと、女どもに恨まれそうだ。」
笑いながら歩き出した高耶の背中を追いかけて、直江は思わず息を止めた。
(マズイ…)
しなやかな身体のあちこちに残る赤い刻印。
昨夜より少し薄れはしたものの、ほとんど消えずに残っている。

もちろん、それを後悔する気はない。
本音を言えば、このままずっと消えないように、何度でも刻み付けたいくらいだ。
ほんのり赤い印をひとつずつ辿って、甘く啼かせて…
でも、それはあくまでも、高耶に知られていない場合のことで。
今の姿を高耶が知れば、指一本触らせてもらえないのは確実だった。

上着さえ羽織ってしまえば、これがキスマークだと気付かれることはない。
そう思って、わざと首筋だけは避けて付けたのだ。
だが…どうやって高耶に上着を羽織らせればいいだろう?

高耶がこれに気付いた時の反応が怖い…
向こうに戻って誰かに指摘されでもしたら最悪だ。

どうやっても隠せそうにない手や足にまで、赤い花びらを散らしておきながら、
高耶以外の人間の反応など、露ほども気にしていない直江であった。

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舟に乗ろうとすると、肩に白い上着が掛けられた。
さっきまで直江が着ていたパーカーだ。
「すみません、向こうに着くまでこれを着ていて下さい。」
そういうと、直江は高耶を追い抜いて、さっさと舟に乗り込み、オールを握った。

「何だよ。俺も漕ぐから、こんなの邪魔だ。おまえが着てろよ。」
綺麗に筋肉のついた直江の身体は、高耶よりもずっと胸板が厚くて逞しい。
裸になると、それが益々よくわかって、なんだか眩しいような悔しいような気分になる。
高耶は、もう一組のオールを手にすると、パーカーを直江に押し付けた。

「あ…いえ、そういう意味ではなくて…」
直江は困った顔をしながら微笑むと、もういちど高耶の肩にパーカーを羽織らせた。
「邪魔だからじゃなくて、あなたに着て頂きたいんです。」
無言で理由を求める高耶の瞳を見つめ、直江は諦めたように言葉を継いだ。
「ほら、ここが少し赤くなっているでしょう?」
直江が指で示した部分を見て、高耶の顔が一気に赤く染まった。

脇腹から胸にかけて、ほのかに赤く残る痣…
これは昨日の?!

言葉にならずに、真っ赤な顔でパーカーを着込むと、
高耶はジッパーを上まできっちり引き上げた。

「こんなになるとは思わなくて…
 あなたがあんまりイイ声で啼くから、ついやりすぎてしまいました」
艶を含んだ瞳と甘い囁きに、直江を睨みつける高耶の目線が恥ずかしそうに揺らぐ。

本当は、もっと多くの痕があるのだけれど、それは言わずに…
高耶の横顔を見つめながら、直江は心でホッと安堵の息を吐いていた。

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帰りは二人で漕いだからか、昨日の苦闘が嘘のようにスムーズに進んだ舟は、
1時間も経たないうちに、臨海学校の海岸へと戻っていた。

「仰木! 大丈夫か?」
目ざとく舟を見つけた千秋が、待ちきれずに泳いできて、へりに体を半分預けた。
「おう、大丈夫に決まってんだろ。」
にやりと笑って高耶が答える。
その顔を見て、千秋はやっと安心したように笑うと、ちらりと直江に目をやった。

視線に気付いた直江は、穏やかな微笑で応えただけで、そのままオールを動かし続ける。
二人の邪魔をせず、そして千秋がちゃんと舟に掴まっていられるように…
そんなさりげない気遣いに、千秋は言いたかった文句を引っ込めた。
きのう眠れなかったのも、なかなか帰って来ない二人を心配したのも、直江のせいではないのだ。

「じゃ、また後でな。直江センセーにちゃんと礼を言っとけよ。」
ヒラヒラと手を振りながら、千秋は波間を泳いでいった。

「礼、言ってなかったな。」
千秋を見送り、振り向いた高耶に、直江は「いいえ」と首を振った。
「言葉よりもずっと確かな気持ちを頂きましたから。」
にっこり笑った直江だが、瞳は真摯な想いを映している。
「うん」
と小さく呟いて、高耶は眩しそうに波を見つめた。

浜に戻れば、直江と二人でいる時間はない。
それでも、心はきっと繋がっている。今はそう思えた。
昨日とは違う自分を、高耶はハッキリと感じていた。

 

      2006年9月3日

 

 

続きなのに長いな〜(^^;すみません、あと少し続きます。
…が、今はまだ拍手にある分だけなの。ちゃんと書いたらUPしますね!

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