『熱波ー2』

周りを囲んでいるのが教え子でなかったら、とっくに振りきって高耶を追いかけただろう。
しかし教師である限り、なぜここまで来て授業の質問をするんだ?と思っても、教えて欲しいと言われれば断われない。
直江が女子から逃れた時には、もう高耶の姿はどこにもなかった。
その後も雑事に追われている間に、どんどん時間は過ぎてゆき、高耶と一言も話せないうちに、とうとう日が傾いてしまった。

「矢崎君。高耶さ…仰木君を知らないか?」
焦る気持ちを隠して、やっと見つけた矢崎に問いかけた直江は、思いがけない返事に耳を疑った。

「沖の小島に連れて行かれた? いったいどう言う事だ! なぜ今まで言わなかった!」
ものすごい勢いで詰め寄られ、矢崎は面食らって目をぱちくりさせた。
「や、連れて行かれたって言っても、あいつ自分から進んで行ったようなもんだし…
 俺も千秋も止めたんだけど、あいつサッサと舟に乗っちゃって…。一緒に行った奴らはもう戻ってたから、
 仰木も来てると思ってたけど、そういやあれから見てないなって…」

しどろもどろで答える矢崎を、直江は更に問い詰めた。
「その奴らはどこにいる。今すぐ教えなさい! 仰木君に何かあったらどうするんだ!」
青くなった矢崎が、高耶と一緒だった連中を探して辺りを見廻していると、千秋が海から誰かを連れて上がってきた。
「こいつら、仰木を島に置いてきたんだ! くそったれが! あと2人…許さねえ。」
千秋に引っ張られて、ふらふらしながら砂の上に倒れ込んだのは、悪で名の通った学生だった。
「なんてことを! あそこは時間で潮が変わる。流されたら戻れないんだぞ!」
騒ぎを聞きつけて、他の教師や生徒たちも集まってきた。

直江は、タオルや携帯の入った自分のバッグを掴むと、
「仰木君が沖の小島にいるそうなので、迎えに行ってきます。あとは宜しくお願いします。」
あっけにとられている先輩教師に頭を下げ、近くの生徒たちに手伝わせて、急いで舟を出した。
舟といっても手漕ぎのボートだ。
沖の小島は無人の島で、泳いで行けない距離ではないが、夕暮れになると潮の流れが変わる為、向こうからは潮の流れに逆らわねばならず、舟でなければとても戻れない。
もしも高耶が泳いで戻ろうとしていたら、沖に流されていることも考えられた。

無事でいてくれ!
どうか島に残っていて…
祈る想いで、直江は舟を漕いでいた。

ギィッギィッとオールが軋む。
速く! もっと速く!
直江の願いとは裏腹に、小舟は遅々として進まなかった。

汗だくになって島に着いた直江は、岩の陰に蹲っている高耶を見つけて、ホッと息を吐いた。
「よかった…」
もう日はとっぷりと暮れている。
直江は高耶の体をバスタオルでくるんで抱き寄せた。
「どうしてこんなところに来たんです! 
 無事だったからいいようなものの、もし泳いで戻ろうとしていたらどうなっていたか!」

心配で胸が潰れそうだった。
俺の気持ちも知らずにあなたは…!
思わず強い口調で叱った直江の腕を、高耶はギュッと掴んで押し戻した。

「ごめん。迷惑かけたことは謝る。けど…もうこんなのはやめてくれ。俺は…
おまえといると弱くなる。こんなの俺じゃない! 俺じゃないんだ!」

声が震えた。
やめてくれと言いながら、直江の腕が離れるだけで息が苦しくなる。
もうどうしたらいいのかわからなかった。
腕の感触が、叱る声の厳しさが、たまらなく愛しくて泣けてくる。
こんなことで泣くような俺じゃないはずだ。
このまま抱いていて欲しいなんて、離さずにいて欲しいなんて、そんなこと望んでどうなる?
俯いた肩が、押し殺した嗚咽で小さく震えた。

「泣いているんですか?」
声と同時に大きな手が伸ばされ、次の瞬間、高耶の頭は直江の胸にギュッと押し付けられていた。

この温もりがいけないのだ。
おまえの優しさが、俺を侵食していく。
一人でも平気だったはずなのに、俺はもうおまえ無しではいられない。
こんなに弱くなってしまって、どうすればいいんだろう?
おまえは俺だけのものじゃない。
これ以上を望んじゃいけないんだ。

「ばか。泣いてなんかない。離れろ! やめろって…言ってんだ…」
いくら強がっても、涙はシャツを濡らしている。
直江は高耶が離れようともがいても、しっかりと抱きしめたまま離さなかった。
「離せよ! でないと、俺はもっとおまえを離せなくなっちまう。」
高耶の言葉に、直江は驚いて顔を覗きこんだ。

日が落ちてもまだ明るさは残っている。
直江は高耶を抱いたまま、片手で携帯電話を取り出した。

「連絡が遅くなってすみません。沖の小島に到着しました。はい、仰木君は無事です。
 御心配をおかけしました。ただ、もう日が暮れてしまったので、今からそちらに戻るのは難しいかと…。
 朝までここで過ごして、明るくなってから戻ります。ええ大丈夫です。宜しくお願いします。」
パチンと携帯を閉じると、直江は高耶を見つめてにっこり微笑んだ。

「朝までここで過ごすって…本気なのか? この島、マジで何もないんだぞ!」
「大丈夫ですよ、朝なんて二人でいればあっという間です。」
そういうと、直江は高耶の瞳をじっと見つめた。

目尻に涙の粒が残る、美しい澄んだ瞳。

「ずっとあなたとこうしたかった。俺はどんな時も、あなたと離れたくないんです。
 離せないなら、離さないでいればいい。俺を欲しがることを、怖がらないで下さい。
 あなたが欲しがる以上に、俺はあなたに求められたいと願っているんです。」

直江の熱が、瞳を通して流れ込む。
胸の奥から湧きあがってくる熱い波が、高耶の不安や迷いを押し流していた。

一緒にいたいと望んでいいのか?
離れたくないと言ってもいいのか?
「直江。直江!」
思いは言葉にならなくて、ただ名前だけを呼び続けた。
何もない島で、二人はどんな豪華な場所にいるときよりも満たされていた。

 

 

 

  携帯電話を切って、校長は安堵の息を吐いた。
「仰木君は無事だそうだ。
 直江先生が明日、連れて戻るとのことなので、もう心配はなかろう。」
「いや〜本当に良かった。直江先生のおかげで大事にならずに済みましたね。」
「ええ、全くです。早く生徒たちにも知らせてやりましょう。」
「それにしても、戻るのは明日ですか…大丈夫ですかね。」
「これが女子ならば問題ですが、男子ですし。なんといってもあの仰木ですからね。」
「そうですな。全く、直江先生が行って下さって助かりましたなあ。」
教師たちは呑気に笑って、それぞれの部屋に戻っていった。

 

 松林を吹き抜けた風が、潮の香りを運んでくる。
 誰もいない砂浜では、月と星を観客に、波が楽しげにダンスを踊っていた。

 

                      おわり

     2006年6月27日

これを1枚のペーパーに書くつもりだったの。
思いのほか長くなってしまって…(^^;
次回はもう少し綺麗なペーパーを作ってみたいな〜♪
↑言うだけ言わせてやって下さい(笑)

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