「見えてきたぞ。もうすぐ鬼ヶ島だ。」
色部が上空から声を掛けます。
舟を漕ぐ高耶の腕に、ググッと力が入りました。
零れる汗は、ほのかに甘い香りを漂わせ、上気した頬が赤く染まって、瞳がキラキラ輝いています。
こんな高耶を鬼が見たら、狙われるのは確実だと、直江は内心ハラハラでした。
恋も知らない高耶には、想像もつかないでしょうが、大人の直江は違います。
実のところ、この鬼退治で直江が最も心配しているのは、そういう意味の危険だったのです。
鬼は強いだけではありません。
本当に怖いのは、鬼に魅了され、身も心も奪われてしまうことでした。
「直江、高耶を頼むわよ!」
舟を島の岩陰に繋ぐと、綾子はスルスルと崖を登り、門の向こう側に廻りました。
鬼たちは、まだこちらに気付いていない様子です。
綾子は人の姿になって、内側から閂(カンヌキ)を外し、直江と高耶を素早く招き入れました。
既に館の近くを飛んでいる色部も、今はまだ雉の姿ですが、望めばいつでも人に変われます。
高耶の前で姿を変えないのは、直江だけでした。
小さな頃、誰にも懐かなかった高耶が、犬の直江にだけ寄り添って眠った時から、
直江は高耶といる間は、人の姿になっていません。
それを不思議に思っても、不満だった事はありませんでした。
高耶は直江が人にならない理由も、その胸に隠された葛藤も、何も気付かずにいたのです。
それが後に大きな衝撃と反動をもたらすとも知らず…
わらわらと飛び出してきた鬼たちをなぎ倒しながら、高耶たちは一直線に館を目指しました。
「出て来い!親玉!雑魚ばっかに相手をさせて、自分は出ないなんて卑怯だぞ!」
大声で叫んで、高耶は館の中へ突入しました。
すぐ後ろには直江が続き、色部と綾子は雉と猿の姿で縦横無尽に飛び回って、鬼を蹴散らしながら後を追います。
庭を突っ切って回廊に上がろうとした時、
「誰が卑怯だって?招かれもしねえのに、いきなり押しかけたのは、てめえらじゃねえか。」
ひどく機嫌の悪そうな声がして、カラリと奥の障子が開きました。
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