『記憶』-5

 

木に顔を擦りつけて、俯く高耶の肩が、小さく震えている。
泣いているのかと思った瞬間、胸に焼け付くような痛みが走った。

記憶が無くても、この人は何も変わらない。
目の覚めるような調伏、的確な判断力や行動力。
そういう目に見える力の凄さは無論のこと、
何より変わらないのは、どれほど悩み苦しんでいる時でも、
それを誰かのせいにして、逃げてしまわない姿だった。

どうしようもなかったのだと、言っても誰も咎めまい。
けれど景虎は、それを自分自身に対しては、認めようとしなかった。
他者には呆れるほど優しいくせに…

高耶も同じだ。
少しも変わっていない。
隠してもわかる。
その心が、本当はとても優しいことも、
その優しさ故に、誰に縋ることも出来ないことも…

「高耶さん…どうしてあなたは…」

縋って欲しいと思った。
こんな木ではなく、自分の胸に!
あなたの心を、この胸で!

気がつくと、直江は高耶の拳を掴んでいた。
振り向きかけた体を、そのまま木から引き剥がして抱きしめる。

「なっ…!」

驚いて息を呑んだ高耶の耳に、直江の微かな声が聞こえた。

「こんな木に…」

その先が聞き取れなくて、思わず耳を澄ますと、
言葉の代わりに直江の鼓動が響いてきた。

温かい音…
生きている命の音だ…

「忘れないで下さい。あなたの傍には、私がいる。
 殴りたいなら、私を殴ればいい。
 あなたの拳を受けとめる力が、私に無いとでも思っているんですか!」

直江の心が、胸の奥まで沁みてくる。
閉じこめた涙がこぼれそうになるのを、高耶はじっと堪えていた。

 

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